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大人にしては幼稚なことを書き連ねているな、と

2019.06.14

こんにちは、萩ドットライフ()です。

「趣味を仕事にしたい」とか「一人だけでいろいろ決めたい」みたいなことを書き続けています。「50代の大人らしからぬ幼稚な考え方だな」という認識はあるのです。ただ、そいうことを大真面目に考えて、ガッチリ行動したい。そういう時期なのですよ。

「遊びを仕事にしたい」とか、ガキの考え方ですよね

昨日投稿した「一人で意思決定する職業」のみならず、このブログで一貫して「趣味を仕事にしたい」とか「誰とも絡まないで、自分ひとりで決める仕事をやりたい」などと書き続けているのですよ。

これ、例えば20歳代の駆け出しの職業人が同じようなことを言ってきたら「ほう、いいんじゃねえか、思う通りに頑張ってみなよ」と激励はするけれども「まあ、十中八九軌道修正することになるだろうな」と思うでしょうね。

「遊びを仕事にしたい」みたいな考え方って、ガキの知恵なんですよ。
はい。だからこそ50代半ばの僕が、それやってます。

僕は「大人って、幼稚なことに大真面目に取り組むと、わりと実現でちゃうようなパワーが身についてるんじゃないかな?」と思ったりしているのですよ。

この20年以上フリーランスのデザイナー。つまりクライアントワークでメシを食ってきて、今50代の半ばに差し掛かり「ここいらでいったん整理つけて、もう一度おかわりしたいな」と思ってるフェーズなので「社会というものは」とか「現実に即した行動を」みたいなベテラン顔を意図的に捨て去りたいのですよ。

もちろん「まあ、十中八九軌道修正することになるだろうな」と思っています。もとより、そのつもりなのですよ。

ときどき飲み会とかでこういう話になったとして、真面目になればなるほど、バカ話になっていくんですよね。
みんなが笑いながら、思い思いのことを話し始めますからね。

なので、まわりの真剣度を推し量ることはできませんが、人生のどこかでこういうことを考えるフェーズって、誰にでもあるような気がしますね。
それは、職業上ちょっとしたポジションを得たときに起こる独立(=フリーランス)願望に似たものかもしれません。

とりあえず、僕は今「オッサンが幼稚なことを書き連ねてるな」という認識は持っていますし、大真面目に取り組んでいるのです。

なんか新しいの、できそうな気がする

かつて投稿した「生活の中の余白、気持ちいい」という記事で下記のような文章を掲載しています。

今「セミリタイアを経て長期休暇を取ろう。その次は、デザイナーじゃないことを始めてみよう」などと考えて、行動し始めたところなので、目下セミリタイアの真っ最中なのですよ。
その先に関しては、ユルい労働を始めようと「生産的な趣味」という言い方をしているのですが、イメージしていることはデザイン業務の横展開なんですよね。
デザイナーをしながら培ってきた、問題解決能力だったり、ビジュアルをスタイリングするチカラ、Web制作技術だったりを使いながら、別のことと融合させて楽しみたいと思ってるのです。

ずっと、自分の人生を支えてくれたデザインという思考様式が嫌いなわけではないのですよ。
会社員時代からもう30年程度この仕事をやってきたからこそ「まだ見てないもの、いっぱいあるよな」と感じているのです。

「その景色を見てみたいな」とガキのようなことを思っているのは、オッサンだからこそなのですよ。

視点を変えたり、環境を変えたり、走る速度を変えたり…。
いろんなものに手を出して、眺めたり、壊したり、また組み立てたりし続けてると、なんかしら新しいの生み出せそうな気がしてるのですよ。

ガキの知恵で幼稚な行動を取っているのは承知の上で、とりあえず手を動かし続けるフェーズを設けたいのです。

要らないものを捨てようとしているのです

「新しいものをこさえたい」し、「見たことない景色を見たい」と思っているのですが、もう一方考えているのが、整理整頓なのですよ。

身体的にも老眼なのですが、心情的にも、かつては手の中にあることで満足を感じていて、生活に潤いを与えてくれていたものが、加齢とともに上手くヒントが合わずに、昔ほど解像できなくなっているものも多々あるのです。

近藤麻理恵氏のベストセラー「人生がときめく片づけの魔法」という本の中に

心がときめくものだけを残す。

という言葉が登場します。「心がときめかないものは、捨ててしまいましょう」という意味だと思うのですね。

今の僕がやりたいのが、まさにそれなのです。

ときめかないものを捨てたあとに余白ができますので、その空地に新しい「ときめくもの」を詰め込みたいのですよ。
そうすることで、人生がリセットされるような気がするのです。

これまでのずっと、捨てることが苦手な人生だったように思います。
「会社員という立場をあっさり捨てたから、フリーになれたんじゃないか」とか「グラフィックを捨てたから、Webデザインに軸足を移すことができたんじゃないか」などとも思いますが、グズグズと手元に残し続けているものも多いのですよ。

新しい感情」で書いたように「心の熾火(おきび)」も、上手に捨てることができなかったモノゴトたちなのです。
かつて、捨てることができずに残していたものが、数年のときを経て「心のときめき」に変わるのですから、この辺はバランスの問題なのかもですね。

それとも「これは、そのうち要るやつだよ」と感じ取っていたのかもしれません。

僕は今50代半ば。とっくに人生の折り返し地点は過ぎています。
職業人としても、あと20年くらい、ユルめの強度で「ときめく」ことに集中して取り組みたいのですよ。ここいらで一度、大掛かりな棚卸しをしたいと思っているのです。

だから「ときめく/ときめかない」「ワクワクする/しない」で物事を判断しているのです。
半世紀前に「おもちゃを片付けろ、箱に入らないものは捨てろ」と命じられたときと同じ作業をしているのです。
そりゃ幼稚なことを書き連ねることになりますよね…。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。