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見えなくなったものからは、関心が薄れますね

2020.12.22

こんにちは、萩ドットライフ()です。

日中の居場所を移動したら、あれだけ気になっていた裏庭の状態から関心が薄れました。それまで「雑草の芽が大きくなった」と言っては抜きに行き、「落ち葉が溜まってる」と言っては掃きに行ってたのです。その原因は「見えてたから」なんですよね。

寒くて、作業場を移動しました

先日投稿した「睡眠の妨げになるものは…」でも書いたように、作業場を移動しています。

作業場とは、日中ずっと過ごすための作業台(長めの事務机)があり、そこに3台のPCとタブレット、書類ケースやら筆記具が「いつもどおり」に配置されている場所のことです。
長年の職業人時代を過ごしてきたままの環境に今も身を置いているんですね。

あることをきっかけにダイニングテーブルを使わなくなり、長らく食事も晩酌もこの作業場で済ませる習慣になっています。
萩に移住してきても、東京時代のままです。

すでに無職なので、セミリタイアの「セミ」の部分(ほんのちょっとの労働と、法人を維持するための事務作業)以外は、作業でもなんでもないんですけどね。
職業人時代の習わしのまま「作業場」と呼んでいるのです。

それを北側の、サッシ越しに裏庭が見える板の間の部屋から、寝室の隣の窓のない部屋に移動してきたのです。
現在、我が家には1台しかエアコンを設置していません。それが寝室なんですね。

だから、日中でもエアコンの影響を受けられるように、寝室の隣の部屋を作業場にすることにしたのです。

余談ですが、窓のない(採光が十分ではない)部屋は、建築基準法上での「居室」とは定義できません。
なので、畳敷の和室であっても扱いは「納戸」なんですね。

マンションの間取りでは、よくS(=サービスルーム)という表現が使われます。

そのサービスルームに作業場を移動したのです。

理由は簡単で「寒いから」ですね。

しばらく北側のサッシに面した、板の間の3畳間にオイルヒーターだけを置いて、ダウンを着て過ごしていたのですが、先週襲ってきた寒波に耐えられなかったのです。
もう、空気が痛いのですよ。

作業場ではキャスター付きの椅子を使っていますので「板の間にしか居られないよな」と思っていたのですが、寒さに耐えかね「チェアマット敷けば、畳の上でも大丈夫だろ」と、解釈を変更することに…。

移動して1週間目ですが今のところ大丈夫そうです。

常時見えなくなった裏庭の状態、関心が薄れました

いっときよりも、少しは寒さも緩みましたかね。
それと、だんだんと身体が寒さに慣れつつあるのかもしれませんね。

寝室とサービスルーム、併せて10.5畳の部屋に6畳用のエアコンとオイルヒーターで過ごしていますが、なかなか快適です。

なにぶん古い戸建てですから、障子やガラス戸、シングルガラスのアルミサッシ、土壁と、冷気を感じる箇所はいくつもあるんですけどね。
(参考:築56年の土壁の家、寒いっ!

それでも、北側の3畳間よりは全然快適です。

ただ、この移動によって、裏庭の状態があまり気にならなくなったのですよ。
理由は簡単で「視界に入らなくなったから」なのだと思います。

それまでは、窓の向こうに陽差しを感じる度に、カーテンを開け「また見たことのない鳥がやってきてるなあ」とか「積んである草、そろそろ燃やせるくらいに乾いたかな?」などと気にしていたのですよ。

視界に入れば、その他のことも気になるもので「雑草の芽が大きくなってるな」と感じれば抜きに行き、「落ち葉焚きピットの燃えカスが、風で散ってるな」と思えば掃き集めに行ったものでした。

1日のうち2・3回は裏庭に出て、状況の変化をチェックしたり、細々(こまごま)とした作業を見つけてやってたりしたんですけどね。

それが、作業場を移動したとたんに裏庭に行かなくなってしまいましたね。
考えてみると、1日に数回も裏庭を鍬や熊手を持って歩き回ってるほうが異常なんですけどね。

それでも週のうち何度かは枯れ草や乾いた木の枝と一緒にゴミを燃やすことにしています。
そのときに庭をグルっと回って「何か変化はないか?」と見回る程度になってしまいましたね。

まあ、この1週間で感じた変化に過ぎないので、また何かを気にするようになれば行動も変わるんでしょうけどね。

なにぶん初年なので…

思えば、夏場から秋口にかけて「木を切るぞ」「根を抜くぞ」と大騒ぎしていた前庭も現在放置中ですからね。
僕ひとりで管理するには、約100坪の土地は広すぎるのですよ。

今は冬ですから、外構部に気が行かないだけなのかもしれませんね。

マンション暮らしをしていると、自分の家の中に四季があるって感覚が乏しいんですよね。
そりゃ衣服を替えたり、空調を考えたり、日差しが変わったりはしますけどね。

夏になると、鬱蒼(うっそう)として足を踏み入れることができなくなる場所があるとか、冬になると落ち葉で地面が見えなくなるとか、考えたことありませんでしたもんね。

僕も何年かここで暮せば「足を踏み入れられない場所なら、ほっといていいんじゃない?」とか「落ち葉なんて、そのうち土になるんだし、いくら掃いてもきりないよ」くらいのことは思うようになるのでしょうが、なにぶん初年なので、気になっちゃうんですよね。

目に見えてしまうのですよ。

ちょうど今回、「作業場を移動したら裏庭の様子が気にならなくなった」という体験をしました。
暖かくなればまた北側の3畳間に作業場を移動します、そしたらまた裏庭の様子を気にする生活が始まるんだろうと思います。

おそらく来年は、今年ほど神経質に荒れ見つけるたびに均しに行くようなことにはならないような気がします。
そうやって、だんだんと自分が暮らしやすい家になっていくんでしょうね。

関心を持つと、見え方が変わる

そんなことより、さっきからバタバタと屋根の上を動物が走っています。
イタチなのか、ネズミなのか? 幸い、屋根裏には入り込んでいないようなので、さほど心配はしていないのですが…。

こんなことも、東京でマンション暮らしをしていると、絶対に体験できなかったことなんですよね。
まさか僕が「イタチ+屋根裏+追い出す」とか「伐根+道具」みたいなワードでググり回りる日が来るなんてこと、思いもしませんでした。

裏庭の様子のように、視界に入らなくなったものの関心は薄れます。が、それは反対に「目に見えたものには関心を持つようになる」ってことなんですよね。

先日投稿した「ホントだ。見たいものが見えるんだ」で、「萩ってコウモリ多いですよ。夕方とか夜明けごろとか見てください、飛んでますから」という知識を得たらホントにコウモリの姿が見えるようになった話を書きました。

その後「コウモリ+夜+巣」とかでググってみました。
「うちのどこかが巣になってることってないよね…?」って疑いをもったからです。

だって、庭にコウモリの死骸(たぶんイタチの獲物)が転がってたことがあったんですもん。

たぶん、行ったり来たりなんでしょうね。
目に見えたものには関心を持つ、関心を持つとさらに詳しく見えるようになる。そしてもっと関心が深まる。
そして、思考を繰り返す。

いわゆる「解像度が上がる」ってやつですね。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。