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点を作ってりゃ、そのうち線になるでしょ

2021.03.10

こんにちは、萩ドットライフ()です。

いまの僕がやってることって、行き当りばったりで気が向いたところに、点(=ドット)を打っていってるようなものなんですよね。そのうち点を結んで、線になるときがやってくるんじゃないかと思っています。でも、なんの計画性もないんですけどね。

あ。オレこんなこと書いてる

こうして毎朝ブログを書き続けていると、自分で思いもよらぬことを書いてたりするものなんですよね。
「ん? オレこんなこと考えたことないよ」って内容を書いてたりすることもあります。

それよりも、後から読み直してみて「そうそう、こういうことが言いたかったんだよ。もうすでに書いてたのね」なんてことが多いのです。

寝起きにダーッと書いてるものですから「考えてることを吟味してたら、こんな言葉になっちゃった」とか「おっ、これはなかなか気の利いた言い回しだぞ」みたいな頓着のないままに走りきっているのです。

先日投稿した「この暇、苦労の末に作ったものなんだけど…」という記事の中で、

抽象的な表現をすれば、行き当りばったりで自分の気が向いたところにドット(=点)を打っていってるような作業を繰り返しています。
ほら、このブログのタイトル「萩ドットライフ」ですしね。

この先、そのドットを線で結ぶ日が来るかどうかは、いまのところ謎です。

なんてことを書いていますね。

あとから読み直してみて「そうそう、今のオレまさにこんな感じだね」などと、独りごちたりしています。

仕事をやめているので、締切があるわけでもなく、目指すべきテーマがあるわけでもなく。かといって、老い先短いわけでもないので、無計画に好きなことを思いつくがままに繰り返してる状態なのです。

若かりし頃から、計画性の重要さはあらゆる場面で口酸っぱく言われてきましたし、自分でもそう信じていました。l
けれども最近「計画なんて、むかし思ってたほど重要じゃなくなってるかもよ」みたいなことも考えています。

たとえば「半年後に、このサービスをローンチするぞ」とか「このWebサイト、必ず月内に公開!」みたいな短期計画は構わないと思うのです。
でも、5年先10年先みたいな、中長期計画となると、今の僕が作ったイメージなんて、すぐに役立たずになっちゃうんですよね。

これについても先日投稿した「職業を失ったら、思考の幅が広がった」で、

3年後どうなって、5年後には…10年後は、とか、もうどうでもいいのですよ。

無職になることを決める頃にぼんやりと思っていたのですが、今の段階でイメージする中長期計画なんて意味ありませんよね。
僕の想像をはるかに超えて、社会の変革のスピードが爆速化してるのですよ。

思いつきの行動をポンポン繰り返していくのが、いちばん理に叶ってるように感じたんですよね。

なんてことを書いてましたね…。
たぶん、最近こんなことばかり考えてるんでしょうね。

まだ「良いご趣味」を持つわけにはいかないのです

オッサン・オバサンになると「齢を重ねてきたからこそ、たどり着いた境地」みたいなものを感じる機会が増えてきます。

油っこくて味のはっきりした料理よりも、薄味で深みのあるものに高級感を感じたりだとか、オーディオシステムから流れる音楽よりも、窓越しに聞こえる鳥のさえずりに落ち着きを覚えたりだとか…。

そんな感じのやつです。
必ずと言っていいほど「若い頃にはわからなかったな」という感情とセットになってやって来る、あれです。

おそらく、そういうものを「センス」だとか「美意識」「品(ひん)」などというのだろうなあ、とは思うのです。
そういうものを感じるようになった自分が、少々嬉しくもあります。

ただ、それ一辺倒になるのは、ちょっと違うと思ってるんですよね。

むしろ「自分がたどり着いた境地を高く見積もっちゃうと、マズいんじゃない?」ということを考えるのです。
意図的に自分をそう仕向けてる部分もありますけどね。

このへんについても、昨日投稿した「景色って、変わるものですね」でも似たようなことを書いていますが、自分では「変わった」と思ってみても、これから続くもっと大きな変化の「はじまり」に過ぎなかったりしますしね。

「若い頃と違って、少しは趣味良くなってきたかな」と思っても、あらゆるものごとをその水準で考えることには抗っていたいのです。
どこかしらで、そういうのが「老い」の象徴だと思ってるからなんでしょうね。

あまり「あれやる」「これやる」言うのもあれですが…

前々項にて「行き当りばったりで自分の気が向いたところにドット(=点)を打っていってる」という過去記事の文言を引用しました。
「点を結んで線にする」なんて、昔っからある言い回しで、別に僕が考え出したわけでもありませんけどね。

ちょうど、引用するにピッタリな状態にいるのがいまの僕なのです。

実は、自分の中ではなんとなくの「あれやって、これやって」はイメージはあります。

でも、いろいろやっていくうちに嘘になったり、すでにこのブログで述べていることの進行に影響を与えたりしそうなので、あまり口先だけでペラペラ「あれやる」「これやる」言い続けるのは自制しています。

言ったり書いたりしたほうが、あとに引けなくなって背中を後押ししてくれるという利点もあるので、どっちがいいのかは良くわかってませんけどね。
(参考:書いちゃったんだから仕方ない、やらなきゃ

とにかく今は損得勘定がなくなりましたから、職業人時代なら「こんなときに、そんなことを?」って言われそうな新しいことに取り組めることが、楽しくて仕方ないのです。

「うまくやる」必要なんて全くありませんしね。
落ち着きなくバタバタしているし、「つまんなかったら、やめちゃえ」みたいな逃げ道も作ってるし、趣味の良し悪しで言うと、ぜんぜん良くないのです。

たぶん「セミリタイア」という言葉から得られる印象とはかけ離れているのかもしれませんが「やることはあるよ、あれもこれも」と言ってるのが僕の性分に合っているのかもしれません。
「まだ無職になったばかりだから、最初の◯年くらいは…」という感じでもなくて、まだまだこの先まで、ずっとこんな感じだろうと思います。

なかなか「趣味良く」「落ち着く」方向には行けないのです。

簡単に言ってしまえば「リハビリ」だな…

繰り返しになりますが「点を作ってりゃ、そのうち線になるでしょ」が、今の僕にとって一番しっくりくる表現なんですよね。
自分の周りがやりかけだらけになるのは「いかがなものか」とは感じますけどね。

フリーランスになって、自分の会社を持ったときも、最初は3人のスタートだったけれども、結局は開き直って独りになって、それからいろんなやりかけを作っていったから、なんとか食えるようになったんですよね。

もともとこういうのが向いてる質(たち)なのかもしれません。

無職になって、セミリタイアはしてみたものの、あまり「ゆっくり」「のんびり」でもなさそうです。

このブログで、以前「50代半ばにして、自動車運転免許を取りました」という記事を投稿したり、「第二種電気工事士の資格を取るよ」ってことも述べています。

そして新たに「基本情報技術者試験」にも挑んでみようと、参考書を買って勉強をはじめました。
たぶん、これもどこかで触れましたよね…。

こうして、いろいろ学習したり試験を受けたりしているのですが、僕が感じている印象は「リハビリ」です。
ずっとひとつのことを生業にしてきたからなのか? はたまた加齢のせいなのか? とにかく頭が固まっているのですよ。

いちおう、Webデザインに必要な新技術は学習し続けてきたし、流行もアップデートし続けてきたつもりだったんですけどね。
だからこそ、50代半ばを過ぎても、指名で発注していただけてたはずなんです…。

でもやっぱり、凝り凝りになってますね。
しばらくは、これまで使ってなかった頭の場所を使いつつ、次第にほぐれていく様子を楽しんでみようと思っています。

無職なので、暇はたっぷりありますから。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。