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セミリタイア生活をはじめたら、人付き合いが億劫になってきた

2019.06.26

こんにちは、萩ドットライフ()です。

セミリタイア生活に入ってから、人付き合いがどんどん億劫になって来ているのですよ。僕はこれを「自分が属するコミュニティを移動しようとしている現象」だと解釈しています。20年以上前にフリーランスになったときにも、これを体験しているのです。

人付き合いの億劫さが増しつつあります

半年くらい前に投稿していた『飲み会を「つまらない」と思うようになった理由』では、

  • もともと飲み会好き
  • 打ち上げ文化を提唱してる

などと、前置きをした上で

たぶん「話が通じるメンバー」「1つのトピックを共有できる規模」「おいしいお酒とおいしい料理」でやる飲み会が大好きなんだろうな、と思っています。

以前は、そうではない飲み会にも義理で参加していたのを「もう行かない。つまんないもん」と言い始めただけなのですよ。

などと書いていますが、セミリタイア生活が少しずつ本格化してきますと、どんどん人付き合いが億劫になってくるのですよ。

僕は今、東京と山口県萩市を行ったり来たりする、二拠点生活をしているのですが「今、東京にいるから誰々と会おう」「萩にいるから、こいつらと飲みに行こう」などとは思わないのです。

誰にも会うことなく、淡々と往復だけすることも多々あります。

「それって、二拠点生活の意味あるの?」とも思われそうではありますが、大いにあるのですよ。朝ランのコース、窓から見える景色、ちょっとした外出の風景…。ちょっとしたことではありますが、東京で考えてることと、萩で考えていること、ちょっとだけ変わるのですよ。

二拠点生活を始めた当初は、萩が非日常空間ですから「この期間に、あの人に会おう」「同級生たちに連絡しよう」などと思っていたし、何度かそういう試みもしましたが、それほど楽しくないんですよね。

それで、さらに億劫さに拍車がかかっていきつつあります。
Facebookで「○月○日から○日まで、萩にいるよ」とか投稿しなくなりましたし…。
(参考:facebookを使うのをやめた理由

コントラストがくっきりしてきたのかも

このブログ内のいろんなところで書いているように、僕は萩市への移住を予定しています。
「ふるさとへ帰り、そこを終の住処にする」ということを考えているわけではなくて、まだ気力・体力のあるうちに「田舎暮らし」を体験しておきたいのですよ。地域創生にも興味があります。

なので、萩市内にちょっとした会話ができる人は欲しいのですよ。
定期的に会って話をする人もいます。

冒頭で引用した過去記事の内容とダブりますが、小規模の人数で、前を向いている人どうしで話をする時間を「楽しい」と感じるのですよ。
延々とそこにいない人の話をされると苦痛だし、参加人数が多すぎてカッチリと噛み合う話ができないような会合は苦痛なのです。

「日を追うごとに、人付き合いが億劫になるな」と感じるとともに「萩市で話ができる人を意図的に増やそう」「その方が楽しそうだ」と思い始めています。

東京では、ほぼ人と会うことがなくなりました。
もともと定期的に会っていた人たちに対して「次の人生を考えて、群れから離れるよ」みたいなことをずっと言い続けてきたので、誘いもなくなりました。
しばらくは「懐かしい人が参加されるので…」とか「もし、お暇ならどうかと思いまして…」みたいな形での誘いはあったのですが、1年くらい「人と会うのが苦痛なのですよ」と断り続けていたら、誘いは止まりました。

僕は今、デザイナー業を辞めようとしています。
これまで東京で付き合いのあった人たちと、同じ方向を向いていないのですよ。
なので、話が微妙に噛み合わなくなっているのです。

メールとチャットシステムで、仕事の連絡さえ滞りなくできていれば、他人はそれほど僕のことなど気にしていないものなのですよ。

自分が変わるとき、付き合う人も変わるもんなんですよね

「人付き合いが億劫になってきている」という話を書いているのですが、おそらく人生の転換期を迎えて「これから構築したい人付き合い」の輪郭が少しづつクッキリし始めてきているのだと思います。
そして、そうでないものを億劫だと思い、拒絶しようとしているような気がするのです。

20余年前にフリーランスになったときにも、付き合う人たちがガラッと変わった経験をしています。

会社員であることをやめて、フリーランスになったという「働き方」が変わっただけなのですが、仕事と関係のない付き合いの人たちも、なぜか変わったのですよ。
しばらく年賀状のやりとりくらいはしていた人もいましたが、僕が年賀状制度を廃止して以来、その関係も途絶えました。

おそらく「仕事が変わっただけなのに、仕事と関係のない人間関係も変わった」と思うのは誤りで「僕という人間が変わったから、仕事も人間関係も変わった」と思うべきなのでしょうね。

だから「セミリタイアを始めたら、人付き合いが億劫になった」のではなくて「セミリタイアをはじめたことによって、属するコミュニティを移動しようとしている」のだと解釈しています。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。