follow hagi.life

アウトプットする習慣を持つことの意味

2020.03.29

こんにちは、萩ドットライフ()です。

インプットする癖を持ち続けていないと、世の中のことに関心を持てなくなったり、自分自身と向き合うことができなくなるような気がしています。そうなることを避けようとするためには、単純にいうと、アウトプットの習慣を持つことなんですよね。

アウトプットを課す朝のルーティーン

こうして毎日、朝起きるとトイレに入って、そのあと冷蔵庫から水の入ったペットボトルを取り出し、その水を飲みながら「さて、今日は何をテーマにしてブログを書こうか…」と考え始めるのが日課になっています。

まだ、顔も洗っていないし、歯も磨いていません。

ブログ記事を投稿したあとに、朝ランを済ませて(1日おきだけど)、お風呂に入るのが毎日の朝のルーティーンです。

洗顔も歯磨きも、入浴と同時です。

自分で決めたことであるにもかかわらず、定期的に「なんでオレ、毎朝ブログなんか書いてるんだろう?」などと考えます。

とくに苦痛に感じていて、逃れたいと思っているわけではないのです。
毎朝やってることの意味を確認したいのですね。

たぶん僕は、アウトプットに迫られる習慣を失いたくないのですよ。

今は無職になって長期休養を楽しんでいる最中なのですが、かつては(といっても、半年程度前までですが)デザイナーを生業にしていましたから「日々是アウトプット」だったのです。

以前「デザイナーは引退しても、デザインは続けるよ」という記事を投稿したことがあります。

僕はとりあえずデザイナーは辞めてみましたし、もうそんなにガシガシ働く意思はありませんが、完全に職業人であることを放棄したわけではないのです。

とりあえず、請負も協業もせずに、自分の好きなときに好きなようにアウトプットをして、それが収益になれば、それを喜ぶくらいの労働をし続けたいのです。
(参考:自己完結型(スタンドアローン)の仕事を模索しよう

アウトプットしようとすると、インプットする。習慣になる

50代半ばのオッサンである僕が小学生のころに、井上陽水の「夢の中へ」という歌がヒットしました。
ググってみると1973年の発売だそうです。
その後も、いろんな方々がカバーされてるようなので、世代を超えて歌い継がれてるようですね。

知らない方は、YouTubeに(たぶん違法だけど…)上がっていますので聴いてみてください。
ちょっと歌詞とメロディがクセになりますよ。

これまで何度、僕のアタマの中を「探しものは何ですか? 見つけにくいものですか?」という言葉が繰り返されたか…。

そのたびに「そうなんだよなあ、探そうと思うから見つかるんだよなあ」と思うのです。

何が言いたいかというと、アウトプットしようとするから、インプットするのですよね。

さしずめ今の僕ならば、来月引き渡し予定の萩の古民家を住みやすくステキにリノベーションしたいと思っているから、DIY系の動画を見漁ったりするし、以前は、Web上で簡単なアニメーションを実現するcss3とかJavaScript(どっちとも、ちょっとしたプログラムみたいなもんです)を探すためのサイトをいくつもブックマークしてたり…。

なんらかの必要に迫られないと、人はインプットなんてしないのですよ。

もしかすると「ニワトリが先か、タマゴが先か」みたいな話かもしれませんが、僕は「アウトプットが先」だと思っているのです。

だからこうして毎日ブログ記事を公開する(=アウトプット)の習慣を持つことで、吐いたら吸う、吸ったら吐く、呼吸のように習慣化しておきたいのです。

僕は生涯ずっと「作る人」でい続けたくて、まあ「造る」でも「創る」でも、その辺はどうでもいいのですが、とにかくアウトプットし続ける人であり続けたいのですよ。

たぶん、それが一番楽しいからですね。

以前、

なんて記事を投稿していますので、ご参考に。

「探すのをやめた時 見つかる事もよくある話で」

せっかく無職になって、どっぷりと暇と退屈に浸ってる最中なのに、自分自身に「仕事っぽい何か」を課すのもいかがなものかとは思うのですが、好きでやってるのだから構わないのです。

こうして、毎朝ブログを書く習慣は、自分に対する「締切」であり「約束」なのですよ。

朝、起床するたびに「さ、やらなくちゃ」というアウトプットの必要に迫られるから、1日のうちに何度かインプットのスイッチが入るタイミングを得られるんですよね。

そうでもしないと、街を歩いていたり、ネット上を回遊している中で巡り合ったものに関心を示したり、自分自身の生き方と向かい合って深めに思考したりできなくなるような気がしているのですよ。

なかなか、ゆったりとした態度が取れない、貧乏性なんでしょうね。

ただ、ときには「なんだよ、またブログの時間が来ちゃったよ、メンドくさいな」と思うこともあるし「何も書くことないじゃん、たまにはスキップもありかな」などと思うこともあります。

でも「そんなときこそ、きっちりやる」と思いながら書き続けています。

そうすると、だんだんと「メンドくさい」「今日はやめよう」と思う日が減ってくるんですよね。
SNSや他人のブログを眺めて回っているときも「ブログネタ探しとかないとな」という意識がなくなっていくのですよ。

前項で触れたように、インプット/アウトプットが呼吸のように習慣化しつつあるような気がするのです。

井上陽水の「夢の中へ」では、終盤に「探すのをやめた時 見つかる事もよくある話で」というフレーズが出てきます。「探しものは何ですか? 見つけにくいものですか?」と、同じメロディです。

そのうち、インプットしてるともアウトプットしてるとも認識せずに、まさに呼吸しているようにそれをくり返せるようになったころに、次の何かに出逢えるのかもしれないな、などと思っているのです。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。