follow hagi.life

「過去の経験」とか、どうでもいいかな

2018.09.15

こんにちは、萩ドットライフ()です。

「自分はこれをやってきた。だから経験を活かして、新しいことに取り組みたい。自分の経験が、もっと高く評価される場所を作りたい」みたいなことをずっと考えて生きてきたような気がします。いまは「そんなのどうだっていいか…」と思っているのです。

以前投稿した「また何かの初心者になりたい」をもう一度考え直してる

2018年7月24日に自分が投稿した「また何かの初心者になりたい」って記事を改めて読んだんですが、ヒドい文章だな〜。
今でもそうなんですが、このブログを開設して以来、「1記事2,000字シバリで、ザクザク投稿するぞ」ってのを続けてるんです。「質よりも量だよ」ってフェーズではあるんですが、改めて読むとクオリティ低すぎて泣けて来ますね。
まだまだ雑な文章を書き続けることになりますが、「そのうちリライト頑張るぞ」欲求が高まってきてるので、ヨシということにしておきます。

話を戻すと、僕は「キャリアは積み上げるもんだ」と思ってました。
「今までこういう経験をしてきたから、それを活かしてこういう分野に展開したい」みたいな、何の変哲もない考え方ですよね。何も間違ってるわけじゃないんですよ。

ただ、冒頭で引用したように、ここ最近、「また何かの初心者になりたい」って考えてるのですよ。
前の投稿した文章を読むと、断片的に「そうね」「そういうことね」とは思いますが、如何せん文章そのものが何を言ってるのかわからないせいもあって、「いま考えてることと、ちょっと違うかな〜」という印象なのです。

「経験を活かす」ことよりも「欲求を満たす」方が重要だと感じるようになってるのですね。
「過去の経験を活かして○○したい」よりも「これからは○○をしてみたい」。ちょっとだけ、意思を優先してる感じなんですよね。
決して、自分の経験を軽んじようというわけではないのですが、過去の継承を続けることを拒んでる時期なのです。

年齢関係ないかも

この記事を「50代中盤。このくらいの歳になるとこう考えるようになるよ」って感じの流れで書こうとしてたんですが、自分の過去を振り返ると、こういうことって何度かありましたね。年齢関係なさそうです。
そういう「波」みたいなもんがあるんでしょうかね?

ただ、自分が「知ってること、できること」よりも「知らないこと、できないこと」の価値がすごく高く感じるときってあるんですよね。

  • 自分自身の状態
  • 社会的環境
  • 偶然起こって発端となる出来事

みたいなのが、絡み合って起こる現象なんだと思うんですけどね。

そういうときに「これからは○○をしてみたい」って思いはじめて行動に移せたときって、なんだかんだで、いい結果を得られてるんです。
これを後から振り返って「人生の転機」って呼んでるように思います。

上手くいったことだけを記憶してる可能性もありますけどね。
途中でやめちゃったら「いい経験だった」とか言いはじめて、「結果」じゃなくて「経験」ってラベルの付いた引き出しに入れちゃいますからね。「結果」として評価しないんですよ。
だから「結果」の引き出しに入ってるのは、いいヤツだけ。

「意思」優先

それでも、過去の経験を土台にして、モノを考えたり行動したりするよりも、「これやりたい」って自分の意思を優先したほうがいいと思いますよ。
たぶん「これやりたい」って、自分をアップデートしたい欲求なんですよね。この意志には従うべきだし、従いやすいんだと思います。

問題は「過去の経験」が障壁になった場合ですね。
僕自身は「自分の過去の行動をみても、自分の意思を優先する、過去の経験に囚われない自信がある」なんてことを思っちゃいますよ。
でも、こういうことって無意識のうちに起こってるもんだと思うのですね。

過去の経験を「これやりたい」の阻害要因にさせないような努力を「作業」として継続しなければならないと思っているのです。こうやってブログに記録してると、その都度、アタマの中を整理し直すから、とてもいい「作業」になりますよ。
いま書いてる「過去の経験なんて、どうでもいいかな?」なんて考えるに至ったのも、ブログを書き始めたからだし、「そういや、昔もこんなこと考えてたけど、言葉にも文にもしたことなかったな」なんてのもそうです。
「昔の人が、日記書いてたり、仲間同士で書簡をやりとりしてたのって、この効能のためだったのかな?」って思ってもみたり。

偏ってもいいんじゃないでしょうかね

ずっと「バランスよく」とか「まんべんなく」がいいことのように思っていました。今もそう思っています。
知識や経験の幅が広いと、なんか考えるときの連想ゲームの深まりが心地いいと思うんです。

自分の「これやりたい」に従って行動すると、自ずと「偏り」が生まれますよね。自分の好きな方へ、楽しい方へ、隅っこに向かって歩いて行くんですから。
人は自分が好きなように振る舞う生き物なので、偏りは自然として内在してるもんなんですよね。
ただ、いろんな要因によって、偏る方向は変わっていきます。「好きなこと」「心地よいこと」が変わりますからね。
だから、過去に好きだったこと、過去に心地よいと感じたことで作り込まれてる「過去の経験」。いったん脇において「これやりたい」に向き合ったほうが上手くいきますよ、たぶん。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。