follow hagi.life

無職って毎日が休みなのです。当たり前だけど

2020.06.26

こんにちは、萩ドットライフ()です。

すごく当たり前のことなのですが、僕は毎日が休みです、無職なのですから。当然、毎日ヒマにしています。では、やることがないのかというと、そんなことはなくて「やるべきこと」も「考えるべきこと」も、すべて自分発信で実行していく毎日なのです。

無職は、毎日が休みです

昔っから「休み欲しいって言ったら『わかった、じゃあ一生休んでろ』って言われそう」みたいな慣用表現があって、ずっと仕事を失うことに怯える人生を送ってきたのですよ。

人生って言っても、フリーランスのデザイナーになってから「セミリタイアするために、いったん無職になろう」って決めるまでの四半世紀程度ですけどね。

ものすごく当たり前のことなのですが、無職になると毎日が休みです。

どのくらい当たり前かと言うと、こうしてブログでも書いていないと「オレ毎日休んでるな」と気付かないくらい、毎日が休みなのです。

おそらく「働く」がないと、人は「休む」を認識しなくなるのでしょうね。

ずっと休みながら生活を送っていると、ちょっとしたことに「忙し」を求めたりもしますね。
「ゴミ溜まってるな、捨てにいかなきゃ。あ、でもコーヒー淹れちゃったから、これ飲まなきゃ。ダメだ忙しい」みたいな感じ…。

自分でも「バカなこと考えて1日過ごしてるな」とも思うのですが、これはこれで快適なのです。

世間的には「休み」と「仕事」はトレードオフの関係なのですよ。
「ここ数日、根を詰めて働いたな、2・3日ゆっくり休もう」とか「ここんとこ気が乗らなくて休みがちだぞ、ヨシっ気合い入れて仕事しよう」みたいなことを、行ったり来たりしますよね。

無職になると、これが一切なくなるのですよ。

とはいえ僕の場合はセミ無職なので、ほんのちょっとだけ「今日は作業しなきゃ」が残ってるんですけどね。

でもまあ「ダメな人」のカテゴリに分類されるのだろうなあという自覚はあります。

人間って、うまく変化に順応してくれる

では、罪悪感があるのかというと、不思議とそんなものは微塵もないのですよ。
おそらく、僕がずっとフリーランスで「昼間っから家にいるし、平日に近所を半ズボンで歩いてるオジサン」だったからだろうと思います。

実際、数週間にわたって仕事がないときなんてザラでしたし、いっときメインクライアントを戦力外になったときには2年間にわたって「ほほ無職」体験もしたことがありますしね。

フリーって、どこかしらで無職になる練習もしてるものなんですよね。

気にすべきは、自分の無職生活を支えてくれる資金面だけでした。
こればかりは、ずっとあ〜でもないこ〜でもないと皮算用を繰り返してきましたし、無職になったいまでも世界株式の値動きは、一喜一憂しながら観測し続けていますけどね。

ずっと「仕事で成果を上げて、所得を得る。他人から評価される」ことこそが、生きてる証だと思っていました。
でもこうして毎日休んで暮らしてると「働かずに、なんだかんだ考えながら過ごす」ことも、これまた生きてる証だと思い始めているのですよ。

僕はまだ無職になって9ヶ月程度です。

だんだんと「毎日が休み」であることに慣れてくるんですよね。
昨日「不安感は、慣れによって解消されます」という記事を投稿したのですが、なんだってそうなのですよ。

かつて、朝起きたらまずToDoリストを確認しつつ仕事にとりかかることが当たり前だったように、無職になると、僕の場合はこうして朝の起きぬけにブログを書くことを日課にしていますが、このあとテキトーにランニングに出かけたり、取り留めのないことを考え始めたりすることが、当たり前になるのです。

このふたつの「当たり前」は、僕の中では等価なんですよね。

毎日のToDoリストは自分発信で

毎日が休みだと、暇です。
でも「暇」だといっても、やることがなくて1日中手持ち無沙汰でいるわけでもないし、大して楽しそうでもない会合への誘いに応じやすい状態でいるわけでもありません。

「暇」とは、100%自分発信のToDoリストを作って実行できる状態なのですよ。
実際は100%というのは言い過ぎなのですが、それ風な理解で構わないと思います。

わりと充実感あるんですよね。

無職になって気付いたのですが、無職にも「気分転換」って必要なんですよね。
考えてみると「そりゃそうでしょ」なのではありますが、職業人のうちは仕事と仕事の合間が、休息であり気分転換だったのですが、長い長い休息をしているときでも「ちょっと川辺を散歩してみるかな」とか「コンビニ行って、なんか買おう」みたいな、ちょっとしたアクセントって要るのです。

そして、仕事と仕事の合間なんてありませんから、そのタイミングは自分で完全にコントロールできるのです。

これまでこういうのって、あまり共感を得られるような話ではなかったと思うのですよ。
せいぜい、まったく仕事のない時期を経験したことのあるフリーランスや起業家とか、早くして職業人を離脱したセミリタイア組くらいにしか理解してもらえないような内容だと思うのですね。

でもそれが、この度の新型コロナ禍によって、多くの方々がリモートワーク(テレワーク)を体験され、なんとなく自分発進のToDoリストで毎日を過ごされたと思うのですよ。
(参考:リモートワーク(テレワーク)体験は、いかがでしたか?

この先、リモートワークが通常の働き方になるのかどうかはわかりませんが、その状態になる頻度や、採用する企業は間違いなく増えていくと思うのですよね。

当然、自分のスケジュール管理や環境づくりは、自分ひとりで自分好みに構築していくことになると思うのです。
かつて僕は、生意気にも「孤独を楽しむことで、人は成長するよ」という記事を投稿したことがありますが、このあたりがリモートワーク(=独り仕事)に順応できるかどうかのカギなのだろうと思います。

話を「毎日が休み」に戻すと、ToDoリスト(=やるべきこと)と同様に、考えるべきことも自分で選べるのですよ。
自分が関心を持ったことにじっくりと向き合いながら、問題意識を掘り下げてみたり、あれとこれをつなぎ合わせて何かしらの新しいものをこしらえてみたり、そんな生活を送ってみたいなあ、と思っているし、すでに始まっていることが嬉しいのです。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。