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楽しそうなおっさんでいよう

2019.01.23

こんにちは、萩ドットライフ()です。

世間で「老害」という言葉が生まれて以降、相対的に「老害ではないおっさん」のことを、カッコいいとする風潮があるんじゃないでしょうかね? そして「オレはまだ、若者のことを理解できるぞ」みたいなアピールに勤しむおっさんも増えてたりします?

日記みたいなの、書いておけばよかった

なんでもいいから、文章を書くクセをつけておけば良かったな、とつくづく思います。
そのための仕掛けは幾度となくあったのですよ、僕が通っていた山口県萩市の明倫小学校では、毎日の日記が義務化されていたし、部活だったりゼミだったり、なんだかんだで日記や記録を欠かされることって多かったのですよ。

社会人になってからも「システムノート」ブームみたいなのがあったりして、とにかく筆記具を持ち歩いてはいたように覚えています。

おそらく、そのまま、誰に見せるつもりでもない、とても人様に見せることのできない感情を書き殴ったような日記でも構わないから、記録し続けるクセがついていれば面白かったらだろうと思うのです。

残念ながら、日記や記録は、解放されたとたん、そのことを喜び、システムノートに至っては、ただ、カッコつけて持ち歩いていたに過ぎませんでした。

今こうして、毎日ブログを書くようになりましたが、そのネタのために昔のことを思い出すのですよ。
どんな仕事をしていたのか? どんなことをして遊んでいて、どんなところへ行っていたのか? みたいなことはなんとなく思い出せるのですよ。

でも「どんなことを考えていた」「どんなふうに感じていた」については、なんとなく、今思い出せる感覚って、当時と違うような気がするのですよ。

たぶん、それから先、同じようなことを何度も考えて、似たような感じ方を何度も経てきて、アップデートされちゃってるんでしょうね。
おぼろげな「匂い」は残っていても、その時の自分がどんな言葉で処理するのかは、すでにわからなくなっちゃってるんですよね。

「若者の良き理解者」なんて、なれるワケないんですよ

20代の僕が見ていた、50代のおっさんってのもいたのですよ。
生意気な20代の僕なりに「カッコいいな」「カッコ悪いな」みたいな感じ方をしていたのですよ。
今となっては「匂い」が残ってるだけなんですけどね。

そのときに「オレ、君たち世代の感覚、わかるぞ。理解できるぞ」みたいなことを言ってくるおっさんのことを「カッコいい」と感じたかな? などとも思ってみるのですよ。

おそらく20代の僕は、そういうおっさんのことをバカにしていたし「カッコ悪い」側に分類していたように覚えてるのですよ。

これも、その時代の「匂い」にしか過ぎませんが、若い頃って自分がおっさんよりも、感覚が鋭くて、新しいものを察知する能力に長けてると思ってるものなのですよ。
「あなたの言う『わかるぞ』は、ご自分の若かった頃と現在の僕たちを重ね合わせた上で、ムリヤリ共通点を見つけ出した上での『わかるぞ』ですよね?」みたいなことを考えてたんじゃないかな…?

なんかね、「阿(おもね)り」とか「すり寄り」みたいなものを感じて、すごくイヤだったように覚えているのです。

あまり「老害」って言葉を気にしても仕方ないですよね

こういうのも、ブログを書き始めたことの効能なんでしょうかね?
昔の自分を思い出しながら言葉にすることで、やっと若かった頃の自分の輪郭がくっきりし始めたのですよ。
そして、ある部分には「もう匂いしか残ってないな」と感じることができたのですよ。

たぶんこの「匂い」の部分に関しては、今の僕は理解できないのですよ。
だから、冒頭で書いた「オレはまだ、若者のことを理解できるぞ」みたいなアピールに勤しむおっさんが増えていることに、気持ち悪さを感じるのですよ。

おそらく「老害」という言葉が世間に広まって以降、一定の数のおっさん・おばさんは「老害」と指さされることに抵抗するための振る舞いをするようになってるんでしょうね。

「そういうのも、いわゆる『老害』の一形態なんじゃないの?」と思うのです。

僕が20代の頃、たぶん「老害」って言葉はなくて(「オバタリアン」ってワードがバズった時期がありましたかね)、おっさんもおばさんも自由に振る舞ってたような気がします。

やはり僕も「カッコいいおっさん」でありたいな、と思うのですよ。
その方が生きやすいし、自分をそういう方に向け続けることもデザイナーの仕事なのだろうと思うのです。

「20代のころ、どんなおっさんのことをカッコいいと思ってたかな?」なんて、こうしてブログを書き始めて、昔の思い出しをするまで、考えたことなんかありませんでしたよ。

結局、これも「匂い」になっちゃうんですけどね。
なんとなく、若い人たちのことを気にしてないおっさんがカッコよかったように思うのですよ。
若者と向かい合ってない、前を向いてるおっさんですね。後ろ姿が楽しそうなおっさんのことです。

だから、若者のことを理解できたり、ものわかりがよかったりするおっさんになる必要なんかなくて、いつも楽しいことを見つけて、行動しつづけるおっさんでいたいな、と思っているのです。

そうすると誰かが、後ろから見ていて「カッコいい」と思ってくれると信じたいのですよ。
少なくとも、20代の僕からはそう思われたいのです。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。