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足りないものを嘆くよりも

2020.01.27

こんにちは、萩ドットライフ()です。

ずっと、自分に足りないものを探し続け、そしてそれを補うことに時間を費やしてきた人生だったように思います。50代半ばを過ぎ、人生の折り返し地点を過ぎた今「持ってるものだけでやりくりして楽しめばいいじゃん」などと思い始めてるのです。

多くのものを求めずに、生活に余白を

自分に足りないもの、劣っているところ、なんていくらでもあります。
それを、時間をかけてそれを克服したいし補いたいという考え方は、決して間違っていないし、ずっとそんなふうに考えながら生きてきたような気がするのです。
(参考:フリーランスの僕が暇な時にやったこと

現在、セミリタイア生活を始め、いったん無職になって長期休暇を取っています。

その背景には、

  1. 自分に足りないものを探し回って
  2. それを見つけて嘆いて
  3. そこを埋めるためのものをたくさん集めて
  4. それで安心する

そんな生活から逃れたい、という意思があったはずなのですよ。

「人生観」というと大袈裟すぎるような気もしますが、ちょっとした生活スタイルを変えるきっかけにしたかったんですよね。

まずは今の自分の手の中にあるもの、それは知識であったり、スキルであったり、資金であったり、友人であったり、その範囲で楽しんでみよう。

多くのものを求めずに、生活に余白を作ることを大切にしよう。

これから先の人生にとって必要なものがあるのならば、その余白の部分に無理なく入る程度の量を入れていこう。そのために、あまり多くのものを求めないようにしよう。

そして、要らなくなったものは常に続けて、余白を意識的に維持できるようにしておこう。

そんなふうに考えています。
たぶん、その余白が自分の人生を味わえる部分だと思うからなのです。

自分の足りないものを補うために時間を使いすぎたくないのです。
僕は50代半ば。もう、人生の折り返し地点を過ぎているのですから。

このブログの色んなところに書いているように、僕は「人生100年時代」を真に受けています。
だからセミリタイアの「セミ」は、ずっと長く労働に携わるための意思なのです。そのかわり、ユル〜い働き方に変えていくつもりですけどね。
〈参考:セミリタイアの定義。仕事は娯楽(=生産的な趣味)

一方で、日本人男性の平均寿命が81歳程度であることも当然知っています。
70歳くらいで「あれ、もう終わり?」ということも充分ありえるのです。

だから「死ぬまで働き続けるなんてまっぴら」だと思っているし「なんかしら社会と関わり持っとかないと、承認欲求持たないぞ」という2方向に対して折り合いをつけようとしているところなのです。

その解が「ユルく長く働くセミリタイア」だということにしているのです。

今あるものを楽しもう

50年以上も生きていると、引っ越しなんて恐怖しか感じないほどにモノが貯まっているのですよ。
だから、去年の秋くらいから、スローペースではありますが、ものを捨て続けています。
(参考:断捨離を実行することにします

これは物理的なモノのみならず、いろんなことに言えるのです。

知識やスキル、資産や友人などはあっても邪魔になるものでもないので、とくに断捨離のようなことに取り組む必要もないのですが、これまでのように多くを集めることに血道を上げる必要はないと思っています。

いま持っているものを組み合わせて満足し、時間の経過とともに失ったり陳腐化してしまったものは、そこを余白として、その部分を楽しみたいのです。

もしかしたら加齢のせいかもしれません、多くのものを欲しがる気持ちが失せているのですよ。
当然、消費によってステータスを補強しようなんて欲求も、とうの昔に失っています。

こうしてブログを習慣にすることで、自分と向き合って多くを語ることが意外に楽しかったりするように、少ないものから多くのことを考えることが快適なのです。

「今、自分に〇〇があれば人生が楽しくなるのになあ」と感じているものが極端に少なくなっています。
せいぜい、自分の環境を変えるために必要な「田舎の家屋」くらいのものでしょうか。

それも、以前

などで書いたように、そこそこのサイズの安価な家というか、小屋で構わないのです。

あとは、身の回りにあるもので充分楽しく暮らせるような気がしています。
多くのモノを求めると、小さくてたくさんある楽しさを見失うんじゃないかという気分になっているのです。

必要なものは欲張らずに、ひとつずつ積み上げよう

「いま身の回りにあるもので充分だよ」と思っても、「足りないものを補うために、貴重な時間を費やすことをやめよう」と思っても、おそらく成長欲みたいなものは生涯なくならないような気がしてるのですよ。

また、自分に不足している箇所を改善する必要がないかというと、そういうわけでもないのです。

自分に足りないものを嘆いても仕方ありませんが、認識しておくこと、そしてそれを改善することは続けていく必要があるのです。

そのためには、

  • 自分がやりたいこと
  • 自分が進みたい方向
  • そのためには何が必要なのか

を見極めながら、せっかく得た空白を無駄に消費しないように、バランスを取りながら、ひとつづつ積み上げていこうと思っています。

欲張ってあれやこれやと欲しがると、自分の人生を味わうための余白が少なくなってしまいますからね。
「必要性を感じないけれども、自分に足りないもの」は、端から無視してもいいのです。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。