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「50代無職」のススメ

2019.03.06

最終更新日:2019年09月26日

こんにちは、萩ドットライフ()です。

「50代無職」って、とても人間のクズ感漂うパワーワードですよね。仕事にケリが付いたら1年以上の長期休暇を取るということに決めてるのですが「あ、そっか。これって無職になるってことか」と…。自ら望んで「50代無職」になるってどうなの?

「50代 無職」を肯定する記事なんです

おそらく「50代 無職」でググってこの記事にたどり付いた人にとっては、求めていた内容の記事ではないかもしれません。
「50代あたりで、一旦無職になったほうがスッキリしていいんじゃないか?」ということを書こうとしているのです。
「オレ、50代無職。どうやったら仕事にありつけるんだよ?」という疑問にはお答えできないのですよ。

僕は今、50代半ばのフリーランスのWebデザイナーです。
フリーランスではありますが、法人化していますので、経営者ということになっています。
年金は厚生年金ですが、ずっと国民年金だけしか納めていませんでしたし、未納期間もあります。なので、これからずっと厚生年金を納め続けるとしても、65歳から給付される年金額は、月額8万円程度の予想です。

今、新規案件の受注をストップしてセミリタイア生活に入っています。
現在運用中の案件がすべてクローズすれば、晴れて「無職」です。僕自身はずっと「長期休暇」と呼んできていました。

フと「これって、無職になるってことだな」と思いついて、この記事を書き始めているのです。

もう少し、僕のバックグラウンドを。
前述の通り、将来受給できる年金は、国民年金に毛が生えた程度で、とても老後を支えてくれるようなパワーはありません。
ただ、不動産と金融資産があるのですよ。
金融資産に関しては、証券口座や仮想通貨の口座で運用中の資産についてのみ、資産運用カテゴリの「金融資産の保有状況」という提起コンテンツとして公開しています。
なんとなく、サラリーマンの方が定年退職時に手にされる程度の額を、僕の場合は手元で運用してるくらいのイメージですね。

不動産に関しては、現在自分で使っていますが、賃貸に出してみたいのですよ。「大家さん」を経験したいのです。

なので、労働で得られる収入がゼロになっても、贅沢さえしなければ生活していけるくらいのベーシックインカムは構築済みなのですよ。
自前でパトロンをこさえた感じなので、ここで一旦「無職」になってスッキリしようと目論んでいるのです。

100年も生きるんですよ

「人生100年時代」らしいですよ。
「100年も生きようとしてるのか、厚かましいな」という話じゃなくて「100歳まで生きることになるかもしれない、お金とか生きがいとか、どうしよ」という話だと思っているのです。

過去にも似たような記事を書いてましたね。
(参考:人生100年時代。50代くらいでユルむための準備

もう「就職→はたらいてはたらいて→定年」という人生設計って、ムリだと思うんですよね。
もともと僕たちフリーランスには定年という概念がありません。
だから僕は常に「いつまで働けるんだろう」と「いつまで働かなきゃいけないんだろう」を同時にアタマの中に置き続けていたように思います。

逆にいうと「早く働くのを辞めたい」と「ずっと働いていたい」と両立させたいと思っていたし、「できる。さあ準備だ」と感じて行動し始めたのが、今なのです。

今の正直な感覚は、

  • 中途半端なところでデザイナー辞めることになるんだな
  • 次になにやるか、明確に決めてないところも、これまた中途半端だし

といった感じで「中途半端な自分」をすごく感じているのですよ。
アタマの中のどこかに「ひとつの職業を最後まで勤め上げるコンプリート感」みたいなのを持ってるんでしょうね。
それができなかった故の「中途半端」感なんだろうと思います。

でも、一方で「いろんな職業やってみたい」という気持ちも持っているので、ここのところトレードオフなんですよね。
もしかしたら、またデザイン業はじめて「いったん手を離してわかった。こういうのってバランスなんすよ」って言い出してるかもしれません…。

昨日「人生の岐路だから、ネガティブな感情を許容する」って記事を投稿しましたが、まさにそういうことなんですよね。
「100年も生きるんだから、中途半端なことを繰り返すくらいでいいんじゃない?」と思っているのです。

無職は人間のゴール

僕が今言っている「50代無職のススメ」は、また労働を模索し始めることを前提としているのです。
そのへんは、過去の記事をご参考に。

でも、いつかは本当に「無職」になるときがやってくるのですよ。
僕はなんとなく「75歳とか80歳くらいかな?」などと考えています。
「生産的な趣味」というワードを気に入ってよく使っているのですが、なんかしらのモノを作り続けながら、だんだんとマネタイズへの興味を失って、なだらかに職業人としての人生を終えるのを理想だと感じています。
(参考:「生産的な趣味」の時間を確保するためにセミリタイアしようとしてる

途中で意図的に「無職」期間を設けることって、自分自身と向き合う良い機会だと考えているのです。
ただ、望まない無職期間が訪れると、それどころじゃありませんからね、あくまでも「意図的」であることが重要かと思います。

僕の場合は「セミリタイア」と同時に「二拠点生活」「人間関係の断捨離」も進めていて、だんだんと人と会わない環境を作りつつあるのですよ。

もともと、ひとりでいろいろ考え続けるのが好きな性格ではありますが、いったん群れから離れて、とにかくシンプルに自分と向き合う時間を楽しんでいるのです。

やがてやってくる「本当の無職=リタイア」に向けて、余裕があるとき、思い立ったときに、リハーサルのつもりで無職体験すると、スッキリしますよ。オススメです。

端的にいうと「月単位、年単位の長期休暇を取るといいよ」ってことなんですけどね。

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