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メタ認知力の高さが、自分をセミリタイアへと導いたのかもね

2021.01.25

こんにちは、萩ドットライフ()です。

その昔「80歳になってもデザイナーでいたい」なんて言ってたことを思い出しました。結局はやめて、セミリタイア人になってるんですけどね。僕はメタ認知力が高いほうだと思っています。ゆえに力不足に耐えられなくなったのかな? とも思うのです。

80歳までデザインの現場にいようと思ってた

昔といっても、すでに40歳を超えた、れっきとしたオッサンになってたころ。
僕は「70歳・80歳くらいまで、このデザインの現場で仕事をしていたい」と思っていたし、よく言っていました。

それはとくに自分を鼓舞するためとか、「フリーだから、定年って概念ないんだよ」みたいなことを自分に言い聞かせるためとかじゃなく、なんだかとても自然に、そんなことを考えていたのです。

もしかすると「生涯現役」的な言葉にかぶれていただけだったのかもしれませんけどね。

それが50代になったあたりから「セミリタイアもいいな」と思い始め、「ヨシやってみるか」と行動を開始。
こうして50代半ばにはセミリタイア生活に入ってるなんて、想像もしてませんでした。

ときどき、昔の「80歳まで…」を思い出して「なんで、こうなっちゃった?」と思うこともあります。

そのころの自分はいなくなっちゃったのかな? とか、その間どういう心境の変化があったんだっけな? とか、ちゃんと振り返ろうと思っても、ピースが全部揃ってないんですよね。

ずっと真面目に考え続けた結果、決断に至ったはずだったんですけどね…。

「自分の気持に従おう、どうにかなるし、どうなってもいい」と考え続けていたことは覚えています。
ただ、ディテールがあまり鮮明ではないのですよ。

「ヨシ決めた。セミリタイアするぞ」と決めたあたりで、思考を上書きしちゃってるような気もするんですよね。

力量が足らないことは判ってた

このブログで何度も使っていますが、僕は「焼きが回ってきたと自覚したから、デザインの現場から去ることに決めた」という言い方をすることにしています。
このあたりが一番、自分にとって腑に落ちる表現なんですよね。

誰かに言われたわけでもなく、仕事が減り始めたからでもなく、自分で感じたから自分で決めたのです。

どこかしらで、自分に見切りをつけるタイミングとか、理由付けを求めてたんでしょうね。
前項の「80歳まで…」とは、矛盾しますけれども、人間なんてそんなもんですよね。

僕は自分の力量。たとえばデザイン力とか営業力、人脈、才能みたいなものが大したことないことは理解していました。
謙遜ではなく、武器として、正確な自己判断・評価ができていたと思っているのです。
(参考:何歳になってもコンプレックスを克服できない

僕よりも、デザイン力も組織力も、営業力も優れた同業者なんて、山ほどいるのです。

そんな中で、

  • 自分がどんなポジション取りをすれば仕事が回ってくるのか
  • どんなスピード感でコミュニケーションをすれば快適に感じてもらえるのか
  • どのくらいの頻度・割合で新技術や、流行の手法を織り交ぜれば喜ばれるのか

そういったことを、冷静にかつ客観的に考え続けていたし、四半世紀にもわたって発注していただけたということは、そこそこ戦略は当たっていたということなのだろうと思っています。

そういうのって、メタ認知って言うらしいです

自分の力量を見極める。褒められても調子に乗らないし、貶されても落ち込まない。自分の仕事を感情抜きで評価する。みたいな力が、僕にはそこそこ備わっていたのだろうと思っています。

生まれつきのものなのか? 学生時代に体験していた競技者生活で身についたものなのか? は謎です。

ただ「こういう特性があると、力量で劣っていても、どうにかこうにかメシを食うくらいはできるなあ」というのが実感です。

こういうのって「メタ認知」っていうらしいですね。
ざっくり言うと「自分を客観的に見ることができる力」みたいな感じでしょうかね?

ググってみると、

メタ認知:
メタ認知(英:Metacognition)とは、「メタ(高次の)」という言葉が指すように、自己の認知のあり方に対して、それをさらに認知することである。メタ認知という概念の定義やその活動は分野によって様々であるが、心理療法や認知カウンセリングをはじめ、ものごとや経験に対して正しい理解を行えているかなど、自分の認知行動を正しく知る上で必要な思考のありかたを指すことが一般的である。
出展:https://ja.wikipedia.org/wiki/メタ認知(2021年01月25現在)

ってことらしいです。

なんとなく、この辺が僕の強みで、自分に力量が不足していることを認識できてたからこそ、レッドオーシャン気味の業界でどうにか生きていけたのだと思っています。

必死になって、しがみつくための戦略を繰りますからね。

結局、無職になることを選びました

前述の通り、僕はメタ認知能力が高かったのだろうと思っています。
でも、こういうのって必ず、良し悪しがありますよね。

力量不足なくせに、長らくデザイナーとして食って来れたことは「良し」。

でも、いちいち考え過ぎて、要らぬことにまで考えが及んでしまうことも往々にしてあったのですよ。
加えて、職業人時代の僕は過集中気味でしたし、そういう特性を「いいこと」だと捉えていました。
(参考:集中できなくなった。こうしてひとつずつピースを失っていくのです

今から考えると、この辺りが「悪し」の部分でしょうかね…。
とにかく疲弊するし、40代後半にはパニック障害も発症してしまいましたしね。

思うに、

  • 要らぬことにまで考えが及んでしまう
  • 思考にハマって疲弊してしまう

からこそ、「ダメだオレ、焼きが回ってる。やめなきゃ」という考えに至ったような気もするのです。
どこかしらで、自分を客観視することを放り出していれば、別の結果になったのかな? とも考えます。

現実、セミリタイアを選んでいるのだし、これはこれで快適なのでいいんですけどね。

でも、40代始めのころに考えていた「80歳までデザイナーでいたい」という考えを失ってしまった経緯だけは、自分の中で腹落ちさせたいのです。

しばらくしたら「さ、いっぱい休んだから、案件また請けるよ。80歳までやるんだからね」って言い出す可能性も、数ミリ程度は……ある…かな…?

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