follow hagi.life

自己検証してたら、昔の「やりたい」が見つかった

2019.03.15

こんにちは、萩ドットライフ()です。

人は自分の人生や決断を正当化したいので、ちょっとカッコつけて認識しちゃってるんですよね。ときには自己検証して否定することも重要なのですが、その工程で「やり残してたこと」みたいなのがみつかって「今からでもできるよね」ってなったりするのです。

カッコつけながら過去を振り返る

歩いてきた道や、決断を否定することはカッコ悪いと思っちゃうんですよ。
自分ひとりだけで考えてるときだってそうなのですから、他人に話すときには「いかにオレが世の中を読めていたか」「オレには動物的な勘があるんだよ」「結果、あの失敗は成功につながる工程だったんだよ」みたいなことを飾り立てながら話すことになりますね。

とくに「さあ、これからカッコつけるぞ」ってワケでもなく、自然と都合のいい情報を集め、都合のいい解釈をしちゃうもんなんですよね。
当然、他人の話も過大な評価をしすぎないように気をつけた方がいいように思います。

生き方に対してカッコつけた認識をすることは、決して否定されるようなことではないと思うのですよ。
自己肯定感ってパワーを生み出しますからね。ちょっとくらい自己評価が高すぎるくらいでちょうどいいと思います。
これは、自分も他人も同じです。

でも、心の何処かで「反証用の情報も集めとかないとな」「ちゃんと自分の人生を検証するフェーズを設けないと」とは思ってるものなのですよ。僕はずっと「思ってるだけ」だったりしましたけどね…。

僕にとって今は「生き方を変える」時期なのですよ。このブログ内でもあらゆるところで書いているように、現在セミリタイア中ですし、その後、1年以上の長期休暇を取ることにしています。
長年生業にしてきたデザイナー業も一旦キャリアを閉じ「また何かの初心者になりたい」などと考えているのです。
(参考:「また何かの初心者になりたい」を再考する
ちょうど今が、きっちりと自己検証するタイミングなのだろうと思っていますし、このブログがいいツールになっているのですよ。

こうして、自己検証をしていると「否定」「反省」「後悔」によって自らを戒めることよりも「新しいアイデア」「やろうと思って忘れてたこと」が湧き出てきて、未来が楽しそうに思えてくるものなのです。

幸か不幸か、僕はサラリーマンではないので「定年後の不安」という概念はないのですよ。

フリーになったその日から「仕事が切れたら無職」でしたし、サラリーマンの方にとってメリットだった「加齢」が、フリーランスにとってはデメリットでしたからね。
「終身雇用」とも「年功序列」とも無縁なのですよ。

でも立場は違えど「オッサン・オバサン」というカテゴリの中にいることは自覚しているのですよ。

「みんなあと5年で定年だね〜。あれ、65歳まで伸ばしてもらえるんだっけ? じゃあ後10年か」
「でも、人生100年時代なんだってさ、70歳超えてもなんとか収入を得るようにしないとね」

みたいな話は、なんとなく共有しているのです。

テストマーケティングのススメ

僕は「定年」という概念がないにもかかわらず、生き方を変えるフェーズを迎えています。
これは、自ら望んで行動しているのです。

サラリーマンの方々だけに訪れるはずの「定年」が影響していることは間違いありません。
「同い年の連中が定年する時期に先駆けて、オレは生活の組み換えを完了させよう」などという意識はありますもん。たぶん「5年前から始めちゃってるオレとしてはね」みたいに、ちょっとカッコつけたいのですよ。

前述の通り、フリーランスにとって加齢はデメリットです。
新技術に対する反応はニブくなるし、過去の成功体験を反復しようとするし、なによりも、発注者が年上の業者に依頼することを鬱陶しがりますから。
もちろん、僕が50代半ばになってもフリーのデザイナーでいられる程度には、例外にあふれていますが…。

概ね、サラリーマンよりもフリーランスのほうが「キャリアチェンジしないとマズいな」と感じる時期は早めにやってくるものです。
たぶん、同世代のサラリーマンの一部は「部長になった」「取締役へのラインが見えてきた」と、達成感や充実感を噛みしめているところだと思うのです。いわゆる「出世」から外れた人でも「あと数年で定年。退職金で住宅ローン完済だ!」みたいな感情を抱いてることなんじゃないでしょうかね。

フリーランスの僕は「長期休暇」を取ることに決め、その間に「キャリアのリセット」をすることにしました。
「自己完結型(スタンドアローン)の労働」を次のゲームのお題にしているのです。

こうしてブログを書いているのは、テストマーケティングのようなものなのですよ。
自分がどの程度まで、コンテンツを作ることができて、かつ、マネタイズできるかを検証しているのです。

同時に過去の職業人生を自己検証することによって「新しいアイデア」「やろうと思って忘れてたこと」を再整理しているのです。

僕は今セミリタイア状態です。
新規受注を停止して、受け持ちの案件は減ってはいますが、まだ拘束されることが多いのですが、ちょっとずつ自己検証する時間を増やしたり、こうしてブログを書く時間を確保しています。
自己検証によって得たアイデアに関する情報をインプットする時間も作っていますし、明らかに1年以上前の、デザイナーだけをしていたときと、日常の行動が変わってきています。

20年後。今思ってる通りなわけないよね

僕は今、75歳の自分をイメージしています。20年後の自分です。
同時に20年前の自分のことも思い出してみるのですよ。ちょうどフリーランスになった頃の自分ですね。

35歳の頃にイメージした「20年後」に、55歳の自分がなってるかどうか?
冒頭で述べたように、自分が歩いてきた道をカッコつけて認識しちゃってるもんですから「ほぼ合ってる」とは思うのですが、当時いっぱい考えてた中の「こんなのもアリ」がいくつか実現してる程度なんですよね。

よくよく思い出してみると、できてないことや、途中で考え方を変えちゃったことのほうが多いのですよ。

いくら「自己検証は大切だ」と言っても、自分の決断は否定したくありません。
でもね。「決して否定したくない自分の決断」なんて、おおきなひとつ、もしくはふたつ程度のものなのですよ。

この文脈ならば、僕が否定したくない決断は「フリーランスになったこと」です。
あとは、Web制作を選んだこと、デザイン業務に特化したことを含めて「もっと違ってもよかった」し「当初はいろんなことを考えていたにも関わらず、結局実現できなかった」などと考えることが多いのですよ。

自己検証ってのは「自分の棚卸し」のことなんでしょうかね?

過去に「やっとけばよかった」「やりかけたけどやめた」を再度組み立て直して、将来のキャリアを設計してもいいかもですね。
たぶん、今はまだ出会っていない、これから見つかる「やりたい」もたくさんあるのでしょうから、設計通りになんかならないことは想定済みではありますが。
昔の「やりたい」は、結局できなかった理由があるから、やらなかったということなのでしょうが、おそらく当時と前提は変わっているとはずなのですよ。
「あれ? もしかして今ならできるよね」「まだ間に合うよね」みたいな感情が少しだけ…。ホントかどうか検証してみよう。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。