「また何かの初心者になりたい」を再考する
2019.02.25
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。「また何かの初心者になりたい」って思っていて、このブログのいろんなところでも、そう書いているのですよ。ある飲み会で思いがけず僕自身の口から出た言葉だったのですが、ずっとアタマの片隅に置き続けている言葉なので、定期的に整理したいのです。
「未熟者の見切り発車」が原点なんですよ
今までどうにかなってきたんだから、これからもどうにかなるんじゃないかな? と甘い考えを持っていて、それを確認する作業が楽しそうな気がするのですよ。
僕は今、フリーランスのWebデザイナー(セミリタイア中)なのですが、もともとは印刷物を作るグラフィックデザイナーだったのです。
そのグラフィックデザイナーになった経緯も、美大・芸大を出たわけでもなく、デザインの専門学校を出たわけでもないのですよ。
サラリーマン当時、印刷物やイベントの掲示物、パッケージや取説を発注する係だったのですが、その仕事の途中で
- 作業現場見てみたいです?
- 写植貼る作業、僕もやってみてかまいません?
- 指定紙って、僕でも書けるようになります?
- 製版所、僕も行ってみたいっす
みたいな感じで、門前の小僧化し、ちょっとずつ経を読みはじめた感じだったですね。
DTP(デスク・トップ・パブリッシング/パソコンで制作作業する、今のやり方です)というものがあることを知ったときには、情報を集め回って、経営者にプレゼンして、自らオペレーターになることと引き換えに導入させたのですよ。
「僕、できます」と。
実は、買ってもらってから居残りして必死で覚えたんですけどね。
当時付き合ってたデザイン会社や印刷所にも、導入したあとに調整&協力要請しはじめたので、盛大にギクシャクするなど…。
その後「僕、デザインできます」と、OEM先の製品のパッケージやパンフなどもと受注するようになったころから、なんとなくデザイナー業をはじめた感じだったですね。
その後、フリーになったあとも、最初の2年間は「舞台公演やりたい」と、シロートながら、某有名劇団の方を紹介したもらったり、区民ホールの専門職の方を訪ねていろいろ教えてもらったりしながら開催。
メセナ協議会の認定作品にしてもらって、協賛集めたり、いろんなメディアにリリースしたりしたので、各所で取り上げられて話題になったので、再演したり。
まあまあ、表面的には成功だったのですよ。事業的には大ダメージでしたけど…。
「損得考えずに、あれやっといて良かったな」とは思っています。フリーになって法人登記したと思ったら、いきなり借金まみれでしたけど…。
その後、デザイナー稼業に戻って営業活動を始めることになるんですが、同時にインターネットとかWebに興味を持っていたのですよ。
(参考:Webはチャチくてダサかった)
で、グラフィックデザインを受注すべく営業活動もするのですが、併せて「僕、ホームページ制作もできます」と…。
もちろん、実績ゼロの見切り発車です。
後悔なんかしませんよ。見切り発車するべき
50代半ばになって過去を振り返ってみても「あのタイミングで、あれやっとけばよかったな」というのは、いくつもあるのですよ。
重要性が認識できなかったこと、踏ん切りが付かなかったことへの後悔はあります。
が、やったことへの後悔ってないのですよ。
「僕、できます」で見切り発車していますから「じゃあお願い」ってなってからエラい目にあったことは多々あります。
それでもどうにかなっちゃうものなんですよ。
もしかしたら「これならどうにかなるな」って、アタマの中で計算できるものだけを「僕、できます」って言ってたのかもしれませんしね。その辺は無意識なんですけど。
「プロ野球チームに入ります」とか「深海探査装置作ります」とか絶対に言いませんもんね。
ちょうど「初心者が死に物狂いでやれば、成果を出せる」ギリギリのラインみたいなものがあって、そこを狙っていくのが楽しいのかもしれませんね。
まあ「後になって思えば」ということで、そのときは「わ、ホントに仕事になっちゃったよ、どうしよ」ってビクビクしてるんですけどね。
「僕、未経験なんで」とか「スミマセン、もうちょっと準備してから営業品目に加えます」なんて言ってたら、前に進めませんもんね。
どっちみち、どこかで困難には立ち向かわなきゃならないんですよ。
「やってみなきゃ、わからん」ってことなのですよ。
行動格差の時代
以前にも「また何かの初心者になりたい」というタイトルの記事を書いているのですよ。
2018年7月24日の記事ですから、このブログを開設してすぐくらいの記事ですね。
今、いろんなことを同時に思いついている時期なのですよ。
正直「オッサンになっても、まだこんなにもの考えるか」と戸惑ってるくらいです。
若い頃は「オッサンになったら、何も考えずボーッと過ごして死を待つんだろうな」くらいのイメージしかなかったんですが、もしかしたら逆かもですよ。
だんだんと死が近づいているのは間違いないんですが、どっかで「考え忘れてたことはないか?」「やり残してることはないか?」ってスイッチが入るのかもしれません。
それかネットの効能で、自分が知らない世界に住んでいる人の情報がよく入ってくるのですよ。
「あれ? オレこれについて何も知らないじゃん」「なんかこれ、楽しそう」がたくさん紹介されているのですよ。
しかも、ググればやり方もすぐに分かる。
そして僕はWeb制作界隈の仕事をしているので「自分と同じように考えた人が、ググってたどり着いたサイトが、自分のサイトだったら嬉しいな」とも考えたりしているのですよ。
そういや「情報格差」って言葉、使わなくなりましたよね。
格差は「やるか」「やらないか」によって生じるのですよ。「行動格差」の時代だと思うのですよ。
オッサン・オバサンになっても同じです。
むしろネットによって、情報格差は解消されているのですから「僕、できます」のハードルは下がってるのですよ。
ネットに齧りついてたら、ひととおりの情報は得られるのですから。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。