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無職になったので、老後の準備を

2019.10.03

最終更新日:2019年10月25日

こんにちは、萩ドットライフ()です。

老後をイメージしてみるって、新しい視点が加わったような気がして楽しいですよ。僕は、このたび無職になったことをきっかけに「老後の準備期」に入ったと自覚しています。まず着手すべき準備は「75歳の自分に生産能力を残す」ことなのです。

75歳の自分に見せる景色

僕は30代半ばでフリーランスになり、こないだ50代半ばで引退して無職になった、元Webデザイナーです。
この記事で初めて「元Webデザイナー」という表現を使ってみました。

ここから少なくとも1年以上の長期休暇を取るつもりです。

無職になったことを境に「老後が始まったな」と認識しています。

とはいえ、長期休暇後はまた生産活動を再開するつもりですし、こうしてブログを書いているように、コンテンツを制作する活動はまだまだ続けていくつもりです。
(参考:[フリーランスの老後]遊ぶともなく、働くともなく

おそらく75歳とか80歳くらいまで、なんらかの生産は続けるのですよ。
生産をしなくなった後が、本当の老後なのであれば、今は「老後前期」や「老後準備期」などと表現すべきなのかもしれませんね。

「老後」を自覚することは、それほど老けを加速したり、行動を止めてしまうようなことではなくて「考え方にちょっとした変化を与えてくれるもの」くらいの捉え方をしています。

新しいスパイスをちょっとだけ加えてみたような感じです。

僕が今、イメージを作ろうとしているのは、75歳時点の僕の姿です。

30歳の僕がイメージしていた50歳の僕が、まったくの別物だったように、今イメージしている75歳の僕がその通りになるなんて思っていませんが、75歳になったときに「なんで55歳のとき、これに気づけなかったんだろう?」という後悔を少しでも減らしたいのです。

だから「これは、75歳の僕が見たい景色と繋がっているだろうか?」と、常に考えることにしているのです。

おそらく75歳の僕は、体調の良くない日が増えているだろうし、車の免許を返納することを考え、利便性の高い場所への引っ越しができる最後のタイミングだろうし、本を読んでも映画を見ても面白く思う感受性を失い、当然、自分で新しいものを生産する欲求も減退していると思うのですよ。

そこに、どうにかこうにか「豊かさ」とか「楽しさ」「生きがい」みたいなものを残しておきたいのです。
そのための準備期間に入っているのですよ。

迷うなら、やっとけ

「老後」をキーワードにした話って、同年代同士では噛み合わなかったりします。

おそらく同年代の人々は、サラリーマンならば「定年退職」が視野に入ってるだろうし、退職後の不安もあるだろうし、どうしても「老後」という言葉に対して負のイメージが強すぎる時期なんですよね。
だからどうしても「そんな暗い話、やめようよ」というストッパーが登場したり、辛気臭い方へ話が向かったりしてしまいます。

おそらく、一人ひとりはそれなりに考えてるんでしょうけどね。
各人の前提条件が違いすぎて、みんなで話せるテーマになりにくいのかもしれませんね。

むしろ、20歳年下の同業者に「条件を変えた『もうワンゲーム』があるから、いったんユルんで、また着火するんだよ」みたいな話をした方が、食いつきはいいですね。

同世代のフリーランスの反応は…、周りにいないのでよくわかりません。
50代のクリエーター系フリーランスって、希少種なのです。
当然、いろんなところにいるんでしょうけど、まとまった場所に生息していませんね。

僕と同年代、50代半ば。定年まであと5年、会社によってはあと10年くらいになると、もう「フリーになりたい」「起業したい」という声は聞きません。

「奥さんの実家の会社を継ぐ」とか「親戚の会社の跡取りに」みたいな話をときどき耳にする程度です。

あまり「あれやりたい」「これしたい」みたいな話にならないのですよ。
だから、ここのところ同窓会っぽいことと疎遠になっているのです。
(参考:50代になったら同窓会が増えた

おそらく、行動する気もない、口だけの人を含めて「あんなことやりたい」「今、これ考えてる」みたいなことをいう人が多かったし、楽しく騒げたのって、40代くらいまでだったように記憶しています。
40代も、だんだんと縮小気味だったかな…。

このくらいの年代までに、なんかしら行動を起こしておかないと、もう立場は固定されちゃうんですよね。
加齢とともに、行動することの「面倒くささ」は増していきますからね。

後述するように「起業しろ」「フリーになれ」ムードに乗る必要はありませんが、僕は、迷うんならやったほうがいいんじゃないの? と考える派です。

必ずしも成功するとは限りませんが、少なくとも後から「あのとき行動していれば」と後悔しながら生きていかなくて済みますし、多くの場合、成功に至らなくても「どうにか生きていけた」「なんとかなった」くらいの小ダメージで済むことが多いので、だんだんと行動することへの躊躇がなくなるんですよね。

生存者バイアスに騙されるな

僕は50代半ばででデザイナーを引退し、ひと休みしてからまた次の職業を構築しようと思ってるのです。
これは30代でフリーランスになったとき、紆余曲折はありながらも、どうにか食えるようになったことが大きく影響していると考えています。

「どうせまた、どうにかなるだろ」という気持ちがどこかにあるのですよ。

さらに僕の場合は、金融資産と不動産を運用すれば「豊かではないけれども、死にはしない」程度の資金は確保できているのです。
なので、30代でフリーになったときよりも、今のほうが行動するハードルが低くなっているのです。

だけれども、以前『フリーランスになりたいと言ってくる人には「やめとけ」と答えます』という記事を書いたように、ブームに影響されたり、現実逃避的な行動をすべきではない、とも考えています。

だいたい「行動したら、上手くいったよ」という発信をする人は「成功した人/何とかなった人」なのですよ。
僕も、運よく食えるようになったので、こうしてブログを書いているのです。
「みんなが同じような結果になるかどうかは分からないけど、僕はこんな感じでした。参考になれば」くらいの感じでお伝えしています。
(参考:僕が書いてることって、生存者バイアスですよ

一発逆転とか、コツとか、ショートカットなど、どこにもありません。

「あのとき行動していれば」と後悔しながら過ごす人生も、またひとつの選択なのだろうと思うのです。

ここはもう、他人を理解する必要はないし、賛同する必要もないのです。
自分は自分の人生を楽しめばいいのですから、他人にとやかく言う必要はないのですよ。

お金なんて、当てになりませんよ

「豊かではないけれども、死にはしない」程度の資金が確保できたからだだと、前項に書きました。
これが、50代半ばにして老後の準備期に入った動機のひとつであることは、間違いないのですが、充分ではないのです。

本当に「死なない」程度なのです。

それも、景気後退や天災。自分や家族の病気・事故によって、失う可能性が常にあります。

だから僕は生産することを止めたくないのです。
このブログのあちこちで「生産的な趣味」というワードを用いながら老後を語っているのはそのためなのです。

現役時代のように多くの収入を求めるわけではありません。
数年に1度、車や住宅設備を更新したり、PCや機材、ガジェット類を購入するのをためらわない程度の資金は稼ぎ続けたいのですよ。

生産が一番お金のかからない娯楽だと思っているのですよ。
それを、75歳の老いぼれた自分に準備しておいてやりたいのです。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。