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自分モードで行こう

2021.01.28

こんにちは、萩ドットライフ()です。

他人のことを考えて過ごす時間が長かったなと感じています。他人の期待に応えることで報酬をいただいていたので仕方ないんですけどね。でも無職になったいま整理してみると、人生は自分で組み立てるしかないのです。自分モードで行くべきなのです。

ずっと思考の中に他人がいたよね

無職になって、1年以上が過ぎました。
「人生最長の休暇を取ってるなあ」という非日常感が抜け、これがもう「普段」になってしまっています。

反面「まだ1年程度じゃ、セミリタイア人としてはビギナークラスだよな」なんてことも考えてしまうんですよね。

職業人時代のことを頻繁に思い出しますしね。まだ未練があるんでしょうかね?
「復帰したい」とかじゃなくて、ついつい今の自分と向き合うための比較対象として「仕事をしていたときはこうだったけれども…」みたいなことを考えてしまうのです。

たぶんそのうち、そんなことも考えなくなるのでしょうね…。

職業人だったころは、他人のことを考えながら過ごしていることが多かったように思います。
「自分がどう考えるか」よりも先に「どうやれば他人が満足してくれるか」を考えるのが当たり前になっていたんですよね。

口では「僕はこう考えます」みたいなことを言うし、他人の満足を得るために考え始めたことを、本当に「自分の考え」だと思い込んだりしていましたね。

その「他人」とはクライアントだったり、広告代理店や制作会社などの中間業者だったりのことを想いながら書き進めています。

当然、職業を失っても残り続ける「他人」も多く存在することは分かっているのです。
友人・知人・恋人、家族などですね。

なのでゼロにすることは叶いませんが、他人のことを考え続けて疲労困憊することは、セミリタイアすることによってかなり軽減されたと感じています。
それだけ、職業上の「他人」のことを考えている時間も強度も大きかったのでしょうね…。

とくに僕の場合は、フリーランスのデザイナーだったので、仕事とプライベートの境目がずっと曖昧でした。
自分のことだけを考える「自分モード」の時間がとても少なかったのです。

他人のことを考えることで報酬を頂いていたのですから、仕方ないんですけどね。

でも、ずっと他人モードだと「自分がやりたいこと」とか「自分発信の考え」みたいなものを見失っちゃうんですよね。
「楽しさ」「感動」「希望」みたいな感情も鈍りがちになってしまうのです。

自分と向き合う時間を確保する

40代50代にもなると、そこに加齢による能力の低下が加わってきます。

僕はいまセミリタイアしていますので、過去を振り返りつつ分かったようなことを言っていますが、当時はずっとモヤモヤしたまま、うまく言葉にすることができませんでした。

こうして毎日ブログを書いていると、何気なく自分が書いた言葉にハッとさせられることがありますよね。
先日投稿した「とりあえず1,000記事投稿してみた。さてどうしよ…」で、僕は、

ブログを書く時間は自分と向き合う時間

なんてことを書いているのですよ。

自分で思いついた言葉なのか、どこかで見聞きした言葉を引用してみただけなのかは謎ですが、書きながら「そういや、職業人時代は他人のことばかり考えてて、なかなかこんな時間を過ごせてなかったなあ」と思い至ったのです。

だから、今日こんな記事を書いています。

もう少し早く「自分モード」になる時間を多めに取っていたら、少しは違う結果も得られたのでしょうが、得てしてそんなものですよね。

こうして「自分と向き合う時間」を確保する習慣をつけたことで、これまでの人生を思い出しつつ、これからの暮らしについて考える機会が増えていることは、昨日投稿した「時が経つと、いまの自分ではなくなってしまうから」でも触れたとおりです。

「無職」という選択肢を持ったときから

あとから振り返ってみると「セミリタイア」とか「無職になる」を選択肢を持ったときから、上手に「自分モード」に切り替えることができ始めたような気がしています。

当時は、そんな認識してないんですけどね。

自分が職業人として、焼きが始めていることを客観的に捉え始めることができたし、なんのためにこの仕事をしているのか? とか、これからどんな人生を送りたいと思ってるか? などなどの見え方がちょっと変わった気がするのです。

先日投稿した「メタ認知力の高さが、自分をセミリタイアへと導いたのかもね」で矛盾するようなことを書いたのですが、ちょっと角度を変えつつも、実は同じことを言っています。

結局、行ったり来たりなのです。

「無職になる」という選択は「自分の居場所を、社会構造の中に必要ないよな」という考えを持つってことなんですよね。
そんな考え方をし始めると、いろんなことを「クソくらえ」と思うことができるようになります。

そいうするとこれまで、いろんなものごとを「経営者」だからとか「フリーランス」だからとか「デザイナー」だからみたいな、立場から発想していたことに気づくのですよ。

「こういうの、要らんかもな」から「うん要らん、やめて無職になろ」という決断に至るまで、そんなに時間はかからなかったように思います。
実行までは、そこそこの期間を要しましたけどね…。

でもこういうのって、金銭的な背景も必要となりますので「みんなだって、そうでしょ? みんなやればいいじゃん」とは言いにくいなんですけどね…。

自分の人生は、自分で組み立てるしかない

「自分モード」で行くって、自分の直感に誠実であることなのかなあ、と思います。

「直感」って、なかなか捨てたものではないのです。
これまでの体験とか知識、知恵など、自身ではちゃんと言語化できていない部分まで含めて思考を下支えしてくれているものだと思うのです。
僕の足らない頭で「傾向の分析だ」「対策方法の分解だ」と、考えをこねくり回すよりも、直感を頼りに「やりたいこと」「なりたい自分」をさっさと組み立てにかかったほうが手っ取り早いように感じています。

ここのところ、未来を予測しながら、自分の身の置き場を作り出そうなどという考え方ではどうにもならないことが、次々と明らかになってきていますよね。

周囲を見渡したりニュースを見ていると、リモートワーカーは増えてるし、副業への取り組みは奨励されつつあるし、業績悪化に伴い解雇や長期休業・廃業を余儀なくされている人々もたくさんいるようですしね…。

「自分の未来はどうなるんだろう?」と考えていてもどうにもならないのです。

僕は、自分の人生は自分で組み立てていくしかないと思っています。

これからも「自分は何が好きなのか?」「どういう老後を迎えたいのか?」「何を作って、誰に見せたいのか?」などなをを考えながら、自分モードでいる時間を多めに設定して暮らしていこうと思っています。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。