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景色って、変わるものですね

2021.03.09

こんにちは、萩ドットライフ()です。

当たり前だと思っていたことが、いつの間にかそうじゃなくなってるし、「変わったな」と感じたことが、まだまだ変化の始まりの段階に過ぎなかったりして、視覚的なものも習慣や生活スタイルも含めて、景色ってずっと変わり続けるものなんですよね。

車でグルっと回ってみた

ときどき、暮らしている街のあちこちを用もないのに、グルっと回ってみたりしています。
理由は、車を買って少し行動範囲が広がったし、寒さが緩んで外出欲みたいなものが感じられるようになったからです。
(参考:四駆の軽トラがやってきた

いま暮らしている、生まれた街・山口県萩市で、車を使う生活をするのって実は初めてなんですよね。
大学進学とともに東京に移り住んだのですが、その頃のほとんどの同級生がしていたように、萩にいる間に運転免許を取らなかったからです。

実は、自動車学校に通い始めていたのですが、大学のバレー部から春合宿への参加の誘いがあり、そちらを優先して途中でやめてしまったんですよね。
なので、1回目の運転免許を取得したのは大学卒業時です。

そのとき取った免許も長い東京生活の間に失効してしまい、2回目の取得のお話は「50代半ばにして、自動車運転免許を取りました」をご参照ください。

初めて通る道もあれば、何十年も前に友達と自転車を並べて通った道もあります。
心にグッとくるのは、後者のほうですね。

おそらく僕がオッサンになっているので、懐かしさみたいなものに過敏になっているのでしょうね。

「あ、ここのガソリンスタンド閉店してるじゃん」とか「◯◯自動車の販売店、なくなってる」…。
そして、その両方とも空っぽの建物がそのまま放置されてたり、ね。

「◯◯君ちに遊びに来たとき、ここのお店屋に一緒に来たな」って記憶のある個人商店が、看板だけはそのままに経営している様子がなかったり…。

当然、市外・県外資本の大型スーパーが思いもよらぬところに開店してたりして「ほう、こんなところにスーパーが。この辺の人は便利になったね、住宅も増えてるしね」という光景にも出会うんですけどね。

どうしても「この街も、すっかり寂れちゃったなあ」という変化のほうに目が行くものなんですよね。

ちょっとずつ街の重心って変わるものだね

数十年ぶりに、この街で暮らし始めた僕にとっては「こんな道ができてる」「このビルがなくなってる」「街なか、駐車場だらけじゃん」と、驚きとともに変化を「発見」しているのですが、ずっとここで暮らしてる人々にとっては、少しずつ変わった上での今、なんですよね。

変化の理由には、人々の暮らし方の変化も影響していると思います。

僕が子供時代、車はオッサンが乗るものであって、オバサンは乗っていませんでした。
男女を問わず運転免許を取り始めたのって、僕よりもひと世代くらい上の方々からじゃないでしょうかね?

だから夕方の買い出しは、徒歩や自転車でするものでしたよね。
近所に個人商店もありましたけど、街の中心部にある商店街は生活に欠かせない存在でしたよね。

それがいつしか、みんなが車で郊外の駐車場付きの商業施設に行って、まとめ買いをするようなスタイルになりました。

そこには「大店法」がどうのこうのっていう、政策的な要素も含まれてたりするんでしょう。
でも、あまり詳しい分野でもないので「みんなが車で生活するようになったから、商業施設が郊外化したね」くらいの解釈にとどめておきます。

この変化も「ある日突然」なわけないんですよね。

「あそこに大きな建物が建ってるよ、なにができるんだろう?」みたいなのを繰り返しながら変わっていったんですよね。

なんとなく「街の中心部」に近づかなくても何も困らないような方向に、街が変わってる印象を受けました。
便利さを求めた結果、そうなっちゃったんでしょうね。

僕が見てるのも、変化の途中の景色なんだよね

いま、どこの商業施設、公共機関を訪れても、中にいる人はマスクをしていますし、エントランスには消毒用のアルコールが準備されています。

そんな状況になって、もう1年以上が経過してるんですよね。
これは「ちょっとずつ」変わった景色ではなくて、新型コロナ禍のために急速に訪れた変化です。

おかげで、
「子供の頃からやらされてた手洗いには、ちゃんとした効能があるぞ」
「給食当番のときにつけさせられてたマスク、無駄じゃなかったんだな。なかなかいいぞ」
みたいなことになっています。

おそらく、この危機が去っても、なんとなく習慣として残るんでしょうね。
今ほど神経質でもなくなるんでしょうけどね。

たぶん「不要な三密は回避しよう」ってのも、新しい習慣に加わるんでしょうね。
かつては、人がギュウギュウになってるイベントを「盛況」って表現していましたが、おそらく「歴史上」の話になるのでしょう。

これからも不特定多数の人が集まる場所の入口には、アルコールが置かれ続けるんでしょうね。
シュッシュってやる人の割合は減るのかもしれませんけどね。

マスクをしてる人って以前から多かったけど、もう少し増えるんでしょうかね?
僕も、普段はしてないけど、バッグの中に持ってて「密だな、するか」って感じになりそうな気がしています。

「変わったな」が、「当たり前」になる

僕が保育園に行き始めるくらいの頃かな…?
家の前を含め、周囲のいろんな場所で道路がアスファルトで舗装され始めたのですよ。

お店の並ぶ「大きな道」は舗装されてたけど、住宅街の中はまだ砂利道の多い時代だったんですよね。

僕の家の前の砂利道が、独特の匂いとともに、黒い道に変わっていったのです。

それからしばらくは「うちの道が黒くなった」と興奮してたものです。
どこからか落書き用の蝋石も入手していました。
裏路地の舗装工事の進捗とともに、道に何か書いて遊んでる子がいっぱい出現したんですよね。

小学校に通い出す頃には、すでにそれが「当たり前」になってしまっていて興味はなくなっていました。
「道が黒くなった」という興奮は、半年も持たなかったんじゃなかったかな? 子供はすぐ飽きますからね。

買い物は車に乗って駐車場付きのスーパーに行くのが当たり前だし、財布じゃなくてスマホとクレジットカード、マルシェバッグを持つのが当たり前になりました。
車にはマスクを常備していて、下車するときに付けるし、何も考えずにエントランスでアルコールでシュッシュってやります。

ときどき「はじまり」の頃を思い出してみるといいですよね。

財布を持つたびに「こないだ、apple payにカード登録したじゃん、現金やめたんだった」ってことに気づいて持ち替える時期がありました。

「そうそう、今月からレジ袋有料なんだよな」って、マルシェバッグを取りに戻ったり。
「ヤベっ、マスク忘れた。ま、いいか」って、こそこそと買い物済ませたり。

いま「当たり前」だと思っていることも、実はまだ「はじまり」のうちなのかなあ、などと思ったりもします。
この延長線で、まだまだ景色は変わり続けるんだろうな、と。

街の景色と同じで「なんだか寂れちゃったな」と思うこともあれば「こんなふうになるなんて想像もしなかった。スゲえな」という方向に行くこともあるんでしょうね。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。