「終わらせる」ことの大切さ
2019.05.25
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。長らく僕の生活を支えてくれた、Webデザイナーという職業を終わらせようとしています。自分の意思でそうできることは、とても幸せなことなのです。そしてこれは、次の「始める」の準備なのです。「終わらせる」から「始まる」し「続く」のです。
継続することは大切。だけど楽
「継続は力なり」という言葉がありますね。
何ごとも、辞めないこと、継続することとが大切だということになっていますし、僕も全面的に賛成します。
実際に評価されるのは、継続という行為なのではなくて、そこから得られた成果なのではありますが、その過程で夢中に継続し続けるというフェーズは絶対に必要なものだろうと思うのです。
最初は修行・苦行のようなつらさを感じていても、しばらくの間は「継続」を目的にしていると、そのうち解放されて習慣化しますよね。
僕は無理だったので、フリーランスになりましたけど、何十年も満員電車に乗って会社に通勤し続ける人だって珍しくないのです。
ただ、継続するだけでは成果に結びつかないのですよ。あくまでも継続は必要条件であって、十分条件ではないのです。
僕は、20年以上フリーランスのWebデザイナーを続けてきました。50代半ばになった今、Webデザイナーという職業を辞めようとしているのです。
すでに新規案件の受注を停止し、すでに請けている案件の運用のみを残しています。
運用案件がクローズすれば、手元の仕事は減ってきますので、すでに週に2・3日程度しか働いていません。
すでにセミリタイア生活に入っているのです。
せっかく、ここまで生活を支えてくれ、クライアントとも、広告代理店とも、制作会社とも関係が良好なのに、ここで終わらせることを「もったいない」とも思います。
50歳になった頃から、ずっと葛藤し続けてきました。
先日投稿した『老後を目前に、もう一度「1万時間チャレンジ」してみるか』や『人生二毛作。「二度目の人生」って言い方って大げさ?』でも書いたように、また何かの初心者になって、これまでとは違った生き方をしてみたいのですよ。
これまで通り、Webデザイナーを続けるのが楽なのでしょうが、加齢とともに焼きが回ってきていることも感じているのです。
まだ新しいことにワクワクできるうちに、行動しておきたいのです。
継続が習慣化し、マンネリの域に入ると「継続し続ける(=変わらない)ことが楽」になってしまうのですよ。
自分の意思で「終わらせる」ってすごく幸せ
おそらく、多くのクリエーター系フリーランスの方々は、40歳前後を境に転身を迫られることになるのだろうと思います。
「40歳限界説」のようなことも巷間言われていますし、事実、同年代のフリーランスの方と合うことってめったにないのです。
「この人、いい感じにオッサンだな、親近感湧くな」という印象を持っていた人に、年齢を聞いてみたら10歳も年下だったり…。
とかくオッサン・オバサンはあまり生き残ることができない世界なのです。
(参考:○歳定年説とか、限界説とか)
自分の意思で「終わらせる」ってすごく幸せなことなのですよ。
贅沢なことなのです。
フリーランスにはサラリーマンの方々のように「定年」という概念がありません。
需要がなくなったり、病気をしたり、嫌われたりで、自分の意志に反して簡単に無職になってしまうものなのですよ。
「終わらせる」って「始める」と同じくらいのエネルギーを要するものだと感じています。
できるなら避けて通りたい。
このままWebデザイナーで生き続けて、老害化し、技術の進歩についていけなくなって、感覚も古くなって、発注者の世代も変わり、だんだんと職業人として死んでいく方が楽なのかもしれません。
前述の通り「変わらないことの方が楽」なのですよ。
20年以上前に、フリーランスになったときもそうでした。
自分の決断によって、状況を変えられるって、パワーを要するけど、とても快適なことなのです。
「終わらせる」が「始める」のエネルギー
何かを「終わらせる」ときって、次の「始める」のイメージがすでにありますよね。
今の僕は「新しい感情」で書いたように、心の熾火を回収するフェーズを作ろうと思っています。
「こういうことを仕事にしたい」という明確な意思はまだないのです。
いろんなことに取り組みつつ、少しずつ解像度を上げていくつもりです。
こうしてブログを書きつつ「デザイナーも言葉を上手に使うチカラを身につけるべきだな」と気づくことができました。
それまでは、言葉なんてライターさんから「供給してもらう」ものだったのですよ。
もちろん、これからもそうなのですが、それとは別にビジュアルと同じ重要度を持って言葉を使うことを再認識したのです。
「もっと早くからブログ書いときゃよかったな」と。
そんな「やっときゃよかったな」が、まだまだ残っているのです。
これらを「始める」ために、今「終わらせる」に取り組んでいます。
「終わらせる」と「始める」は、一定のエネルギーを保ちながら連続しているのですよ。
決してここでキャリアが分断されるわけではないのです。
「終わらせる」から「始まる」し「続く」のです。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。