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田舎はいいなあ。でもそれを若者に押し付けてはダメだな

2020.08.29

こんにちは、萩ドットライフ()です。

セミリタイアとか、田舎へ移住してみたりって、その人がこれまでの人生で培った価値観に沿って行動しているだけで、決して真実にたどり着いているわけではないのですよ。あたかも正解であるかのように若者に押し付けるのは間違いだと思うのです。

加齢によって、趣味が変わってきただけなんですよ

このブログのキャッチフレーズを「山口県萩市でセミリタイア生活」としているように、僕は、この数年間を費やして、数十年続けていたフリーランスのデザイナー稼業を閉じて無職になり、山口県萩市に古民家を購入し、東京のマンションを売却して、東京から萩へ移住しました。

これからもやることは目白押しなので、なにも達成感は得られてはいませんが、なんとなく「いいなあ」という感触は得られています。

萩の古民家は、浴室と電気の配線があまりにも旧式だったので、入居前に更新してもらうべく現在工事が進められています。

なので現在は、そこから徒歩5分程度の実家(高校時代まで育った家)に居候して、そこで寝起きしています。

あと数日で工事は完了するようなので、おそらく9月のアタマには、無事入居できるようです。

だから今のところ僕は、草むしりやら引越荷物を整理するために通いながら「いいなあ」と感じているだけなのです。

炎天下に雑草だらけの庭と格闘しながら、寸法が狂ってる建具を眺めて「さあ、どうしたもんか」と悩みながら、老朽化した外壁を見上げて「足場のいる作業は業者に依頼すべきだろうな」などとも思いながら、そういうのを全部含めて「いいなあ」と感じているのです。

いろいろと着手しはじめて、フェーズが変わって、自分の暮らしに対する解像度が変わってくれば、「どこがいいんだ? こんなもん」と、また文句ばっかり言い始めるかもしれませんけどね…。

こういうのを「趣味」というんだろうな、と思います。
場面によっては「センス」という言葉が使われたりもするんでしょうかね。

過去にも何度か書いていますが、加齢による影響が大きいのですよ。
僕がオッサンになったから獲得した趣味であり、センスなのだと思うのです。

決して真実に近づいているワケではないのですよね。

だから、かつての同級生や、年齢の近い友人と酒を酌み交わしながら「やっぱり田舎がいちばんだよなあ」「子供のころから一緒だもんね」と、自分たちの趣味やセンスを言葉にして交換しあうことには何の罪もないのです。

むしろ、オッサン・オバサンになったからこそ共有できる「楽しい時間」なのですから、大いに愉しめばいいのです。

あまり頻度が高いと、嫌気が差しますけどね…。

趣味を価値だと勘違いしてはいけない

ただ。職業人だった頃にも経験があるのですが、前項で述べた「オッサンになったから獲得した趣味、センス」みたいなものって、違う世代、とくに若い世代には伝わりにくいんじゃないかと思っています。

僕はもともと「若いときには田舎を出て、都市に住み、周りの人々から刺激を受けたほうがいいよ」と思う派です。
これ、僕自身がそうだったし「まんざら間違いでもないな」と、田舎に移住した今でもそう思っています。

この辺りのことは過去に何度か触れていますので、

などをご参照ください。

どうしてもオッサンは、加齢とともに獲得した趣味を「若い頃には気づかなかった真実に、やっとたどり着いたぞ」みたいに、ちょっと高めに評価してしまうものなのですよ。

だから「オレはこう思うけどね」みたいな話を「50を超えてやっと気づいた。真実はこうだ」みたいな振りかぶった話法を使いがちなんですよね。

そりゃ伝わりませんよね。

実際にね、とくにモノを作る仕事をしていると、経験によって身につく感覚って確かにあるのですよ。
気づいてる者どうして、ちょっと響き合うみたいな心地よさとか、美意識が通じ合ったことが分かった瞬間に信頼感が生まれたり。

でもこういうのって、とても心地よいものではありますが、絶対的な価値ではないのですよね。

僕にとっても、今だけの「いいなあ」かもしれないのです

例えば今、高校卒業を前にして進路に悩んでいる若者に対して、

「ほら、萩ドットライフのおじさんも、ずっと『東京がいい、東京が好きだ』って言ってたくせに結局、萩に帰ってきてる。だから、ずっと生まれた街で暮らすのが、萩にいるのが正解なんだよ」

と告げるのは、絶対に間違いです。

特に今は、新型コロナ禍との関連で「都市集中を脱して、地方へ」みたいなニュース記事がいっぱいありますからね、なんとなく真理っぽい扱いになりつつあるのです。

要注意です。

だって僕のみならず、オッサン・オバサンになって「田舎暮らし、やりたいね」と移住する人は趣味でそうするのであって、正解を見つけたわけではないのですよ。

その人が生きてきた人生の中で培ったものが、その人なりの価値観となって、それに沿った行動をしているだけなのです。

これから自分の人生のストーリーをこしらえようとしている若者にとっては、今まさにその価値観を獲得しようと歩き出す場面ですからね。

大人に自分の意見を押し付けられることなく、自分で選べばいいのですよ。

本人の希望が「生まれ育ったこの街で暮らし続けたい」であるのならば、それを応援してやればいいだけのことだと思うのです。

冒頭でも述べたように、僕はいま、萩に移住してきて「いいなあ」と感じています。

でも他の同窓生に「萩はいいぞ、お前も帰ってこいよ」と勧めたり、ましてや若者に「結局オレのように、萩に戻ってくることになるよ。このままここにいなさい」などというのは違うんじゃないの? と思うのです。

だから「いいなあ」と感じる者同士で「いいなあ」と言い合うのは構わないのですが、そればかりを続けていると、そのうち同じような年代の、同じような考え方をした人ばかりが集まるようになって、嫌気がさすようになるのです。

僕が感じている「いいなあ」も、今の僕にとっての「いいなあ」なのであって、時間の経過とともにまた考え方は変わっていくのだろうと思います。

20年後には「ジジイは都市で暮らすに限るぞ」なんてことを言い出してるかもしれないのです。

だからこの感覚は、自分の中だけで噛みしめたり、ときどき分かり合える者どうしでニヤっとし合う程度のものであって、決して他人に押し付けていいものではないのです。

人それぞれの勝手なのです。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。