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センスの、有る無し良し悪しについて

2020.01.26

こんにちは、萩ドットライフ()です。

「あの人はセンスがある」「なんだかセンス悪いなあ」などと、センスの話を日常的に思ったり口にしたりしますよね。「そもそもセンスって何のことなんだろう?」って深く考えてみたことってなかったのですが、いま暇なので、ちょっと考えてみました。

こども時代、センスなんて言葉使ってなかったと思う

僕が山口県萩市で高校に通っていた、昭和50年代後半。
まだ「センスがどうしたこうした」なんて物言いをしていなかったはずなのですよ。

なぜ、わざわざ「山口県萩市」と書いたかと言うと「田舎で暮らしていたからかな?」という疑念を拭いきれないからなのです。

大学に進学して上京したとたんに、日常的かつ繰り返して「センス」というワードを聞くようになったのですよ。

僕は、入学式前の春合宿中からバレーボール部の練習に参加していました。
ちょっとしたワンプレーに「なんだよ、センスねえなあ」。
「なんかテキトーに飲み物買ってきて」と言われて選んだドリンクに「おっ、センスあるねえ」などなど。

そのときは、チーム内の流行り言葉なのかな? くらいの印象を持って聞いていたのですが、入学式が終わり、全国各地から集まった同級生たちとコミュニケーションを取るようになると、やはり一定の割合で「センス」というワードが混ざってくることに気づいたのです。

それが、東京的な物言いだったのか? マスメディアに影響されていい始めた言葉だったのか? は、いまだに謎です。

そして現在に至るまで、ずっと使い続けてますね。

強いて言えば、かつては「有る無し」で語っていたような気がするのですが、現在は「良し悪し」を使うことが多くなってるように思います。

「あの人、センスいいよね」とか「頑張ってるんだけど、いまいちセンス悪いんだよね」みたいな感じですね。

僕はついこないだまで、30年以上デザイナーとしてメシを食ってきました。
割と「センスが収入に直結する」と思われがちな職業なのですよ。

「センスよりもロジックが…」とか「センスそのものではなくて、それの伝え方のほうが…」とか、踏み込むとややこしくなる話は脇に置いといて、たしかに「センス」という言葉を日常的に思ったり、口にしたりしがちな世界ではありました。

その言葉を使うことの安直さを指摘する場面も含めて、ですけどね。

センスは審美眼?

「センス」っていったい何なんでしょうね。

着る服、聞く音楽、読む本、観る芝居、飲み屋でのつまみのチョイスなどなど、人の行いや振る舞いすべてに「センス」を感じてるのですよ。

僕はずっと「好みが合う」とか「自分と同軸上にいながら、自分を上回ってくる」とか、審美眼を共有できているがゆえに、心地よいコミュニケーションが成立すること、のような気がしていたのですが、どうでしょう?

とりあえず、ググってみると、

Sense:
英語で五感の意味。転じて、美的感覚や感性のこと。才能と似た意味である。
出展:https://ja.wikipedia.org/wiki/センス(2020年01月26日現在)

ってことのようです。う〜ん、もうちょっといろいろ欲しいですね。

仕事でもプライベートでも、自分が「センスのいい人」だと感じる人のほうが絡みやすいですよね。
一緒にいて心地良いし、物事の進捗がスムーズなのですよ。

8の要求に対して10の成果が返ってきつつ、12になる提案もしてくれたり、とにかくしっくりくるのですよ。

当然、審美眼だ感性だ、という領域のことなので「合う合わない」ってのもありあますよね。
よく「方向性」みたいな言葉で濁したりしますけどね。

この「合う合わない」の判断は、なかなか難しいところだろうと思っています。
対応策について、なんとなくの勘はあるのですが、それを説明する言葉をいっさい思いつきません。

ファーストインプレッションで「あ、こいつ合わねえわ」と思った人と仕事を進めるうちに「これはこの人のセンスに合わせたほうが上手くいくぞ、レベル高いぞ」ってなったり、「この人センスいいわ、ヨカッタ」と感じた人となかなか上手くいかないこともあったりします。

50歳を超えたくらいからは、僕に焼きが回ってきちゃったことも影響してるんでしょうけどね…。

センスは学習?

一般論として「センス」という枠に入れていいものかどうかわからないのですが、業界のトレンドだとか、いまカッコいいとされいてるもの、技術的な流れ…。
そんな知識にとても明るくて、膨大な量をもっていて、すごく上手に組み合わせてアウトプットしてくる人もいますよね。

たぶん学習量が多かったり、日頃から情報感度を高くキープしていたりということなんでしょうね。

しかし、知識があるからと言って、似たような業界で、似たようなテイストのことをやれば「ん? なんか見たことあるぞ」とパクリを疑われて、自身やチームの信頼を棄損してしまいます。

ところが、時間と距離の離れたところから知識を持ってきて「遠く南米の原住民の生活様式や色使い」とか「異なる業界で職人に長年受け継がれている知恵」みたいなものをモチーフにすれば「素敵なインスパイア」というところに落ち着いてしまいます。

僕はこういうワザも、立派に「センス」と呼んで差し支えないような気がしているのです。
「学習によって培うセンス」ってことですね。

僕が駆け出しだった、昭和時代ならば「アフリカのある民族の風俗に興味あって、いっぱい本を持ってるんです」とか、「10年間、全く違う業界にいたんです」みたいなことでもない限り、距離と時間の離れたところにあるものとの接点を得ることは困難だったでしょうし、新しい思考様式や旬の技術も、日常的な関係性の中からしか吸収できなかったのです。

インターネットの登場以来、知識の収集が驚くほど容易になりましたよね。
そのために費やす時間もコストもどんどんゼロに近づいていっています。

「検索して、上っ面な情報を集めてる」みたいな批判はありますけどね。でも、不便よりも便利なのがいいに決まってますよね。

いったいセンスとは「審美眼、感性(=才能)」なのか? それとも学習によって培われた知識なのか? 僕には結論を出すチカラがありません。

でも「才能はどうにもならないけど、学習したり体験したりはまだまだできるぞ」「ならば、こっちに賭けてみようか」みたいなことを考えているのです。

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