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甲子園やってるから、根性について考えてみましょうかね

2018.08.15

こんにちは、萩ドットライフ()です。

根性論が忌避されてますよね。概ね「根性論を持ち出すやつはアタマを使ってないダメなやつ」で合ってると思います。準備や思考という工程を経ずに、なんでもかんでも「根性」で片付けられるわけがありませんよね。でも「根性」ってなんなんでしょうね?

「根性」についてちゃんと考えたことなんてなかったな

高校野球やってますよね。実は、一回も観たことないんですよ。プロ野球も一試合通してみたことないですね。WBC(World Baseball Classic)は、リアルタイムじゃないけど、動画サイトで何試合も観ました。
「野球どこのファン?」って聞かれても、いつもちゃんと答えられません。でも、ここ四半世紀くらい、聞いてくる人と出会ってないな。タクシーの運転手でも「話題といえば、野球」って人いませんよね。

今年は猛暑と相まって、大会前から選手たちの健康を心配する声が高まってましたね。
同時に「根性論」を批判する声がより強まってたように感じられました。SNS中心ですかね。
ところで僕、根性論についてちゃんと考えたことなかったんですよね。どういう意味なんだろう? はい、Wikipedia。

根性論:
根性論(こんじょうろん)とは、苦難に屈しない精神=根性があれば、どんな問題でも解決できる・またはどんな目標にも到達できるとする精神論の一つ。
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/根性論(2018年8月15日現在)

ということらしいです。

ちなみに僕は、中学1年(昭和51年)から大学4年(昭和62年)まで、バレーボール部でした。大学時代は関東1部リーグに属する、絵に描いたような「体育会」に属していました。僕らの代で2部に陥落したんですけどね…。
生活は合宿所でしたし、正直、練習はキツかったですよ。でも、ゲームで負けるのが1番イヤなので、2番目にイヤなキツい練習するしかないですよね。
昭和の体育会ですから、理不尽なことも多々あったんですが、それでもそんなに「根性・根性」言ってなかったんですよね。
中学も高校もです。すでに「口にするのがちょっとこっ恥ずかしい言葉」になってたんじゃないですかね?
今のほうが、批判目的で「根性・根性」言ってません?

「水」にも触れとかなきゃいけませんね

「根性論」と併せて「水を飲ませない練習」って言いますよね。これに関しては、実際自分が「水を飲むな」って場面に遭遇したことがありますし、他人から「練習中に水を飲めなかった」って話も聞いたことがありますから、いろんなケースが混在してた時代だったかもですね。

でも僕の経験では、中学・高校・大学(下級生時代)は、練習中は休憩を取って水分補給してました。
中学は水道水、高校は冷水機(冷たいかどうかは運)、大学はドリンク(粉溶かすやつ)です。
大学の上級生(3・4年)時代は、自分の練習の切れ目に自由に補給してましたね。

余談ですが、大学時代にチーム内で風邪が流行ったことがあり、部長が「ドリンクの回し飲みが原因だ」って言いはじめて、各自の背番号を書いたプラスチックコップで飲むことを義務付けられた時期もありました…。すぐに崩壊しましたけど。

僕が実際に「水を飲むな」って言われたのは、小学校の時に行った、お寺主催の宿泊体験みたいなやつです。田舎のお寺に何人かで泊まるんですが、たしか水道が未整備だったんじゃないかな?
そのお寺では、水を飲んじゃいけないかわりに、麦茶が置いてありました。アルマイトのやかんに、アルマイトのカップ。カップは使ったら竹籠の中に放り込んで、使い回しちゃいけないルールでした。
夏休みの「心得ブック」みたいなヤツにも「生水を飲まないこと」って書いてありましたね。湯冷ましを飲めってことなんでしょうね、無視してましたけど。

僕の考えでは、これが「練習中に水を飲むな」と密接に関係してるような気がしてるんですよね。単純な「根性論」と別の要因なんじゃないかと。
昔は、水にあたるケースが多かったんじゃないかな? 特に夏のきつい練習でバテてるときに水にあたると、相当危険な状態になったんじゃないかと思うんですよね。井戸水とか菌が繁殖したりとかしますからね。
あと、水中毒でぶっ倒れる話も、幾度となく聞かされましたね。「一度に大量に飲むな、回数分けろ」と。

「根性」って効きますよ

実は僕、どこかしらに「結局、最後は根性だよね」って気持ちは持ってるんですよ。
「諦めない」「折れない」「もうワンプレー」みたいな状況。熾烈な精神力の継続が成果を分ける場面ってあると思うんです。
才能もセンスもパワーも同程度のもの同士が競い合ってる場面で、粘り強く、ひとつのことを考え続ける、極め続ける、やめたら負け。それでも、上位を目指し続けることを求められている。
これって、もう根性の世界ですよね。
根性のあるものだけが、勝ち残れる場面ってあるような気がするんですよね。

「根性」を「努力を継続し続けるメンタルの強さ」と言い換えた方がしっくり来ますかね?
「諦めない姿勢」でも「手を抜かない誠実さ」でもいいかもしれませんね。

「そんなの、古い根性論じゃん」で抜いちゃダメな場面って、ありますよね。

さて「根性論が忌避されてますよね」に戻りますが、勘違いしてはいけないのは、根性があるから何かしらの成果をあげられるワケではないということなんですよね。
正しい思考、正しい学習を経た上で、才能やら、センスやら、パワーやらを身につけ、同程度のもの同士が競う場面に放り込まれ、その中で勝ち残るために求められるのが「根性」なのだと思うのですね。
成長しきった上での「もう一手」なんですよね。

だから、成長過程にある子どもや若年者に、やたらと根性を求めてはならないと思うのです。
正しい思考、正しい学習を必要としている局面なのですから。
「楽しくて快適」を第一義に考え、その中で成功体験を積み上げていく方法を模索したほうが、結果的に効率がいいように思うのです。

その方法で極限まで能力を高めきった上での「根性って効きますよ」「根性で勝負が付く世界、楽しいですよ」だと思うのです。

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