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生活の中の余白、気持ちいい

2019.03.14

最終更新日:2019年06月13日

こんにちは、萩ドットライフ()です。

「余白って大切ですよね」というお話です。僕はデザイナーなので、とりわけ「余白」の大切さをよく認識しているはずなのですよ。ところがこれを「生活」とか「人生」に当てはめてみると、まったく上手に扱えないポンコツだったことが判明したのです。

「余白」を大切にする仕事についているはずなのですが…

僕はデザイナーなので、業務上「余白」とか「ホワイトスペース」とか、すごく気にすることが多い人なのですよ。レイアウトとかスタイリングという工程において「余白」ってとても大切な要素であることは、身にしみて分かっているはずなのですが、ちょっと業務から視線を外すとからっきしだったことに気づき始めてるのですよね…。

自分の「生活の中の余白」が一切コントロールできてなかったのです。

余談になりますが、ここのところ、これに似たような感覚に出会うことが多いのですよ。
たとえば、今こうして書いている「文章」。
デザイナーという職業柄、常にライターが視界の中にいるのです、実際に本人とお会いするか、成果物だけが届けられるかは案件によって違いますが、ライターのいない案件はありえないのです。
これまで、多くのライターと仕事を一緒に仕事をしてきたせいで、実は自分の中にちょっとした「門前の小僧」感が芽生えていたのですよ。

仕事上でも、ちょっとしたコミュニケーションの中で「今回のライターさん、気持ちいいですね」「この人、ちょっとヤバくない?」みたいな、評論めいたことをポロっと漏らしてしまったことも、少なからずあったのです。

こうして、自分でブログに文章を書いてみて、読んでみると、顔から火が出ますよね。
「知ってるつもり」「わかってたつもり」だったことが、実際に手を動かしてみると、全然まともなレベルに達してないことを思い知らされるのです。

今回のテーマである「余白」についてもまったく同じで、自分の得意なデザイン業務から、ちょっと横展開していただけで、何もできていなかったのですよ。
過去ずっと「何もできていなかった」ことさえも、気づいていなかったのです。

今「セミリタイアを経て長期休暇を取ろう。その次は、デザイナーじゃないことを始めてみよう」などと考えて、行動し始めたところなので、目下セミリタイアの真っ最中なのですよ。
その先に関しては、ユルい労働を始めようと「生産的な趣味」という言い方をしているのですが、イメージしていることはデザイン業務の横展開なんですよね。
デザイナーをしながら培ってきた、問題解決能力だったり、ビジュアルをスタイリングするチカラ、Web制作技術だったりを使いながら、別のことと融合させて楽しみたいと思ってるのです。
(参考:非IT作業に取り組みつつ、ITとデザインのことを見直したい

例として挙げたライティングに関しても、この「余白」にしても横展開(=ちょっと視点を変える)って「思ってたよりも難しいものだな」「しっかりと考えていかなきゃいけないな」という気持ちになっているのです。
労働強度はユルく趣味程度にしながら、思考や学習に関しては本気のラインを崩せないな、と感じています。

デザインの中での「余白」の役割

せっかくなので、デザイン業務の中での「余白」の役割を思いつく限り挙げてみますね。
「生活の中の余白」を語る上で、比喩的に使えるかどうかはわかりませんが、思考の下準備みたいなもんです。

視線を集める

たとえば、見渡す限り田畑が広がる農村に、3階建てRC造のJAの支所があれば、目立ちますよね。
「山を抜けて一面田んぼが広がったら見える、一番大きな建物が農協」と一発で目印になるのですよ。
同じサイズの建物が新宿駅前にあっても、絶対に目立ちませんよね。
余白にはこういう効果があります。

情報群を作る

ひとつのエリアに「材料」「調理方法」「盛り付け方」「サイドディッシュの提案」などという異なるカテゴリーの情報をレイアウトする場合、これらの情報を「余白」で分断してやれば、見る人は「別々の情報が書かれてるんだな」と認識してくれます。

テキストを読みやすく

僕のブログ、文章読みやすいですか?
文字や行の間のスペースが極端に狭かったり、逆に広くても読みにくいものなのですよ。
どういうバランスが読みやすいかは、デバイス(PC・タブレット・スマホ)によっても違うし、読み手の年齢によっても異なりますし、もちろん個人差もあります。
このブログは、僕と同年代「セミリタイア」とか「資産運用」「二拠点生活」みたいなことに興味がある人を読者として想定していますので、基本、僕が読みやすいバランスにしています。
PCとスマホは、文字サイズも行間のバランスも変えています。

印象を作り出す効果

新聞に折り込まれるスーパーのチラシを思い出してください。余白をほとんど用いずに商品写真の上に被せるように価格を配置したレイアウト。これから「安さ」を感じませんか?
逆に、余白をたっぷり使って、1ページに写真1枚のような腕時計の広告からは「高級」という印象を受けませんか?
余白はただの「何も書いてないとこ」ではなくて、情報にどのような印象を付加したいのかをコントロールする役割を担っているのです。

ようやく「生活の中の余白」を感じ始めた今

僕は「長期休暇(=人生の余白)」を作ることに決めているのですよ。
そのために、新規案件の受注を停止して、運用案件だけを請け負っているのです。現在の案件がすべてクローズすれば、そこから長期休暇に入ります。

「せっかく仕事があるんだから、もったいないじゃん」「今のことをやりながら、同時進行でやりやいことすればいいじゃん」と、自分でも思ってたし、他人からもそういう言い方をされるのです。
この辺に関しては、別のどこかでも書いたような気がするのですが、「一旦リセットしたほうがいい」という結論に至ったのですよ。
いろいろと理由はありますが「なんでもいいから、好きにさせてくれ」と思っているのです。

そう決断したからこそ、セミリタイア中になったのですが、それから数ヶ月が経過した今、間違いなく「生活の中の余白」は増えてきているのです。
もちろん案件がひとつクローズされるたびに、仕事量は減りますから、時間的な「余白」が増えるのは、当たり前なのです。
僕が心地よく感じているのは、思考に「余白」を感じることができるのですよ。

前項で、デザインの中での「余白」の役割を列挙しましたが、それらと同じ役割をアタマの中で担っている「余白」の存在を感じるのですよ。これ大切。

「なにもない場所」が増えていくのではなくて、明らかに情報が整理されていく感じがあるのですよ。

この向こうに「長期休暇」を控えていることも心の余裕に繋がり、「生活の中の余白」を感じやすくなっている原因なのかもしれません。

先日『「50代無職」のススメ』という記事を投稿しましたが、概ねいまの僕はこんな精神状態なのです。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。