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あらためて考える、朝ランの効能

2021.01.13

こんにちは、萩ドットライフ()です。

ランニング中に、家の中では決して思いもつかないようなことを考えていることがあります。たいてい家に着くと忘れちゃうんですけどね。たぶんランナーズハイの効果で、頭の中のしくみが変わってるんでしょうね。この高揚感が暮らしに必要なのです。

ここ数日、雪のせいで走れなかったので

雪が積もってたり、溶けてもみぞれが降ってたりして、しばらく朝ランに出かけられませんでした。

朝起きてPCに向かい、別のことをテーマにブログ記事を書き始めていたのですが、思うように筆が進まず、気晴らしにまだ夜の明けていない真っ暗な外に出てみると、月明かりで薄っすらと山の稜線が見えたので、手を止めて朝ランに出かけることに。

1時間ばかり走ってきて、お風呂に入り、洗濯機を回しながら再びPCの前に座っています。

起き抜けに選んでいたテーマというのは「ちょっと昔を懐かしんで」ふうなテーマだったのですが、やめて再度「朝ラン」をテーマにして書き直すことにしました。

最近少し、思い出をネタに記事を書くことが増えてきて「ちょっと目先を変えなきゃな」と思ってたので、ちょうどいいのです。

「朝ランを習慣にしています」とはいえ、毎朝走ってるわけではありません。
いまは冬なので、寒い中走ると心地よく、帰ってそのまま入浴すると浴室の寒さも気にならないので、なかなか快適なのですが「あまり頻度を増やさず、週に3回か4回」と決めています。

こういう運動の習慣って、どうしても「強度を上げて」「長時間」「高頻度で」ってなりやすいんですよね。
そうなると、結局どこかしら故障して、長ければ数週間休むはめになるのですよ。

ほどほどが一番なんですよね。

なので、僕の場合はだいたい「1日おき」と決めています。
走るはずの日が雨や雪で数日空いた場合には、連続で3日くらい走るときもありますけどね…。

今回のように、雪のせいで1週間ちかく空くと、なかなかストレスを感じますね。
家の中で腕立て伏せをやったり、腹筋やスクワットをやったりもしてるんですけどね。

どうやらそういうことでもないようなのです。

朝ランは観察行為

人口が少なく、高齢化しているせいもあるのでしょうが、萩は朝ラン人口が少ないように感じます。
市内の民間企業は、8時開業のところが多いような話も聞いたことがありますので、そのせいかもしれませんね。

だいたい「この時間にこのコース走ってれば、この人とすれ違うな」と認識している人が、ひとりか二人ですね。
むしろ「いつもの人」として認識しているのは、お散歩中のお年寄りのほうが多数派です。

とはいえ僕の場合、ランニングとはいうものの、1キロメートルあたり7分弱程度の、非常にゆったりしたペースで移動しています。
速歩き散歩とジョギングの間くらいのペースなんですよね。

だから頭の中は、ランナーよりもお散歩中のお年寄りに近いのかもしれません。

とくに萩に移住してきてからは、ペースのことをいっさい考えなくなりましたね。
理由は簡単で、コースに距離表示がないからです。

東京で暮らしているときには、公園の周回コースを走っていましたので、コースに距離が記されたタイルが埋まってたんですよね。
なので、それを見ながら、1kmごとのラップタイムを気にしながら走っていました。

いまは、大まかな自分の体調と周囲の景色を観察することくらいしかしていませんね。

しっかりと、足首、膝、腰、背中…と順を追ってチェックしていくというよりは、漫然と「なんか足の甲痛いな〜。しばらく走っても気になるようだったら、とまってみよう」とか「そっか川を渡ると、もう道の端にも雪は残ってないのか…」みたいな感じです。

とくにプランがあるわけでも、ルーティンになっているわけでもなく漫然と、せいぜい「違和感に気づけば、それについて考え始めよう」くらいの感じで、自分や周囲を観察しながら走っています。

ずっと何かを観察しているわけでもなく、頭の中を延々と耳に残ってる音楽がローテーションしていたり、ただ目に見えるものだけを追い続けていたりという時間帯も多めです。

先日、自動車学校に通って運転免許を取ったことがきっかけで、交通に対しては少々敏感になってる感じはします。
(参考:50代半ばにして、自動車運転免許を取りました

ランナーズハイ

ランニング中って、家の中でPCに向かっているときには思いつかないようなことを考え始めることもありますね。
でも、そういうのって、走り終わると忘れちゃうんですよね。

たぶん「ランナーズハイ」ってやつなんでしょうね。

ランナーズハイ (生体):
ランナーズハイ(runner’s high)とは、継続的な運動によって引き起こされる一時的な多幸感であり、喜び、深い満足感、高揚感、ウェルビーイングといったポジティブ感情を経験する感情的状態である。長距離走の場合はランナーズハイであり、ボート競技の場合はローワーズ・ハイ(rower’s high)と呼ばれる。
出展:https://ja.wikipedia.org/wiki/ランナーズハイ_(生体)(2021年01月13日現在)

さっきも走りながら「これ考え直して、ブログに書こっかな」と思ったことがあったのですが、はて? それはなんだったのか…。

ランニングでも散歩でもいいのですが、平時よりもほんのちょっとだけ高揚した状態で、自分の身体や、自分が暮らす街並みを観察する時間って、自分が安心感を得ている時間なんですよね。

前述の「ランナーズハイ」の解説に書いてある通り、一時的な多幸感を味わっているのですよ。
「問題なし、オレは大丈夫だ。先のことを考えていい」ってことを確認するんです。

やっぱり、頭と身体は連動しているのですよ。
加えて僕は、視界が頭に及ぼす影響も、とても大きなものだと感じています。

だから、作業部屋でPC前に座ってるときとはぜんぜん違う状態になってるんでしょうね。

とくに最近は、外出や会食の自粛が要請されていて、ずっとステイホームしていることが奨励されています。
頭の中にハイな状態を作る機会が減っているのです。

なので、朝ランでも散歩でもいいから、周囲の景色が見渡せる時間帯に1時間程度の移動(=視界の変化)を伴う身体運動、ものすごくおすすめです。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。