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田舎の古民家で暮らしてみたい、という好奇心

2019.10.20

最終更新日:2019年11月06日

こんにちは、萩ドットライフ()です。

過去記事でも「田舎の古民家で暮らす」計画を投稿したりしているように、そのうち山口県萩市に完全移住しようと思っているのです。これってノスタルジーなのか、好奇心なのか、どっちなんだろう? と疑問に思い、少し自分の考えを堀り下げてみました。

田舎暮らしをしたいのは、ノスタルジーなのか?

「あれ? オレ矛盾したこと書いてるな」と気付いたのですよ。
先日投稿した「人生の転機で、群れるな」で、

50代半ばになるこの時期に、周りが「同窓会、同窓会」言い始めるのって、おそらく定年後のコミュニティ形成のために、ノスタルジーの掘り起こしをしているような印象を受けているのです。

ただ僕の場合、今は無職になったり、断捨離をはじめたりしている時期なのです。
いったん過去のものを捨て去って、ノスタルジーと決別しようとしているフェーズなのですよ。
「いったん休んで、もうワンゲーム」と思っているところなので、同級生たちとの思考のすれ違いがツラいのです。楽しくないのです。

と書いています。「だから、同窓会には出席しないのです」と。

ところが僕は今、東京と山口県萩市を行ったり来たりする二拠点生活をしているのです。
そして近い将来、萩に完全移住することを決めているのです、二拠点生活は言わば東京への未練なんですよね。

そして「古民家買って、セルフリノベーションしたい」とか「家庭菜園したい」「狩猟したい」とか、いろんあ希望を持っているのです。
(参考:古民家再生をDIYでやりたい[思いついてることを記録する]

一方で「今はノスタルジーと決別しようとしているフェーズだ」などと書きながら、もう一方では東京を離れて、田舎に帰りたいと考えているし、半ば実行に移し始めてるのですよ。

ノスタルジア:
ノスタルジア(英: nostalgia)またはノスタルジー(仏: nostalgie)とは、
異郷から故郷を懐かしむこと。同義語に郷愁(きょうしゅう)・望郷(ぼうきょう)など。
過ぎ去った時代を懐かしむこと。同義語に懐古(かいこ)・追憶(ついおく)など。
と定義される。
出展:https://ja.wikipedia.org/wiki/ノスタルジア(2019年10月20日現在)

う〜ん。田舎暮らしの移住先に、生まれた街を選ぶという行為は、ノスタルジーによるものでしょうね。
このブログの前記事の最後に『生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。』って定型句を入れてるくらいですから、間違いなく意識していますね。

はい。僕は僕なりに「ノスタルジーの掘り起こし」をしていました。
同級生のみんなと、動き方が違ってただけですね…。

まだまだ、知らないこといっぱい

今やろうとしている「田舎に移住して、古民家ぐらし」みたいなことって、たしかに部分的にはノスタルジー由来であることには間違いないのですよ。

でも、僕が目指しているのは、農林漁村エリアなのです。
生まれ育った市街地よりも、もっと田舎での暮らしを体験してみたいのです。

僕はずっと東京で暮らしながら「オレ田舎もんっすから」って言ってたのですが、もっともっと田舎があって、そういう集落での生活のことはまったく知らなかったのです。
たぶん、本当の田舎ってそういうところなんですよね。

行動の大半は「好奇心」なのですよ。

このまま東京に住んでいては体験できないこと、生まれた萩市街地に住んでも、理解しようがないものに触れてみたいと思っているのです。

いろんな方の「田舎暮らしブログ」などにも目を通していますが、田舎ならではのトラブルも皆無ではなさそうだし、先日の台風19号(ハギビス)でも、限界集落では避難するのに老人同士で助け合わなければならない問題が浮き彫りになっていましたね。

そういうところに実際に身を置いてみたいのです。
当然「あ、オレここダメだ」と感じたら、躊躇なく撤退するつもりではありますが、とりあえずは足を踏み入れてみたいのです。

オッサンになると知らないことが増えてきて困るのですよ。
しかも、どんどん人生の残り時間が少なくなってきますし、その上、身体が利く必要があったり、ちゃんとアタマが回るってないことを「知りたい」「やりたい」と思うと「今やらなきゃ、10年経ったらできなくなっちゃう」という焦りを感じるんですよね。

そんなことを考えてるのが楽しいんですけどね。

何かのプロではない生活

僕は今、50代半ばなので「老い方を選ぶ」フェーズなのですね。
以前「[フリーランスの老後]頑張って良かった。老い方を選ぶことができてる」という記事も投稿しているので、ご参考に。

ずっと、フリーランスのデザイナーをしてきて「プロでありたい」「プロとして振る舞いたい」という気持ちをもっていました。

心地よい緊張感ではありますが、それなりのストレスは終始感じていました。
それを少しユルめたいのですよ。

ただ、何ごとに対しても「工夫し続けたい」し「最上を目指し続けたい」という思考様式は、健康である限り失われないものだと思っています。
長年の職業人生で、そういう性質(たち)になっちゃってるのです。

それはわかった上で、意図的にストレスから逃れたいのです。

そのために、生まれてはじめての環境で暮らしてみたり、DIYや田畑作りや、狩猟など、自分が未知の分野を体験してみたいのです。

もう一度、何かの初心者(=アマチュア)になりたいという考え方は、過去にも似たような記事を投稿しています。
一貫していることもあれば、少しずつ考え方が変わっていることもあります。
よろしければ、ご一読を。

田舎に住んで、自分の好きなことをするだけなので、「オレはプロだぞ」とアピールすることなど必要ないのですよ。
ただただ自分と向き合って「オレは上達しているか? 生活を楽しめているか?」を繰り替えす時期をつくりたいのです。

こうして考えてみると、僕が考えている「田舎の古民家で暮らしてみたい」という願望。
「ノスタルジー:好奇心=2:8」くらいの感じでしょうかね?

「僕が田舎暮らしをしたいのは、好奇心です」って言うようにしよう。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。