follow hagi.life

「理屈抜き」なものを、どう語るか?

2019.06.10

こんにちは、萩ドットライフ()です。

ブログを書きはじめて「理屈抜きなことって多いな」と感じるようになったのですよ。「理屈抜きに好きなもの」「理屈抜きにやりたいこと」。単純に、いま上手に言語化できないだけな気もしますが、これからの人生、大切にしたい要素なのだと思っています。

どうしても言葉にならないこと

こうして、毎日々々ブログを書き続けているのですが、テーマを決めて書き出したあとに「あれ? ぜんぜん言葉が出てこないじゃん…」ということも多々あるのですよ。

もともと僕は、あまり構成を決めずにキーワードだけ決めておいて、思いつくままにガーっと書き出しつつ、途中で「狙ったキーワードと文脈、ズレてないよね?」「この記事単体で自分の立ち位置わかるよね?」などと思いだしたようにちょこっと検証するくらいなのです。

あまり推敲しすぎると、投稿できなくなったしまいますので、そのへんはテキトーに、60点くらいのできで投稿することにしています。

それでも、どうにもこうにも言語化できないことってあるのですよ。

それは、このブログでずっと書き続けているテーマの中にもたくさん含まれていて、たとえば現在している「二拠点生活」にしても「何がメリットでそうしてるの?」と自分で問いかけても、すぐに答えは出てこないのです。
このブログの中では「移住の準備行動」とか「身を置く環境が変わるだけで、考え方に変化が生じる」みたいなことを書いていますが、どうもしっくり来ていないのですよ。

しっくり来ていないからこそ、言葉を探して何度も何度も話題にすることになるんですけどね。
つまり「理屈抜き」なのですよ。

自分の中に「理屈抜き」というラベルのついた棚を設けると、結構いろんなものがそこに置かれることになりますよね。
ずっとMacをメイン機にし続けてることもそうだし、スポーツシューズはオニヅカ時代から40年以上にわたってASICS。
ヘアスタイルは、色に変化はあれど20年近く坊主だし、ずっとテレビ持ってないし…。

なんだかんだと、他人に説明する用の言葉は持っていたり、ちょっとずつアップデートもしたりしているのですが、しっくりきてないことが多いのですよ。

「理屈抜き」でそうしてるんですよね。

りくつ‐ぬき【理屈抜き】の意味:
理屈をつける必要がないこと。「理屈抜きにおもしろい」
出典:理屈抜き(りくつぬき)の意味 – goo国語辞書(2019年6月10日現在)

もともと「理屈抜き」って言い方が嫌いだった

ずっと「これは、理屈抜きに美しいものなのですよ」みたいな表現を避けてきました。
というより「理屈抜きで」という言葉を使いたがる人が嫌いだったのですよ。

「理屈抜きで → こちらの言うことを聞いてくださいよ」
「理屈抜きで → いい感じのものを作ってくださいよ」

みたいな使い方をする人が多い印象をもっていたのです。
議論や検証を遠ざけるための言葉として「理屈抜き」を捉えていたので、僕自身にとっては、ずっと使いたくない言葉だったのです。

僕の職業はデザイナーなので、クライアントの問題を解決するのが仕事なのですよ。
必ず、何かしらの意思をルール化した上で「スタイリング」や「アート」と呼ばれるビジュアル作りを進めていく必要があるのです。
当然、参加メンバーの「(理屈抜きの)好み」が反映されることはありますが、それでも作為的な範囲のなかで選択されることなのですよ。

心の中で「これ、カッコいいじゃん! 理屈なんて要らないじゃん!」と思っていても、そういう言葉で処理することをずっと避けてきたのです。

「理屈抜き」の重要度って増してきてる

僕は今、約30年続けてきたデザイナーを辞めようとしています。
それは「クライアントワークを辞めよう」とか「アウトプットをスタイリングとかアートに限らない感じになりたい」とか「暇になりたい」くらいの意味合いで、デザインすることを辞めることはないのですよ。
(参考:デザイナーは引退しても、デザインは続けるよ

これを機に「理屈抜き」をたくさん集めたいのです。

これから先、AIがどれほど進化して、どんなふうに人間をサポートしてくれるのか? どんな職業を失わせるのかよくわかりませんが、「理屈なんて要らないじゃん!」という処理はできないように思うのですよ。

「理屈抜き」は、とても人間的な感情なのですよね。

僕は今、人生の転換期なのですよ。

これまでの人生のいくつかの部分をリセットしようとしているのですが、そのための行動ひとつひとつを掘り下げていくと、どうにもうまく説明ができない「理屈抜き」の部分が多いのです。

このブログのサブタイトルである「山口県萩市でセミリタイア生活」を見ても、そこに理屈などありはしないのです。
先日「決断が先、迷うのはあと」という記事でも書いたように、まずは「なんとなく」「理屈抜き」で決断だけ済ませているのです。

もう一度「理屈抜き」の重要性を再認識しているところです。
すでに「これに関しては理屈抜き。やりたいものはやりたい」というところまで許容できるようになっています。

おそらく、この今、言語化できないだけなんですよね。
「理屈抜きで好きになったこと」を考える付けること、そして何度も何度も言語化しようと試みることによって、段々と解像度は上がっていくと思うのですよ。
ずっとそれを続けていることで、行動の精度も上がっていくように思っているのです。

今の僕にはたくさんの「理屈抜き」があります。
このブログで、繰り返し繰り返し、言葉を探し続けて自分なりの「理屈」らしきものを探り続けようと考えています。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。