follow hagi.life

年賀状、出しません。不要派なんですよ

2018.12.24

こんにちは、萩ドットライフ()です。

「年賀状、どうしようかな?」なんて、もう10年以上考えたことがないのですよ。出さなくなった理由すら思い出せません。こういうシステムって自由参加でいいんじゃないでしょうかね? タイトルに「不要派」って書きましたが、主義とかでもないのです。

最後の年賀状が2000年じゃなかったかな?

この記事を書くにあたって「最後に年賀状出したの、いつだったかな?」と思い出してみたのですよ。
たぶん、2000年(平成12年)だったんじゃないかな?

僕がフリーランスになって(自分の会社を設立して)3回目の新年だったし、2000年という切りのいい年でしたし、背景に「2000」ってデカデカと背景を敷いて「〇〇社も3回目の正月を迎えました。これからもガンバります」的なメッセージの入った年賀状を作った記憶ありますもん。

一応、これで僕個人の年賀状も兼ねてたように思うのですよね。
そして、それ以降の記憶がないので、これが人生最後の年賀状だったんじゃないかな?

とくに「やめます」みたいな宣言はしませんでした。ただ、出さなくなっただけですよ。

当然、いただいた年賀状に返事も出しません。「返事出さない」は、年賀状をやめるもっと前から、う〜ん…たぶん子どもの頃からそうだったと思います。

特に「虚礼廃止」とか「エコに貢献」なんていう主義主張みたいなものがあるわけじゃありません。
ただ単に、このシステムに参加しなくなっただけなのですよ。
誰からも何も言われません。

その他の時候の挨拶である「お中元」「お歳暮」「暑中見舞い」などは、一度も出したことがありません。
「お中元」「お歳暮」は、さすがに頂いたらお礼はしますけどね。昔は電話、今はメールでしょうか。お返しはしません。

こちらから、出しもしなければ、返事もしないと、だんだん来ることもなくなりますよ。
今では「お中元」「お歳暮」なんて目にすることすらないし、年賀状・暑中見舞いも個人・法人個人併せても10通程度なんじゃないでしょうか。

それでも「理由」をひねり出してみましょうか

何らかの習慣を「続ける」も「やめる」も、往々にして大した理由などなかったりするものなのですよね。
そして、僕がどうしようが他人は気にしちゃいないのですよ。

「なんで年賀状出さないの?」なんて聞かれたこと、一度もありません。
僕の周りには僕同様に「年賀状不要派」の人が、一定数いるからなのかもしれませんけどね。

それでも、一応「年賀状を不要だと思う理由」みたいなものを考えてみました。

  • 年末の忙しい時期に余計な労力を費やされる
  • 印刷費・郵送費がバカにならない
  • 「おめでとうございます」って書いてるとき、まだ年内だぞ
  • どうせメール文にも「おめでとう」って書くじゃん
  • 世界中でエコECO言ってるときにムダに紙を浪費すんな

みたいな感じなんでしょうかね。

年賀状を書くことを習慣にしている人に「そんなムダなものやめろ」なんていうつもりはまったくないのですよ。
「自分の判断で好きにすりゃいいよね」と思ってるだけなのですよ。

たぶん「要らない」と思ってる人、多いんじゃないでしょうかね?

前にも書きましたが、僕の周りには年賀状を出さない人がチラホラいるのですよ。
いちいち「出す?」「出さない?」なんて聞きませんから、どの程度の割合なのかは謎ですが、話の中で「オレも出さないっすね」みたいなことを言ってる人に出会うことはあります。

サラリーマンの方々は、上司や同僚と年賀状交換をするのが習慣になってたりするんでしょうかね?
一緒に仕事をしてる制作会社は、クライアントや広告代理店の部署ごと担当者ごとに年賀状出してるみたいですね。うちにも来ますもん。
以前は、僕個人宛と法人宛の2通来る会社もありましたね…。

みなさんどうなんでしょう? 「面倒くさいな」「年賀状なんて要らないんじゃない?」って思ってる人、多いんじゃないでしょうか。

僕が年賀状をまめに出していた、20年以上前。
いつもお世話になっている人へのご挨拶というよりも、むしろ「疎遠になった人への心配り」とか「縁をつなぎとめる」ような意味合いで使っていました。

今はそういう役割をSNSやLINEグループが担ってませんかね?

そもそも他人の住所って聞きます?

書状にしても物品にしても、何かを送る(贈る)ときって、先方の住所が必要なのですが、他人の住所って知ってます?
僕、付き合いのある人たちの住所なんて知らないんですよ。
FacebookやLINEのアカウントを知ってて、それで用が足りてるんですよね。
電話番号を知らない人も少なからずいます。

昔はどうしてましたかね?
「年賀状をお送りいたしますので、住所をお教え願えませんでしょうか」とかって聞いてましたっけ? 電話帳とかに手書きで記録してましたよね。

それと、何かのグループ的なものができると、すぐに名簿作ってコピーして配布してましたよね。

最近は名簿とか住所録を作らなくなりましたね。たぶん、個人情報保護の観点からなのでしょうね。
そういえば、高校や大学の「卒業生名簿」も買わなくなりましたし、電話番号は記載を拒否しています。

僕は、付き合いのある個人や法人をMacの「連絡先」で管理しているので、ちょっと見てみると、住所(所在地)欄が埋まってるのは法人ばかりですね。

もう個人の住所なんて知らないのです…。

今後、年賀状ってどうなるんだろう?

話はズレますが、みなさん、手で字を書いてます?
僕の場合、ときどき行政に出す書類で手書きを求められることと、あとは署名くらいでしょうかね。

おそらく、みんな同じようなものだと思うのですよ。

では「手書き文字はなくなるか?」といえば、そんなことはなくて、文字を覚えるフェーズでは「書いて覚える」をやり続けるような気がするのです。
「紙と鉛筆」が「タブレットとタブレットペン」に変わる可能性は高いでしょうけどね。

そして「書道」も残り続けると思うのですよ。芸術と趣味の領域ですね。
年賀状も似たような未来が予測されるんじゃないでしょうかね?

「付き合い」や「習慣」でやりとりされる年賀状はどんどん姿を消していくと思うのです。
反面、作品的な意味合いで作られた「年賀状」は、作家や趣味人と個人的な付き合いのある人だけがもらえる、プレミアムなものとして残り続けるんじゃないでしょうかね。

そうなると官製の「お年玉付き年賀はがき」は廃るような気がするのです。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。