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仕事をリタイアするときに感じた「もったいない」

2019.07.19

こんにちは、萩ドットライフ()です。

ずっと生業としてきたデザイナーという仕事もあと少しで、完全リタイアすることになります。この決断に関しては、かなり逡巡する日々が続きました。「ヨシ辞めよう」と決断できたのは、自分が「もったいない」と感じていることに気付いたからなのです。

でも、もったいない

先日投稿した「セミリタイアブログを書く意味。50代からのスタート」を書きつつ思い出していたのですが、セミリタイアを決断するまでに、いろんな葛藤があったのですよ。

そもそも、セミリタイアという言葉には、明確な定義がなくて、各人がいろんなパーツを組み合わせて、オリジナルの「セミリタイア」をこさえるという意味も含まれているのだと思うのです。

僕の場合、今のところ、

  • デザイナーをリタイアする
  • 1年以上の長期休暇を取ったあとにユルく再起動
  • 75〜80歳くらいまで続けられる、生産的な趣味の模索
  • ユルさを実感できる田舎への移住

あたりを組み合わせて「オレのセミリタイア」だということにしています。

しばらく葛藤し続けたのは「デザイナーをリタイアする」ということなのです。

ありがたいことに50代半ばまで、フリーランスのデザイナーとして飯を食わせていただきました。
自分なりに、焼きが回った感覚はあるものの、まだまだメインクライアントとの関係は良好。
よほどの大事故を起こさない限り、あと数年は安定した受注をできる見通しはあるのです。

僕はこれを「もったいない」と考えていたのですよ。
収入源を断つことになりますからね。

反対にこの「もったいない」という気持ちが「もう限界だ。この仕事リタイアしよう」という気持ちを引き起こしてくれたのです。

話が矛盾していて、何が何やら、さっぱりわからないと思いますが、この通りなのですよ。

「仕事をリタイアすることを『もったいない』と思ってる」ことに気付いたら、仕事を辞める決心がついて、セミリタイアが捗ったのです。

「もったいない」という気持ちは、足をすくませてしまうのですよ。
行動を起こすことの阻害要因となってしまうのです。

無理矢理にでも、ここで動くことを選ばないと、ずっとこのままの状態で固着してしまうような気になったのです。

「そんなのイヤだ」と。

「忙しい」を続けてると、しぼんでいく感覚

前述の通り、自分では「50歳にもなると、なんとなく焼きが回ってくるものだなあ」という自覚はありますし、チームを組むことになる人々やスケジュール進行などに、なんだかんだと文句をいいつつも、ほどよく楽しく、ほどよく忙しい日々を得られていたのです。

特にフリーランスにとって「忙しい」というのは、そこそこ心地の良いことなのですよ。

「オレって、社会に求められてるな。役に立ってるな」という実感を得られますし、なによりも収入に直結しますからね。
忙しさを得ることによって、安定を実感するのです。

ただ、忙しいと、自分がしぼんでいくような感じがするのですよ。
これは、若いころからそうです。

おそらく、アウトプット過多になっていたり、ひたすら目の前の課題をルーティーンで捌き続けているからなのでしょうね。
日に々々、空気が抜けていくのです。

なので、僕は意図的に「新しい何かに興味を持ち続けること」「学習し続けること」をしていました。
そうすると、ちょっと空気が入った気になるのですよ。
(参考:フリーランスの僕が暇な時にやったこと

この作業を続けているうちに、なんとなく「オレ、デザイナーである必要ないんじゃないか?」という気持ちが芽生えてきたのです。

新しい「あれやりたい、これやりたい」という欲求が芽生えて来ましたし、過去に投稿した「新しい感情」で書いたように、過去にやりたくてもできなかったこと、途中で放り出してしまったものが「心の熾火(おきび)」として、くすぶり続けていることを再認識しているのです。

デザイナーという仕事をリタイアして、新しいものに取り組む。
それが、ピポットターンなのか、横移動なのか、はたまたジャンプなのかは、よくわかりません。

それでも、いったん「忙しい」から抜け出して、空気をパンパンに入れるフェーズを設けたかったのです。

人生を撹拌するタイミング

このブログ内でも、何度か触れているのですが、セミリタイア生活を始めた今と、20数年前にサラリーマンを辞めてフリーランスになったときと、心理状態が酷似しているのですよ。

これ以外でも何度か、気持ちは動いたけど行動に至らなかったことも何度か経験しています。

おそらく、定期的に人生を撹拌するタイミングが訪れてくるのだと思うのです。
言い換えれば、自分とその周囲の問題を提案し直すタイミングですね。

通常、なんらかの問題を解決しながら過ごしていると、それが仕事になり、生活を支えてくれて心地よく過ごせるのですが、少しずつ歪みを生じるのでしょうね。

根本から課題の設定を見直し、同時に社会における自分の役割を再定義して、人生を軌道修正するのです。
そうすることで、自分の中に溜まっている要らないものを排出し、生活をスッキリとさせる時期って、必要なのですよ。

その「溜まってる」ものの中に、生活の大部分を占めている「仕事」が含まれていることは何の不思議もないのです。
だから「仕事をリタイアすることは、決してもったいなくない」ということで、折り合いを付けているのです。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。