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「セミリタイア」をはじめて意識したとき(前編)

2018.11.08

最終更新日:2018年11月09日

こんにちは、萩ドットライフ()です。

東京と山口県萩市を行ったり来たりの二拠点生活をしつつ、仕事量を減らし続けてるので、セミリタイア生活を始めていると言って差し支えない状況だろうと思うのですが、こういう生活を望むようになったのは、いつ、なにがキッカケだったのでしょうか?

セミリタイアのことを考え始めてから10年も経っていないのです

「そういえば、オレはいつからセミリタイアをしたいと考えるようになっていたのだろう?」と考えてみたのですよ。
誰か身近にセミリタイアした人がいて、「この人のようになりたい」と思ったわけでもなく、「もうこれ以上働きたくなんかしたくない」と労働意欲を失ったわけでもないのです。

むしろ、生活環境を変えるために自分自身に「セミリタイア」という変化を与えて、そこで起こるいろんな出来事を楽しんでみたいという気になってるような気もしています。

思い返してみると「セミリタイア」という言葉を自分のこととして考え始てから10年経っていないような気がするのです。
おそらく、2011年の春から約3ヶ月間、長期休養したのが小さなキッカケなのだろうと思います。

パニック障害を発症して3ヶ月間休養したとき

他の記事でもときどき触れていますが、2011年4月に、パニック障害を発症して救急車を呼んだんですよ。
そのときまで、生活のリズムはムチャクチャだったし、タバコは吸ってたし、もちろん健康診断にも行ってなかったんです。
パニック障害で救急病院に行ったことがキッカケで、高血圧症(上が250mmHgありました)だったり、心臓肥大が見つかったのですよ。
そこから、高血圧の投薬治療を開始したり、猛烈なダイエットを開始したり。
タバコは発症後、なぜか身体が受け付けなくなりました。

そのときに「今の働き方と生活リズム、マズいぞ」と。幸い、案件の谷間だったこともあり、仕掛中だった案件を1本、他のデザイナーに変わってもらうだけで、休養生活に入ることができました。
週1回の簡単な更新を依頼される程度の運用案件は、引き受け続けましたかね。

とりあえず、3ヶ月程度、ほぼ仕事をしない生活をしました。
毎日、朝8km、夜5kmランニングしてましたし、3日間断食を2回して、この3ヶ月で25kg落としました。

この期間に「請負の本数を増やすことが、収入アップに繋がる状況って、もう限界だな」「収入減らして、余暇を作って、働き方を変えるフェーズが必要だな」みたいなことを考え始めたのですよ。
まず僕が思いついた「セミリタイア」とは、この「余暇を作って働き方を変えるフェーズ」のことだったのです。

今でも「セミリタイア」のことを「ちょっとだけ働く、ヒマなオジサン」とも「リタイアの予備動作」とも思っていないのです。

金融資産額が住宅ローンの残債額を超えたとき

3ヶ月の長期休養後には、また元の仕事に復帰するのですが、そのときには体重は25kg落ちて、スッキリとしていたし、朝5時に起床するようになっていたし、さすがに1日2回ランニングすることはやめましたが、週3・4回は朝ランする習慣がついていました。

その後、メインクライアントとの業務提携が解消されて、また「休養」になりそうな予感もあったもですが、結局なんだかんだと案件の依頼は途絶えず、体調とのバランスを考えながら働いていました。
頓服的に使用する抗不安薬を処方されていたのですが、だんだんと日中に服用することはなくなり、いつの間にか「寝る前のおクスリ」という位置づけになっていました。

僕。お金に本当に無頓着だったんですよ。僕は法人を持っていて、仕事の売上は全部そこに入るんですね。
で、個人の口座にお金がなくなると、まとまった額を法人口座から振込むという方式を取っていました。
一応、役員報酬額は決めてるんですよ。議事録も作らなきゃいけませんしね。
だから、毎月未払いで処理して、ある月に突然精算されるって形になってました。

そんな感じなので、お金はほとんどが法人の普通口座に置いてあったんです。

2014年くらいでしょうかね。「あれ? もうそろそろ住宅ローン、一括返済できるぞ」と思ったんですよ。
それに気づいたら「もう生活費プラスアルファだけ稼げばいいんじゃないの?」と思いはじめて、なんだかとても気持ちが楽になったのですよ。

そうなると、とたんに「今の働き方」の不満点が見えてくるものなのですよ。
このころから、だんだん「そろそろ自分の意思で仕事を減らすときが来るのかもな」と思い始めるようになりました。
ただ、この頃は「思っただけ」でした。
前述のように「そろそろ住宅ローン、一括返済できる」状態だったワケで、その「そろそろ」の部分を一刻も早く埋めたくて、じゃんじゃん仕事を請けてましたね。

結果、資産増えて良かった反面、うつ症状が再発して、ちょっとツラいことにもなりました。

この話、まだ続きます

この記事を書き始めたきっかけが「そういえば、オレはいつからセミリタイアをしたいと考えるようになっていたのだろう?」って考えてみて、思い出しながら書き進めて来たのですが、書きながら、どんどん記憶が蘇ってくるのですよ。

いまのところ、

  • 「オレの人生、あと30年だな」と思ったとき
  • 生まれ故郷の山口県萩市に取材で訪れたとき
  • 資産と生産意欲と郷愁と

という見出しを思いついているのですが、この記事内では書ききれそうもありません。
「後編」というカタチで続きを書きたいと思っています。

追記:『「セミリタイア」をはじめて意識したとき(後編)』を投稿しました。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。