follow hagi.life

やりたいことを、ひとつだけクッキリと

2020.02.03

こんにちは、萩ドットライフ()です。

「幕の内弁当なんて記憶に残らないから、やりたいことを明確に、ひとつだけクッキリと」なんて仕事でもよく言ってたセリフなのですが、自分事だとうっかり抜け落ちてしまうものなのですね。次のひと幕を上げるに際して、考えていることを記録しておきます。

前のひと幕は充実したものでした、が

自分自身のことを、さほど飽きっぽい性格だとも思わないし、変化を嫌ってひたすら安定を求めている人だとも思っていないのです。

それなりのバランスは持っているほうなんじゃないでしょうかね。
凡庸だとも言えるし、「ほどほど」という言い方もふさわしかろうと思います。

社会人になってはじめて就職した会社では10年間働き続けたし、それなりの貢献はできたと思っています。

その後、フリーランスになって自分の会社を作ったのですが、紆余曲折を経ながらでもなんとか、いわゆる「いい仲間」「いいクライアント」に巡り会い、50代半ばを過ぎる今まで、どうにかこうにかメシを食ってこられました。

これに関しては、感謝のひと言しかありません。

不安定が前提のフリーランスになったからこそ、安定の素晴らしさを身を持って感じることができました。
(参考:フリーランスになったころの失敗を記して、平成時代を後にしよう

僕は運が良かったのです。

冒頭で「さほど飽きっぽい性格だとも思わない」と書いたように、まったくないわけではありません。
ほどほどには、もしかすると世間様よりはほんのちょっとだけ多めに、飽きっぽいのです。

「もしかして、この生活は永遠なのかな?」と思った瞬間に居心地の悪さを感じてしまうクセがあるようなのです。

長らく、それぞれが求めるレベルでのギブ・アンド・テイクが継続できることは、とても幸福なことだったと思うし、出会う人達がおしなべてとても聡明な人たちであったこともあって、なかなか快適な職業人生の「ひと幕」でした。

それを自分で閉じてしまったのです。

なにかトラブルがあったわけでもありませんし、辟易するほど「なあなあ」になっていたわけでもありません。

だからこそ「飽き」に耐えられなくなったということなんでしょうけどね。
逆に言うと僕が、その飽きを自分自身で突破できるほどのレベルに達していなかったということでもあるのですよ。

一番長きにわたってお取引いただいたクライアントとは、20年にわたるお付き合いでした。
途中で合併されて商号が変わられたり、途中2年間の戦力外期間もありましたが、僕がフリーのデザイナーとしてメシを食えたのは、このメインクライアントと、その間に入ってくれていた制作会社のおかげであることは間違いありません。

もうすぐ最後の日がやってくる

このブログで何度も触れているように、僕はいま無職になって長期休養をしている最中です。
以前投稿した「「無職」って言っちゃうとウソになる。でも言いたいのです」で触れたように「セミ無職」ですけどね…。

よき仲間、よきクライアント、安定した職業人生から自分で降りたのです。
当然、受け持ち案件はちゃんとクローズさせてから離脱しました。

人間って、毎日少しずつ入れ替わっているのですよ。
当然、僕も20年以上前にフリーランスになった頃と、まるっきりの別人になっているはずなのです。

なんとなく「オレは30代のあの頃と同じ、まだまだ若い。はず」などとも思ったりもしますが、心技体すべてにおいて加齢による変化を感じるのは事実なのです。

「現状に即して変化することの方が自然だ」と考えるようになって当然ですよね。

あえて「もうすぐ最後の日がやってくる」と仮定して、ものごとを考えることが増えてきました。
僕という自然人の最後、所有している法人の最後、双方ともに、です。

他にも、人間関係だったり、居住地だったり、メシの種になっている技術だったり、いろいろありますけどね。

そう考えると、人生を「おかわり」したくなっちゃうもんなんですよね。
やり残したことが次々と浮かんできて、いても立ってもいられなくなってしまうのです。

過去にも二度ほど、

って記事を投稿してますね。
このころ「人生二毛作」っていう言い方にハマっちゃってたんでしょうね…。

フリーランスになってからの20数年間が最善だったとは思いませんが、それなりに充実した日々だったことは間違いありません。

ただどうしても、いったん幕を下ろして次のフェーズに移りたくなってしまうものなのです。

やりたいことを、ひとつだけ

このブログを開設してからずっと「次のひと幕」のことを考え続け、それを記録し続けています。

「やりたいことの芯」はもう決まっていて、このブログのキャッチフレーズにもしている「山口県萩市でセミリタイア生活」なのです。

その下位概念としての「やりたいこと」は、あれやこれやと思いついているのですが、まずは自分の生活環境と生活スタイルを変えることが最上位なのですね。
この部分は、一緒くたに詰め込んでしまうとややこしくなってしまうので、明確に分けて考えるようにしなければなりません。

昨日投稿した「拘る(こだわる)、について考える」を書きながら考えていたのですよ。

20数年前フリーランスになってから、こうして無職になるまでのひと幕は「自分の好きな仕事を、好きなようにやってメシを食う」ということが「やりたいことの芯」だったのです。

思いのほか「好き放題」ってわけにはいきませんでしたし、最初っから上手くいったわけでもありませんでしたけどね…。

拘る(こだわる)、について考える」で触れたように、加齢とともに「本当に大切なこと以外は『なんか、どうでもいいいな』と流れに任せられるようになった」ことは、とても大切なことだと改めて感じました。

若干、見失っていた部分があったことに気づいたからです。

萩市での家選びもそうだし、東京の不動産の運用方針だったり、セルフリノベーション、動画制作、資金計画、などなど。

「やりたいことの芯」周辺の事柄に必要以上にこだわっていたように思うのですよ。
すべてにおいて完璧なんてことはありえないにも関わらず、上手くいっていないこと、不足しているものばかりに気を取られていたのです。

「山口県萩市でセミリタイア生活」のうち、セミリタイア生活に関してはすでに実施中です。
あとは「萩市に移住する」という1点が残っているだけなのです。

結局、今回の記事。以前投稿した「原点に返る。先のことは偶然に任せる」で導きだした結論、

「今度こそは、住むべき家をサクッと決めて来たい」「さっさと次のフェーズに進みたい」と考えているところなのです。

に、別ルートからたどり着いただけでしたね…。

ずっと、こんなことを繰り返しているのです。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。