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標準って、実績と根拠のカタマリのことだと思うのです

2018.07.30

こんにちは、萩ドットライフ()です。

奇をてらったり「自由な発想」を表現したがる前に、精度の高い標準を目指すべきだと思うのです。「なんかフツーでつまんないな」とか「どっかで見たことあるんだよね」「今までになかったような発想を」的なことを言う前に「普通って悪いことですか?」と。

普通を嫌う平凡さ

「普通」とか「標準」ってスゴいことなんですよ。という共通認識を持ちたいのです。
多分に違わず、僕も普通を嫌っていました。カッコ悪いことだと思っていました。大人になってからはデザイナーという職業をしていますし、子供〜学生時代まではスポーツの競技者でしたから、まあ「普通じゃイヤだ」ってなりますよね。今から考えると、通過儀礼的なものかもしれませんし、今「普通ってスゴい」って言ってる自分はオッサンになっただけなのかもしれません。
このへんはよくわからないのですが「普通ってスゴい」って思っちゃった以上、そのことについて言葉にしてみようと思うのです。

とてつもない人っていますよね。「天才」「非凡」「鬼才」「魔人」いろんな呼称があって、「天才+類語」とかでググるといっぱい出てきます。
「自分も、その中のどれかで呼ばれたい」なんて思っていました。
だんだんと大人になり、社会人になり、フリーランスになると「普通になりたくない」「普通はイヤだ」「普通はカッコ悪い」と思うこと自体が凡人の発想なんじゃないかと思うようになったんですよね。

だって、僕から見て「すごいな」「とてつもないな」って思う人達って、自分から「普通じゃないアピール」なんてしないんですよ。
むしろ、普通のことを淡々とやり続けてるように見えました。普通のことを超高度に実行し続けているように思えました。「普通のことを、その人がやるからスゴいんだな」と。

もちろん「え? なんでそんなことできるの?」「いつそんなこと思いついた?」みたいな非凡なアウトプットやスーパープレイも混ざってくるんですが、それは日常的に、普通のことをキッチリやり続けてるからに他ならないように思うのです。
いつしか僕は「普通じゃイヤだ」から「普通のことをキッチリと上手にできるようになろう」と思うようになりました。

普通って多数派のことですよね

「普通であること」って、カッコ悪くなんかないと思うんです。
もちろん、自分のアウトプットの凡庸さにガッカリしたり、他人の非凡なアウトプットが羨ましかったりすることは、ずっと続きますけどね。「普通でいいんだ」って腹を決めたからって、消えてなくなるような感情じゃありません。

ただね。「普通」ってそれ自体に価値があると思うんですよね。なぜなら、多くの人から共感を持たれやすいと思うからです。自分がいいと思うものを他人がいいと思う確率が高いんですよね。「むしろ失っちゃいけない感覚なんじゃないの?」と。

自分のやることが他人に受け入れられると「オレって天才じゃん」とか思い始めたりしがちなんですが…。勘違いをこじらせて、フリーランスにまでなっちまったんですが。実は逆だったように思うんです。
普通の人だった、凡人だったからこそ、出会う人達のストライクゾーンに球を投げ続けられたんじゃないかな? と。
そうやって多数派コミュニティにいることを便利に感じることができたんじゃないでしょうかね。

「『自分がいいと思ったこと』『自分が欲しいもの』は、多くの人の共感を得られてるんじゃないかな?」みたいな感覚って、すごく自信に繋がりますよ。

腹落ちするところを探すと標準形にたどり着く

僕がやってるデザインの仕事現場だとですね「それだとフツーじゃん」「もっとトガッた提案してよ」「今まで見たことないようなものを見せてよ」ときどき、そういうクライアントさんや代理店の担当者に出会いますね。
まあ、文脈によって捉え方は大きく変わるので、一概にそういう言葉を口にする人を頭ごなしに批判するものでもないんですけどね。ま、その辺は人間関係だったりしますかね。

往々にして、素人さんとか未熟な方って「ここをちょっと変えてもらえます」「もう一個、こういうパターン見てみたい」みたいに自分テイストを気まぐれに押しつけて満足感を得ようとしますよね。
こちらも仕事でやってますから「プロの仕事にシロートがケチつけるんじゃねえ」とまではいいませんが、プロは全体の工程を考えていろいろやってて、そういうのもすでに検証済みだったりするんですよね。
その担当者が言い出しそうなことを先回りして「こういうのも考えましたが、ダサかったので却下しました」みたいなことをいう場合もあります。

限られた予算、スケジュールの中でいろいろ考えていくと、どうしても普通。そのクライアント、その分野での標準形に落ち着くことが多いと思いますね。
コンプライアンス的なことだったり、CI(コーポレート・アイデンティティ)、BI(ブランド・アイデンティティ)などなどの、いろんな決めごとを含みますし、これまでの実績を踏まえた方法論を重要視しがちであるということが原因ですね。
関わる多くの人を説得するカタチをしていなければならないという理由もありますね。

凡人は生存のために、数打ちましょうかね

とは言え「普通のアウトプットを、普通の頻度で、普通のスピードで」ってのも、ワリと難易度高くて、訓練を要することだと思うのですね。
ところが「誰でも思いつきそうなことを、高速連打」することができれば、かなり貴重な存在になり得ると思うのです。
だから僕は「オレ程度の人間が思いつくことなんて、世界中で数万人が同時に思いついてる」と思うようにしています。だから「すぐやらなきゃ」「何回もやらなきゃ」なのです。
その中で何かが当たってくれればヨシなのです。

ざっと、読み直してみたのですが、どうもいつも考えてることと違う仕上がりになっちゃいました。
ま、いいか、同じようなことを日にちを置いて、また書いてみよう。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。