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セミリタイアしたら、田舎の暇なフリーランスになりたい

2018.08.10

最終更新日:2019年06月10日

こんにちは、萩ドットライフ()です。

セミリタイアについて書かれている諸氏のブログを読んでいるのですが、セミリタイアにもいろいろな定義がありそうな印象を受けています。僕はフリーランスなので「労働の強度を下げて」「長く社会に貢献し続けるし、収入も得続ける」ってところでしょうか。

「僕? 暇ですよ」でいいじゃない

「暇なんだな」って思われることが恥ずかしいと感じていた時代がありました。
フリーになってから、ずっとそんな感じだったかな。
最近考え方が変わって「もしかして良いことななんじゃないの?」って思うようになったんですよ。暇だと、新しい興味が芽生えたときに、すぐに行動できるし、人にも誘ってもらいやすかったりしますしね。
積極的に「僕? 暇ですよ」ってアピールしてた方がいいんじゃないかと思い始めてるのです。

暇であることに焦りがない状態だと、誰かに誘われたときの見極めもしやすいんですよね。
有益・刺激的だと思うお誘いには即応できるし、退屈でツマラナイ誘いには「家でボーッとしてる方がマシだから、参加しません」って断りやすいのですよ。
僕にとって「暇」はポジティブな状態なので、つまらない誘いに大切な「暇」を妨げられたくないのですよね。

暇な時間を使って、常に新しいものに接し続けたいのですよ。何かを考え続けたいし、学習し続けたいのです。

職業と生活の棚卸し

「セミリタイア」という言葉を使って、今の自分の職業を一旦バラそうとしているのですね。
長い間ひとつの職業に就き続けていると、自分の中で職業の形を決めちゃうんですよね。「○○したい」よりも「○○ではなればならない」みたいなものが増えてくるというかね。

そんなものを一旦、棚卸ししたいのです。自分なりの職業の形を作りつつ、自分の生活と折り合いをつけないと楽しくなくなりますよね、と。
たとえば、収入が下がってもいいから学習する期間を設ける。
そうすることで、職業人生が長続きするのならば、期間×年所得で得られる総量は大きくなるよね、みたいなことを考えているのです。

僕はこれからの人生、定期的に何かの初心者になろうと思ってます。
それは必ずしも、将来的にお金になることじゃなくても、興味のあること、好きになれそうなことを積極的に取り入れようと。
いわば「ストレスのない仕事」を常にやっていようと。だから暇であることが大切なのですよ。

フリーなんで「貢献」が社会との接点なんです

「所属」というカタチで社会や組織との接点をもっていないのです。
一応、法人は所有してるのですが、ひとりの会社なので、ほぼ個人なんですよ。一緒に行動してる人たちも、みんなそんなもんですね。

サラリーマンの方々が「所属だけしていて、貢献は少ない」なんてことをいいたいわけじゃありませんよ。
だけど、傍からみていて、皆無でもなさそうなのです。「所属してるけど貢献してない人」って、一定数いますよね…。

だから僕は「貢献」だけで社会や組織との関係を築けることが、とても心地いいのです。
所属することで組織に提供できる(と思われがちな)、「ロイヤリティ」とか「忠誠心」「長期的視野」みたいなのも大切だとは思います。無視しようと言うわけではありませんが、それってホントに「所属」と関係あります?

僕はひとつのクライアントと20年近く、一緒に仕事をしています(※)が、所属していないからこと提供できる「貢献」もあるような気がします。
(※途中、2年間の戦力外期間があるので「一緒に仕事をし続けています」って書けないんですよね)

なので「貢献」さえできれば「所属」なんて必要ないよね。というのが何となくの結論なのです。
おこがましい言い方になりますが、働くということは、自分の時間と労力を投資するということだと思うのです。僕が時間と労力を投資して、投資先の価値が高まれば、それは「貢献した」ということになるのだろうと思うのです。

自分自身にインパクトをもたらす

「所属なんてしないのだから、どこに住んでも同じだよね」というのは、もう何年も前から考えてはいたのですよ。
一方で、東京にいることが、顔を合わせやすかったり、生活が便利だったりして、快適ではあったのです。安定しすぎていて、環境から得られる刺激なんかなくなってたんですよね。

クライアントでも作業場でも、職業そのものでもなんでもいいのですが、自分が場所を変わること。自分のいる環境を変えることで、自分自身が成長できると思うのです。
僕が所有している時間と労力は限られていますので、社会に提供できる貢献も限られてると思うのです。
なので、自分ができるアウトプットの性質や貢献度をいろいろ試行錯誤したいのです。

これまでの人生「もっと頻繁に環境を変えたほうが楽しかったな」という後悔もあるのですね。
いまやってるデザイナーと言う職業の10年目から11年目までの1年とよりは、駆け出しの頃の1年の方がはるかにインパクトがあったんですよね。
たとえば、1年目と2年目は、明らかに知識量もアウトプットのクオリティも変わった感じがあったんだけど、11年目の自分は、10年目の自分の上位互換のクローンに過ぎない、みたいな感じ。
駆け出しの頃に感じた、自分自身に対するインパクトが懐かしいのですよ。
この先、これを何度か繰り返したいのです。だから、何かの初心者になりたいのです。

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