follow hagi.life

気の向くままに、暮らせる時代だから

2020.07.07

こんにちは、萩ドットライフ()です。

好きなところに住める時代は、好かれない街からは人が出ていく時代でもあるのですよ。一方的に「都市から地方へ」と語られがちですが、人々は人生のフェーズに合わせて、気の向くままに「住みたい街」を目指していくようになるはずだと思うのです。

「気の向くまま」で、アリですよね

時代が進んだからなのか? 僕がオッサンになったからなのか? 年々、思考と行動の可動域が拡がってるように感じるのですよ。

たとえば、今こうして無職になっているように「お金をいっぱい稼ぐよりも、ダラダラしたいときにダラダラすることを選択する」とか「気が向いたときに風通しの良い場所へ、見晴らしのいいところへ移動したい」みたいなことが、どんどんやりやすくなってきているのです。

当然、無職になるときには「これまで一緒に仕事をしてきた人たちに迷惑かけちゃうな」とか、「僕が口にする『無職』というワードを面白がってくれる人には言えても、親に対しては少しボカして伝えよう」みたいな呪縛はありましたけどね…。

やってみりゃ、なんとかなるものです。

気がついてみれば「気が向くまま」に生きるのがアリな時代になってるように思います。

「みんな自分が思うように、好きなように生きていいんだよ」なんて、現在50代半ばの僕が子供のころから幾度となく聞かされた言葉でしたが、「そうもいかないよな。食っていかなきゃどうしようもないもんな。いろんなしがらみもあるしね」というのが現実でしたよね。

それが、組織に所属しなくてもフリーで仕事もらえるようになったし、ネット上でやりとりするようになってFAXが不要になり、大容量ファイルもネット経由で送付するようになったのでバイク便も来なくなり、常にオフィスにいる必要がなくなりました。
(参考:僕がリモートワーカーになった20数年前と今を比べてみよう

そして、今回のコロナ禍の影響で、会議やミーティングもオンラインで済むようになっちゃいましたからね。

これからは「住む場所も、好きなところを選べばいいじゃん」な時代に変わりつつあることを感じますし、ググればそれっぽい記事がいくらでも見つかります。

どんな働き方をしようが、どこで働こうが、自分で勝手に選べばいいのですよ。

これ、たぶん僕がずっとフリーランスで働いてきたし、そしていま無職になってるから、こんなお気楽なことが言えるんでしょうけどね。

当然、探すと「そんなに簡単なもんじゃない」論も見つかりますので、そっち側の言説も参考にされたほうがいいと思います。

また、オッサン・オバサンになることも、好きなように振る舞えるひとつの要因だと思うのです。

「年嵩になって、社会的地位が上がって、意見を通しやすくなるから」みたいな方もおられるかもしれませんが、僕のような平凡なデザイナーなどは「オレ、もう居なくてもいいじゃん」という気になるのです。

毎年々々、若いデザイナーがどんどん市場に供給されてきますし、キビキビ働くし、新しい技術を持っていたりして、とても良いのです。

だから僕が「無職になるからね」って抜けても、誰も僕がいなくなったことにすら気づかずに、社会はなんの問題もなく回り続けるものなのです。

人は、好きなところに住みたいのです

先日「田舎に住むメリットなんて、なくていいんじゃないかな」という記事を投稿しました。

別に、なにかのメリット(=損得)を求めて地方移住するんじゃなくて、おそらくそれが僕の人生において心地よい体験だと感じるから、そうするのですよね。

前述の通り、オンライン会議が一般的になって、好きなところに住める時代になりつつあります。
ちまたでは都市から地方への移動が起こるような話がなされていますよね。

でもこれ、短絡的に「都市 vs 田舎」で考えないほうがいいと思うのですよ。
人は、田舎に住みたいのではないのです。人は、好きなところに住みたいのです。

今、都市生活をしている地方出身者の方々、大学進学や就職で生まれ育った街を出るとき、心のどこかで「やっとこの街から脱出できる」「あこがれの東京(大阪でも札幌でも…)で暮らせる」みたいな感覚ってありませんでしたかね?

多くの人にとって、刺激のある都市こそが「住みたいところ」だったりしません?
(参考:地方から若者が流出するのは仕方ない

だから、安易に「アフターコロナは地方の時代だ」と考えるのはどうなんだろ? と思うのです。

自分が選んだ街が、好かれる街であってほしいな

僕は好きで、山口県萩市に移住します。
新型コロナ関係なく、数年掛かりで計画を進めてきましたからね。

だけど反対に「リモートで働けるのなら」と、萩を出ていく人がいても何の不思議もないのです。

人口5万人足らず、買い物やレジャーには少々不便だし、他人のウワサ話が住民の娯楽という山口県北部の街の仕事を請けながら、利便性の高い福岡市や広島市に転居するコースも当然考えるべきだと思うのですよね。

たまに「どうしても対面ミーティングを」という話になっても、車で2時間程度で移動できますからね。

好きなところに住める時代は、好かれない街からは人が出ていく時代でもあると思うのです。

豊かさの概念って、人生のフェーズによって変わってくるんですよね。

いまの僕は「ダラケたいときに誰に気兼ねすることなくダラケたい」「行動を起こしたいときにパッと動きたい」といったように、気の向くままに暮らせること。ちょっと歩けば海も山も川もあり、心地いい風が吹いていることが豊かだと感じているのです。

オッサンになったし、働かなくても死なない程度の資産を構築することができたからです。

人によっては、刺激を与え合える人といつでも会える環境にいることが豊かさだったり、使えきれない額のお金を稼ぐことだったり、子供の教育に最適化した環境を得ることだったり、「豊かさ」って様々なのですよね。

だから「住みたいところ」も、人生の折々で変わっていくのが自然だと思うのです。

まだ、ちゃんとした考えがまとまっていないのですが、僕はうっすらと「むかし城下町だった田舎は、好かれる街になりやすいんじゃないかな?」という仮説を持っています。

旧家・名家のようなものが残されていたり、古いものがきちんと保存されていて、そこそこの知的レベルが担保されているのですよ。

また、昔から人の出入りが盛んだったはずなのです。

住みたいところを求めて街を出ていく人を応援するし、住みたいところを探し求めている人の琴線にふれる文化や街並み、自然を有していて、人々も暖かく受け入れてくれる。

そんな文化が根付いていて然るべきだと思うのです。

当然、みんながそうだとは思いませんが、そういう人が一部でもいること、そういう人の存在を感じることがとても大切だと思うのです。

そんな街が「好かれる街」なのだろうと思うし、僕が選んだ街がそうであって欲しいなあ、と思っているのです。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。