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食べていける状態、について考える

2020.04.04

こんにちは、萩ドットライフ()です。

ずっとフリーランスで仕事をしてきたので「食べていける」ということについては、ずっと考え続けてきました。セミリタイア生活を始めるにあたって無職になった今も、そしてこれからもずっと、生涯にわたって考え続けるテーマだろうと思っています。

食べていける状態とは?

もう30年以上も前、大学を卒業して社会人になったばかりの頃には「いずれは自分の会社を持って、それで食べていきたい」と思っていたし、20数年前に独立したときには「フリーランスのデザイナーとして食べていきたい」と思っていました。

20代30代くらいの頃は「いつか食べていけるように」で行動してたのですね。

いま僕は50代半ばを過ぎているので「いつか」ではマズいのです。
このブログに何度も書いているように、無職になって長期休暇を楽しんでいるし、そのうちまた何らかの職業を始めるにしても、労働力そのものはどんどん衰えていっているので、労働に加えて、資産運用と公的年金を合わせた形で「食べていける状態」を作り続けなければならないのです。

僕のイメージは資産運用と公的年金で、最低限の生活を保持しつつ、娯楽として、生活に豊かさをもたらすものとして労働に取り組みたいと思っているのです。
(参考:セミリタイアの定義。仕事は娯楽(=生産的な趣味)

フリーランスになって以降、ずっと「食べていける状態」のことを考えています。

当然、どのくらいの収入が必要なのか? だけではなく、リスクを想定したり、この先の社会状況や自分の健康状態、お金のかかりそうなライフイベントなどなどを含めて、複合的にイメージし続けているのです。

細かい計算は省きますが、僕はだいたい月額25万円程度あれば、贅沢はできずともまあまあストレスのない生活ができるのではないかと考えています。

そのときの家族構成や、自分以外の家族が扶養家族なのか? 戦力なのか? によっても変わってくるので微調整は必要なのでしょうが、大ざっぱに僕単体での見込みです。

思い起こせば、フリーランスになったばかりの頃だった20数年前も、このくらいの目安だったと記憶しています。
「年収300万円+家賃分くらい稼ぐのが最低ラインだよな」みたいな感じでしたね。
(参考:フリーランスになったころの失敗を記して、平成を後にしよう

ということは、この20年間ほぼ物価が変わってないってことですね。
よく言われる、バブル崩壊後の1990年代初頭からの「失われた30年」を裏付けてくれますよね…。

勢いで行動してるだけだとキケンですよ

フリーランスになろうと踏み出した30代の頃も、セミリタイア生活を始めることにした50代の僕も、一面皮算用的ではありますが「食べていける状態」についての計算をし続けています。

前述の通り、今は「無職になって長期休暇を楽しんでいる」状態でありながら、同時に「セミリタイア生活を送るための環境づくり」をしているフェーズでもあるのです。

20数年以上前にフリーランスになったときもそうでしたが、何かを始ようとするフェーズでは、たくさんのエネルギーを消費します。

未体験のことですから、目をつぶってジャンプするような勢いも必要です。
でも、勢いだけだと計画が途中で頓挫することにもなりかねません。

始めることと、食べていくことは別の話なのですよ。

行動を起こすのは、自分だけの「勢い」でどうにでもなります。
むしろ、他人からのノイズを排除したほうが、動き出しはスムーズだと感じています。
(参考:口を挟むだけのひと

でも「食べていく」ためには、自分ではどうにもならない要素がたくさんあるのです。

たとえば、フリーのデザイナーで食べていくためには、クライアントや広告代理店、制作会社などの他人から能力を認めてもらい、案件を受注し続けないとなりません。

そこに、最初の「勢い」は関係ないのです。

セミリタイア人として食べていこうと思っても、2008年のリーマンショックや2020年の新型コロナショックのような大型の経済危機によって金融資産が毀損させられることを想定していなくてはなりません。

もしかしたら、公的年金の受給額が大幅に減額させられることもあるかもしれません。

最初は勢いで大胆に行動を開始する反面、継続は必要以上にビビりながら繊細な思考を続けていくものだと、感じています。

生存者バイアスに気をつけよう

今のセミリタイア生活を始めた状態を、20数年前のフリーランスになったときと対比させながら考えていることが多いのですが、同時にフリーランスのデザイナーとして食べてこれたことは「運がよかった」とも思っています。

僕は「運」とは「準備と機会のマッチングシステム」だと思っているので、それなりの準備をしてきたという自負はあるのですが、それにしても実力を超える結果を得られたと感じているのです。

だから「再現性のない要素が多々含まれてるなあ」という感想を持っています。
俗に言う「生存者バイアス」ってヤツですね。
(参考:僕が書いてることって、生存者バイアスですよ

無意識のうちにしてきた判断や、人との巡り合い、選択した技術などを認識できていない可能性が強いのです。

つまり、フリーランスのデザイナーとして食べていくことが、最初はちとつまずいたものの、長期的に見れば、まずまず上手くいったので、これから始めるセミリタイア生活における、失敗の可能性が見えづらくなっている可能性を感じているのです。

前項で述べた通り、最初は勢いで行動を起こしても、そのままでは食べていくことはできません。
動きだしたらすぐに目標設定してそれをクリアすることが肝要です。

当面僕は「命あるかぎり、月額25万円あればどうにかなるだろ」くらいに思っていますし、それは現時点でクリアできてるはずなのです。

ただ時節柄、東京のマンションの売却が思わぬ不調に終わった場合を想定してプランBを考えておくことも必要かとも思っています。
(参考:東京のマンションを売ることにしました

いずれにせよ、僕のみならず世の中に「ちゃんと食べていける状態の人」が増えれば、それだけ明るい社会になるはずなのです。
その中のひとりで居続けられるように、ぼちぼちガンバリます。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。