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次から次へと問題を発見。どうしよう…

2020.02.15

こんにちは、萩ドットライフ()です。

新しいことを始めると、次々と新しい問題が発見されるのですよ。「発見」というのは、ちょっとポジティブぶってるだけで、本当は「やっかいなことがやってきたな」なんて思ってるんですけどね。それでも「やらない後悔」をするよりもマシなのです。

思考停止したら、いったんニュートラルに

今、さまざまな人生で初めての経験に向かい合っています。

無職になって長期休養を取ったり、長年暮らした東京を離れ、生まれ故郷の山口県萩市に移住しようとしていたり、古民家を購入しようとしていたり、反対に所有している不動産を売るか貸すかして運用しなければならなかったり、などなど。

自分がそういう状態にあると、まったく想定していなかった問題に巡り合うものなのですよ。

これまで50年以上生きてきて、様々な問題と向き合って解決してきたはずなのですが、ここに来てまったく毛色の違う問題と対峙するようになって、つくづく「世の中、わからないことだらけだなあ」とか「計画通りになんか行くはずないよな」などと感じるのです。

ここで決断しておけば、あとはすんなり進むだろうと思っていたことが、いざ走り出してみると「え? そんなことが起こってるの」「これもオレがやるの?」と、次々と問題に見舞われます。

過去を思い起こしてみると、20数年前にフリーランスになったときと本当によく似ているのです。

何か新しいことを始めるときって、往々にしてそんなものかもしれませんね。
やってみる前と後では、景色がまったく違うものなのですよ。

走り出してみて、向き合うべき問題を発見とどうしても「ん? 困った、どうしよう」と思考停止しがちですよね。

そんなときにパニクって間違えた方向に進まないように、自分を失って他人の言説にすがりつかないように、いったん思考停止状態になっている自分を認めて、ニュートラルな状態を作ることが必要だと思っています。

オッサンになると、そこそこのプライドも持ってるものですから「オレ、いま思考停止状態になってる」ってことを簡単に認めたくなかったりするんですよね。

結局「勘」で処理しちゃうんですね

初めて向き合う問題って、必要以上に失敗を恐れるんですよね。

冒頭で述べたように、僕はいま次々と初めての経験と向き合っていますので「待てよ、この決断間違ってたらどうしよ」みたいなことをずっと考え続けています。

「10回チャレンジして1回思い通りになったら御の字」「プロの矜持は失敗しないことじゃなくて、失敗したときのリカバリーにある」みたいなことは、アタマの中では分かってるんですけどね…。

でも幸いにして、心のどこかで「何が起ころうとも、どこかしらで折り合いを付けるしかない」と思っているので、どうにかこうにか前に進んでいます。

以前投稿した「やりたいことを、ひとつだけクッキリと」で述べたように、「やりたいことの芯」さえしっかりと保つことができていれば、あとは流れに任せてオッケーなのです。

流れに任せるために、いろんな情報にアクセスします。
ネット上をググり巡ったり、専門知識を持つ人の言葉を聞いたりしながら、その問題に対する知見を少しでも深めたいのです。

でも、最後の最後は「勘」とか「好き嫌い」とか、そういうものが決断のきっかけになってしまいますね。

「なんでそうなっちゃうんだろな」と思うこともありますが、そういう質(たち)だから仕方ないのです。
たぶん、その方が自分にとって自然なことなのでしょうね。

でも、そこに至る過程で収集したり吟味した情報は、少なからず役に立っているはずなのです。
一面では「行き当たりばったり」だし、もう一面では、そこそこの熟考は経ているのです。

あれ? 前にもこんなこと考えてたことあるぞ、と思って過去記事を検索してみたら、以前『「行き当たりばったり」は、思考停止じゃない』って記事を投稿してましたね…。

繰り返し繰り返し、同じようなことを考え続けるものなんですね。

問題を発見するとメンドくさいけれど

先日投稿した「人生は、たぶん短い」でも触れたように、僕は「人生100年時代だから、ユルく長く働こう」と思っている反面、「明日が永遠に続くなんてことはない」とも思っているのです。

何を言いたいのかというと「やった後悔よりも、やらなかった後悔」ということなのです。

いにしえから何度も繰り返されてきた言葉なのですが、それを自分の身にに起こったことを噛み締めながら「なるほど昔から残っている言葉というものには、それなりの意味があるんだな」みたいなことを考えているのです。

新しいことに向き合えば、いろんなメンドくさごとが次から次へとやってきて、ときには困り果てたりもするのですが、それでも「やらなかった後悔」よりははるかにマシなのですよ。

僕らくらいのオッサン・オバサンは、そんなこと分かってるはずなのに、なぜか他人の挑戦を「やめたほうがいい」「リスクなんか取らないほうがいい」って言いがちなんですよね。

そりゃ失敗なんて嫌なものです。

蓋をして「なかったこと」にしたいことなんて山ほどあります。
でも、その失敗から何かしらの学びを得ているから、次のステップに進めるんですよね。

「オレはこうやったら失敗する」が分かって、プラス1なのです。

目の前にやってくる問題も「やっかいなことが始まっちまったな」と思うと気が落ち込みますけど、新たな問題を、自分のチカラで「発見した」と思い込めば、ちょっとはやる気にもなりますよね。

今こうして、目の前にやってくる問題も「これを越えたら、ちょっとは成長する」「失敗しても、それはそれでいいじゃない」と思えば「ま、仕方ない。しばらく付き合ってみるか」という気にもなろうというものです。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。