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不安感は、慣れによって解消されます

2020.06.25

こんにちは、萩ドットライフ()です。

萩市に本移住する計画が着々と進んでいます。セミリタイアすることを決めたことから始まった「環境の作り直し」のひとつの節目ですね。「楽しみ」「ワクワク」の方が強いのですが、若干の不安感もあります。慣れることで解消されるはずなんですけどね。

新しいことには不安がつきものですよね

日を追うごとに、長年暮らした東京を離れ、山口県萩市に本移住するときが近づいています。

これまでほぼ2年弱、東京と萩を行ったり来たりする二拠点生活を続けてきたのですが、移住となると、またちょっと違った心の動き方をするものです。

日数計算できるサイトで計算してみると、約38年5ヶ月ぶりに萩市民に戻ることになるんですね。

このブログでは、よく「楽しみ」とか「ワクワクする」的なことを書いているのですが、それなりに不安もあります。

不安と言っても、

  • 最寄りのコンビニまで徒歩18分(約1.4km)とかありえないな
  • ごみ捨てがややこしそうだな。24時間365日じゃないしな
  • 近所付き合い、どうだろ?
  • 親兄弟・親戚が、ゴチャゴチャ口出してくるのイヤだな

みたいな、どこにでもありそうな、とりとめのない不安感ですね。

新規案件の受注を停止して、セミリタイア人になることに決めてからのこの約2年間、次々と慣れないことに向かい合って来たのですよ。

この萩への移住で、ようやくひと段落できそうです。

とりわけ、オッサンになると新しいことに挑むのが億劫になるのですよ。
状況を変化させることが、手間に感じてしまうんですよね。

ちょっとややこしい言い方になりますが、50代も半ばになると「この場所、居心地が悪いから移動する」というワケでもなくて、それなりに今いる場所で、それなりに好きなものに囲まれていたりするものなのです。

いまさら新しい「好きなもの」を求める動機が弱くなっているのです。

それでも、まだうっすらと残っている「もっと眺めのいい場所があるに違いない。歩こう」という動機に突き動かされるものなのですよ。

自分の好きなこと、慣れ親しんだこと、コンフォートゾーンの中にいると、そのまま人生が終わってしまうように感じるのです。

慣れてしまえば不安は解消されます

本来、人はその気になればいつでも、新しいものに触れることはできるし、それを求めて移動できるはずなのですよ。

そしてそれは、このブログで何度も書いているように「楽しみ」ではあるのです。

ただ、同時にこれまで体験したことのないものとの出会いもあります。
現時点では、好きでも嫌いでもないものなのですが、だからこそ不安感を持つのですね。

現実には、新しい環境での生活が始まると、好きでも嫌いでもなかったものが「好き」に変わったり、「嫌い」だと判断して、その対応策を考えたりしながら次第に慣れるものだとは思っています。

「慣れる」とは、よくわからない行為を繰り返すことなんですね。

その過程は決して快適なものではないに決まってるのですが、何度も繰り返すことによってだんだんと無意識化され、そして結果的に不安感は解消されるのです。

思い起こせば、はじめてエレベーター付きのマンションに住んだとき、出入りのたびにエレベーターを使うことに違和感があったし、他の住人と一緒になったときには「どんな会話をしよう」とドキドキしていたし、ゴミ袋を持ってるときには「臭ってないかな?」と不安になったりしたものでした。

結局、ひと月も経たないうちに慣れちゃったんですけどね。

慣れると「エレベーターって便利だな。これのない生活なんて考えられないな」などと思うようになり、好きでも嫌いでもなかったものが「好き」に変わるんですよね。

「嫌い」のまま残るものって、慣れることができなかったものだろうと思うのです。
でも、通常の生活環境の中で体験することの中に、さほど「嫌い」なものってないようにも思うんですけどね。

まあ「この坂道があるから、自転車イヤなんだよ」とか「この信号、赤が長い。遠回りしたほうが結果的に早道だよ」みたいなのは、いくつもあるんでしょうが、さほど気になるようなものでもありませんしね。

概ね「好き」の分量が多めであれば「好きの中の、ちょっとしたアクセント」として吸収できる程度ですよね。

まあ、そのうち慣れるでしょ

「初めてのことを体験しなければならないところに、不安を感じる」と前述しましたが、それを「好き」と感じるか「嫌い」と感じるかの境目って、最初のちょっとした好感だったりもするのかな? とも思います。

好きでも嫌いでもない状態で、何度か体験を繰り返して「慣れる」という過程を経ずとも、最初の頃に「あ、気持ちいい」という感想を持つことで、いきなり不安は解消されることもありますよね。

僕の場合、移住先の萩市は大学進学で東京に移住するまで、ずっと生まれ育った街なのです。

しかも人口5万人にも満たない小さな地方自治体だし、旧城下町だし、僕が暮らしていた頃と比べ、さほど大きな変化はないのです。

観るもの出会うものの大部分が「懐かしい」のです。
懐かしさって「好感」なんですよね。

事実、二拠点生活中に訪れたり、回ったりした場所、出会った人々は、とても高感度の高いものでした。
ただ僕の立場は半分、観光客みたいなものですけどね。

人によっては「萩の人は口うるさい。萩はむつかしい」ということを言いますが、おしなべて僕の印象はポジティブです。生まれ育った故郷だというバイアスを除いても、そう思います。

「田舎暮らし。旧城下町ならば地雷率低い説」を唱えているのですが、何のエビデンスもありませんし、うまく考えがまとまっていないので、これはこれでまた別に書いてみようと思っています。

繰り返しになりますが、慣れないことに向かい合うのは、誰だって不安だし億劫なのですよ。
でも、慣れていることだけを繰り返していては、視野も選択肢も広がらないのです。

「まあ、そのうち慣れるよ」と思いながら、萩へ移住する日を指折り数えています。

先日投稿した「だんだん見えてきた、2ヶ月後の未来」で書いたように、その前に半月ほど萩に滞在して、いろんな準備をしなければならないんですけどね…。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。