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他人と距離を置きたくなるとき

2019.08.02

こんにちは、萩ドットライフ()です。

人生の転換期に、他人と距離を置きたくなるクセがあるようなのです。それは僕なりに正義とか信条みたいなものを調整・修正している時期だから「邪魔されたくない」という感情が生まれるからだと思うのですよ。ちょうど今がそんなときなのです。

「他人と関わりたくない」と感じる時期

以前「人生の転換期に起こること」という記事を投稿したことがあります。
その中で軽く、

人付き合いも変わりました。
仕事、プライベート関係なく、つまらない飲み会への参加を断ることに躊躇がなくなりました。

という触れ方をしているのですが、実はもっと明確に「他人と関わりたくない」と感じる時期があるのです。

それは、おそらく自分でもずっと何かを考え続けている時期で、解像度の低いぼんやりとしたイメージをたくさん作り続けている状態のときなのです。
当然、自分の中で上手く言語化できていないのですから、そのことについて話題にされるのが苦痛だったりするのですよね。

僕は今の状態を「仕事」を「生産的な趣味」に置き換えるための時期だと捕らえています。
50代半ばになったので、いろいろと考え直したり、やりなおしたりする時期が訪れているのですよ。
20数年前に「社会人になって10年。そろそろ自分なりの生き方を考えないとな」と、フリーランスになったときと似ている状態なのです。
(参考:老後は仕事を「生産的な趣味」に移行しよう

なんとなく輪郭がくっきりしている「これやりたい」がありつつも、他にぼんやりとしたたくさんの「あれもやりたい」「よくわかんないけど、やってみないとわからない」も次々と湧いてきつつあって、「僕は今、こういう状態です」と、ひとことで伝えられる状況ではないのです。

事実、20年前のフリーランスになったときには、ぼんやりとイメージしていたWebデザインが、結果的にうまくハマってメシの種になってくれましたからね。
サラリーマンを辞めるときに「Webデザイナーになる」なんて言ってませんでしたし。

自分で「あ〜でもない、こ〜でもない」と考えているときに、他人から「どうなろうとしてるの?」と訊ねられても、上手く答えられないもなのですよ。

なので今の僕は「セミリタイアはじめたよ」とか「ちょっと一定期間、休みを取るよ」みたいな言葉で代用したりしています。ウソではありませんからね…。

説明を求められるのが煩わしい

人生のどこかのタイミングで、フリーランスになろうとしたり、仕事を趣味化しようと試みたりする人が、多数派だとは思っていません。間違いなく少数派なのですよ。

20年前にフリーになったときにしても「デザイン事務所を開業するんだよ」であれば、そこで目の前の人たちを納得させられたと思うのですよ
「頑張ってね」とか「仕事をつなげられるかもしれないから、案内ちょうだいよ」などと言ってもらえたはずなのです。

それを「デザインは続けつつ…」「舞台公演やったりとか…?」「イベントもどうにか…」「インターネットも興味あるし…」などと、ザックリとした腰の座らない言動をテキトーに言い続けていましたので、人からずっと説明を求められていましたし、説教めいたアドバイスを聞かされたりもしていたのです。

人はものごとを何かの型に当てはめることによって「わかった」気になりたがるものだと思います。
しかし僕の場合、こういう人生の転換期には、グズグズと人を「わかった気にさせる」ための型がないものになろうとするのですよ。

これ僕だけじゃなくて、みんなそうなんじゃないかな?
テキトーに他人をあしらう言語を持っているか、そうではないかの違いだけなんじゃないでしょうかね? 技術力の違いというか。僕は、壊滅的にこの技術に劣っているのです。

自分の中では解像度が低いなりに、辻褄が合っているはずなのですが、上手く言葉にならないし、やってみなければわからない要素を多く含んでいることを、やろうとしているので、どうしても他人の「わかった気」と繋げてあげることが困難なのですね。

人はどうしても「え、どういうこと?」「もしかして○○みたいな感じ?」と、すでにある型にはめることで納得しようとしますからね。

誰にだって「常識とされてること(=普通)」とちょっとズレた部分ってあると思うのですよ。
自分ごとにしてみれば、そこがとても大切な部分だったりするのです。
だけど、そのズレが上手く言語化できないし、簡単に型にはめた解釈をされると、イラっとする部分なのですよね。

なので、人生の転換期に他人と距離を置きたくなってしまうのです。

結局「人による」

ただ、こういった話のときには必ず「場合による」とか「人による」という言い方が付きもので、僕が今書いている「人生の転換期って、他人と距離を置きたくなるよね」という話の中でも決して例外ではないのです。

「人生の転換期だからこそ、この人との距離を詰めたい」という人も存在するのです。

僕自身が「理解されたいと考えているから」なのかもしれませんし、これから始めようとしていることと、損得勘定が働いているのかもしれません。
ただ単純に「反りの合う人」ってだけなのかもしれません。

でも、僕自身がちゃんとわかっていないことを、ぼんやりしたまま受け取ってくれる。解像度が低いままに、心地よい化学反応を起こしてくれるような人がいたりするのですよ。

「これは今、ギチギチに言語化して理解した気になるフェーズではないな」ということを、上手にわかってくれて、ひとときの娯楽にしてもらえると、ものすごく快適なのです。

他人と距離を置きたくなるとき

おそらく今、人生の中で「大きく他人と距離を置こうとしている」時期なのですよ。
フリーランスになったとき以来、20年ぶり2度目だと思います。

ただ、その途中々々で「小さく他人と距離を置こうとしている」も数限りなくあったはずなのですよ。
何かしらの問題と向き合っているときだったり、仕事でテンパってるとき、意味もなく気が乗らないとき、調子に乗ってるとき、落ち込んでるとき、アガってるとき…。
自分でも上手く整理がつかないのですが、定期的に「他人と関わりたくない」と思うときってあったのですよ。

みんな大なり小なり、こういうことってあるんじゃないでしょうかね?
僕はもう50代も半ばになっていますので、それなりに回数は重ねてきているのですよ。

僕が「他人と距離を置きたくなるとき」って、

  • 誰かに答えを求めることから意図的に遠ざかろうとしているとき
  • 他人に理解を求める前に、自分で考え続けたいとき

だと思うのです。
簡単に言えば「邪魔されたくない」って、ひとことで済んじゃうんですけどね…。

僕なりに正義とか信条みたいなものを調整・修正している時期だからだと思うのです。

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