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僕がクライアントに恵まれたデザイナーだった理由

2019.08.08

こんにちは、萩ドットライフ()です。

日々、デザイナーを辞めるときが近づいてきています。過去、とくにフリーランスになってからの20余年を思い出すことが多いのです。僕はクライアントに恵まれていました。「運がよかった」と思いつつ、それなりの背景もあったようにも感じるのです。

フリーランスにとって、クライアントとの関係ってとても大切ですよね。
地雷を踏んじゃうと、心身ともに疲労困憊しちゃいますからね。

地雷クライアントって概ね

  • デザインそのものに延々とあ〜でもないこ〜でもない言い続ける
  • 金の払いが悪い、値切ってくる、そもそも無償を求めてくる
  • コミュニケーションの仕方がいちいちキモい、ウザい

って感じでしょうかね。

場合によっては「クライアント」のところを「広告代理店」「制作会社」「よくわからないけど、間に入って来る人々」などと読み替えてください。
僕もそれらの人々を含めた上で「クライアント」という表現をしています。

僕は30代半ばでフリーランスになるまでは、企業内のデザイナーでした。
パンフレットやパッケージ、取説、チラシ、展示会の掲示物を作る係ですね。
もともとはデザイン事務所に「発注する係」だったのが、紆余曲折を経て「作る係」になっていったのですよ。

なので、本格的にクライアントと向き合い始めたのは、フリーになってからなのです。
それでも現在50代半、フリーランスのデザイナー歴は20年ちょっとありますので、それなりの数のクライアントと一緒に仕事をしてきているのです。

現在、デザイナーを引退することを決めています。
職業人であることを辞めるわけではありません。いったん長期休暇を取った後に、職業選択を含めて働き方を再構築しようとしているのです。
(参考:デザイナーは引退しても、デザインは続けるよ

すでに新規案件の受注を停止して、運用だけに携わりつつ、すべての案件がクローズするのを待っているところです。
当然、収入も激減中です。
そのへんのことは「セミリタイア・ブルー。収入が月20万円を下回りました」で書きましたので、ご参考に。

「想い出は美しい」のかな?

だんだんと20余年にわたるフリーデザイナー生活が「想い出」に変わりつつあるのですよ。
振り返ってみると「オレって相当、クライアントに恵まれてたよな」と感じるのです。

当然、地雷を踏んだことはあります。
20年もやってきていますから、一度や二度ではありません。

「クソみたいなヤツ」にはそれなりに出会っているのですが、その記憶を押しのけるように「いい人たちが多かったな」という印象が残っているのです。

デザインには口を出してくる人は、多かった印象です。そういう部署の人を相手に進めますから、当たり前ではあるのです。でも、そういう部署の人であるが故に理性的かつ論理的な人が多かったような印象です。
「ダメ出しするのが自分の仕事」「やり直しを命じることで立場の上下を確認」みたいな人と出会うことはほぼありませんでした。

多少の金額の交渉はありましたが、不当な値引き要求や未払いにあったことはありませんでした。20年の間、一度たりともです。
「ウチの仕事を安くやれば、あなたの実績になる。損して得取れだよ」みたいな言い方をする人、グラフィック(印刷物)ではいましたが、Webの現場では皆無でした。

想い出だから美しく感じている側面はあるような気もしますが、概ね「運がいい」部類に入るのではないでしょうかね。
なんとなく「うまいこといったな」と思っているのです。

そして、その原因。僕なりに、分析もしているのです。

「新しもの」に飛びついたのがよかったかも

フリーランスになって数年後に、軸足をWebに移すことに決めたのですよ。
2000年になるかならないかくらいの当時、いわゆる「ホームページ」は、世間的に話題にはなっていましたが、ちゃんとした評価を得られているものではありませんでした。「新しもの」だったんですね。
(参考:Webはチャチくてダサかった

もともと「ずっと印刷物やってきました。でも、Webもできるんすよ」くらいの感じで始まったのですが、途中から「Webデザイナーですが、もともとは印刷物作ってたので、できますよ」になり、ここ15年は一切印刷物を作っていません。
フリーになって5年後には「Webデザイナ―」ってことになってましたね。

自分で名乗ることには抵抗がありましたけどね。
「デザイナーにWebもグラフィックもパッケージもねえだろ、なんだってやっちゃうんだよ」みたいなことを言ってました。
最近は「WebはWebの専門じゃねえと、何もできねえわ」と思っています。

僕もそうだし、一緒に動き始めた制作会社も、そしてクライアントの担当者もみんなが手探りだったのですよ。

なので、誰かが誰かをマウンティングして喜ぶみたいな文化はどこにもなかったのです。
わからないことがあったら、みんなで調べ合うみたいなこともしょっちゅうでした。

あるクライアントの担当部署は、宣伝広告部門ではなく、広報部門にぶら下がって作られていて「インターネット室」とかいう、まったりした名称が付けられていました。
室長が30代前半だったんじゃなかったかな?

別のクライアントは総務に担当者がいました。
もともと印刷物で作っていた会社案内が「インターネットで見られる」だけで、みんなが大喜びしていた時代です。

新しくて、おもちゃみたいで、チャチくて、ダサくて、それでもなんだか楽しかったのですよ。

適度に「オッサン」であることの効能

現時点のWeb業界のメインプレーヤーって、40代以下じゃないでしょうかね。
前項で語ったWeb黎明期に、学生だったり駆け出しの社会人だったりした人たちが、どんどん盛り上げていってくれた印象があります。

30代半ばを過ぎてWebデザイナーになった僕は、当時からオッサンだったのですよ。
2000年前後、いろんな会社が「うちもホームページを」と言い始めつつあった当時に「Web責任者」を命じられた人と、同年代かちょっと歳上だったのです。

それが逆に受け入れられやすかったのかなと思います。
みんなが「Webって何?」を手探りで進めている状況下で、版下もDTPも経験してて、そこそこ社会経験のある僕って話しやすかったのだろうな、と。

ゆえに、それ以来あまり嫌な思いをすることもなく、ここまでこれたのだろうと思うのです。

最初は「印刷のことも分かってるし、ビジネスマナーもそこそこできてる、上司と会わせられる外注さん」だったのが「会社がホームページ立ち上げたときの経緯を知ってる外注さん」になり、次第に「職長よりも古いことを知ってる外注さん」になってきましたからね。

なんとなくみんな優しく接してくれてたのですよ。

それが、最近は少し様子が変わってきたのを感じています。
クライアントの担当者は、概ね20代後半から30代前半くらいのまま、どんどん代替わりしていきます。
当然、僕との年齢差は開いていく一方です。
だんだんと「気軽に相談しにくい外注さん」になってる気がするのです。

反対の立場になってみればすぐに分かるのですが、みんな同世代同士でワイワイと進めていくほうが楽しいのですよね。

部長や取締役とキャッキャしてる外部スタッフなんて、鬱陶しいに決まってるのですよ。

もちろん「仕事なんだから、年齢なんて関係ないだろ」が前提だし、正義なのではありますが、ちょっとした意見交換をしやすい/しにくいって、割と影響あると思いますよ。

この辺も、僕が「オレもそろそろ焼きが回ってきたな」と感じる部分でもあるのです。
だから「いったん離れて、想い出にするか…」と考えているのです。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。