follow hagi.life

老後を目前に、もう一度「1万時間チャレンジ」してみるか

2019.05.24

こんにちは、萩ドットライフ()です。

巷で言われる「1万時間の法則」。誰もがエキスパートになれるわけではないけど、才能を開花させるという意味では正しいと思っています。今50代半ば、僕に残された職業人生が20年程度ならば、もう一度「1万時間チャレンジ」をしてみたいのです。

1万時間の法則

「1万時間の法則」というものがあります。マルコム・グラッドウェル氏が著書「天才! 成功する人々の法則」の中で紹介しているもので、だいたい一万時間程度継続してそれに取り組んだ人は、その分野のエキスパートになるという経験則です。

どうやら「1万時間」という時間が絶対的な意味を持つわけではなくて、単なる目安に過ぎないようではありますが、何かの分野において熟達したり、創造性を発揮できるまでには、それなりの継続を必要とするという意味合いのようです。

とりあえず「1万時間」を真に受けて、どの程度の期間を要するかというと、ざっくりと1日3時間を10年程度続けるイメージです。

僕自身、かつて中高大の10年間、ずっとバレーボールをやってきました。中学、高校は、ユルめのチームだったのですが、大学は関東1部リーグに所属し、インカレ優勝経験もあるような強豪チームでプレーしていましたから、それなりに「ちゃんと取り組んだ」のですよ。
大体、1万時間くらいやったんじゃないですかね。
卒業時に社会人チームから勧誘されるような選手にはなれませんでしたから、エキスパートになれたかというと、ちょっと疑問です。

「フツーのプレーヤー中にいればメチャクチャ上手いけど、上手い人が集まってる中に入ればザコ」くらいのレベルだったと思います。

なので僕は

  • エキスパートは1万時間くらいかけて選別される
  • 才能は何の苦労もなく開くものではない
  • したがって、1万時間かけて自分に才能がないことを知ることもありうる

程度に解釈しています。

1万時間ひとつのことを継続すれば「誰でも」エキスパートになれるという論調には懐疑的ですが、才能を発見するという意味では「1万時間の法則」は正しいし、必要なのです。
ムダ覚悟で取り組むべきだと思います。

それでもいつかは、焼きが回ります

僕は、20年以上フリーランスのデザイナーをしてきましたので、デザインに関しては間違いなく1万時間以上取り組んできています。
こうして50代半ばになるまで、お仕事をさせていただいているのですから、それなりにエキスパートにはなれてるんじゃないでしょうかね。

ここは「いやいや、僕などまだ道半ばですよ」という気持ちもありますが、過度な謙遜は僕に仕事をくれている方々に失礼だと感じます。

ただ、自分で「焼きが回ってきてる」ことも感じているのですよ。
50歳を超えたあたりからでしょうか。手持ちのスキルで仕事を回すようになり始めたのですよ。

誤解なきように述べておきますと「スキルの引き出しを作っておいて、その中身を増やす」ことは非常に重要なのですよ。そして何かしらの課題を解決するとき、まずは手持ちのスキルの中から方策を引っ張り出して当てはめてみることは、決して間違ってはいないのです。

ただ問題は「その範囲でしか仕事をしなくなる」ことなのですよ。
新しいスキルの獲得が億劫になる、また学習はしていても現場でチューニングする感覚がニブってくる、自分のスキルを超えた要求にイラっとする、などが原因ですね。

そして、効率化を求めるのですよ。

これまた、誤解を招きそうなので補足すると、100の労力で200の効果を上げるような工夫は必要なのですよ。
50の効果のために100の労力を使うことは避けなくてはなりません。

よくないのは「オレはもうこのくらいのレベルでいいや」と向上心を失い、常にショートカットを求めるようになることなのですよ。

なんとなく「現状を維持していれば、メシは食えるな」と。
そして、どんどん楽な方へ流れていって、過去の仕事の流用や、巷で流行ってる技術・表現のうわべだけ取り入れて「それっぽい」処理で済まそうとするようになるのですよ。

それでも「充分及第点」だったりするのですよ。
昔は「引き出しのやりくりで仕事を回せるようになりたい」などと思っていたのですが、いざそうなってみると、楽をして及第点が取れるようになり、それが「焼きが回る」道への一歩目かもしれません。

もう1回、1万時間チャレンジしてみるか

僕は今、デザイナーを辞めようとしています。
まだ受け持っている運用案件がいくつかありますから、それがクローズするまでは続けますが、すでに新規案件の受注を断っていますので「セミリタイア生活に入ってる」と認識しています。

すべての案件が終わって無職になったら、1年間以上の長期休暇を取ります。
「人生100年時代」を真に受けていますので、75歳くらいまではユルく働くつもりなのですが、その前にギャップイヤーを設けたいのですよ。

デザイナーと同時にクライアントワークも辞めようと思います。

死ぬまで「セミリタイア中です」と言っていたいのです。

長期休暇のあと、どんな仕事をするのかはまだ流動的です。
いろんなアイデアはありあますが、また何かの初心者になって「1万時間チャレンジ」をしてみたいのですよ。

このブログもそのつもりで開設しました。1日2〜3時間程度かけてブログ記事を書いていますので、WordPressをカスタマイズしたり、アクセス解析をしている時間を含めると、もうなんだかなんだで1,000時間程度は継続しているでしょうか。
毎月「運用報告」をしているように、著しく牛歩ではありますが、少しずつ成果は上がってきていますし、1万時間チャレンジする価値があるものだと思うし、継続もできそうな気がしますので、このまま続けてみます。

まだ時間に余裕はありますから、もう2つ3つくらいは「1万時間チャレンジ」するべきものにめぐり逢いたいと思っています。

そのうちのひとつでも収益化できれば、僕の老後は少しだけ豊かなものになるはずなのです。

僕は50代半ばのオッサンですから、これまでに形成した不動産・金融資産がありますし、もう10年もすれば公的年金も受給できます。
そのかわり、チャレンジするために残された時間は20年程度でしょう。

なので「1万時間チャレンジ」が結果、無駄だったとしてもいいのです。「無駄かどうか」なんて、自分で勝手に決めればいいのです。
僕は今、「成功か失敗か」では考えていません。「行動か機会損失か」で考えているのです。

◆ ◆ ◆

過去記事を検索してみたところ、以前にも『「1万時間の法則」について考えてみる』という記事を投稿していましたね。
重複や矛盾があった場合は、お許しを…。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。