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[フリーランスの老後]娯楽としての職業

2019.09.02

こんにちは、萩ドットライフ()です。

ほっとくと、老害になっていくような気がするのです。たぶん人は年を取るとプライドが肥大化して、ややこしいことになってしまうのですよ。なので僕は、これまでの仲間たちと距離を取りつつ、職業を娯楽化することで対応しようと考えているのです。

定期的にタイトルに「フリーランスの老後」と付けた記事を書くことにしています。

僕は、30代半ばから20年以上、フリーランスのデザイナーとしてメシを食っていたのですが、他の先輩フリーランスの皆さんが市場から姿を消した後、どういう生態を送っているのかわからないのです。

なんだかんだで、みんな仕事上のみの付き合いなんですよね。
仕事から外れたら、そこで人間関係は切れるのです。

「なんだか冷たい関係だな」と思う人もいるでしょうが、僕はそういう関わり方を好ましく感じています。

僕が今、市場を去ろうとしているのですよ。
「いつの間にかいなくなっちゃう、デザイナーのオジサン」になろうとしているのです。

とくに表立った「引退表明」をするわけでもなく「セミリタイアするから、新規案件は打ち止めにしてよ」「バテたから、しばらく休むわ。ん〜1年くらいの予定」くらいのことを常時密な連絡を取り続けている6〜7人にしか伝えていません。

「フリーランスの老後」なんて、何パターンもあるはずなのですよ。
その中のひとつ「例えば、僕はこういう感じ」を記録しておこうと考えているのです。

このブログ全体が、僕というフリーランスで働いていた人が、働き方をユルめたり変えたりして、老後に向かう話なのですが、きちんと「フリーランスの老後」というワードで残しておきたいのです。

ただ残念なことに、このワードで検索してもこのブログが掲載される順位は、まだまだ低いのです…。
上位をマネープラン関係の記事が占めてくるんですよね。ガンバロ。

職業を持ち続ける意味

僕の場合は、40代後半くらいか…、50代になってからか…「焼きが回ったな」と感じることが増えてきたのですよ。
具体的にどんなシチュエーションでそう感じたかは、いちいち覚えてはいないのですが、年々強まってきて、それで「セミリタイアしよう」「いったんデザイナー辞めよう」と考えるに至ったのですよ。

なんとなく「セミリタイア生活、はじまったな」と感じているのが今年からなので、かれこれ7・8年くらい「焼きが回ったな」をこじらせていたことになります。

今から振り返っても「こうすれば回避できたな」という策は思い当たりませんね。

それよりも、もっと早く「いったん、ここから離れよう」と休息を取っていたら、セミリタイアの形も変わっていたのかな? などと思います。

今、向かい合っているセミリタイアは、職業人生を伸ばすためのセミリタイアなのです。
僕の性格にあった行動を取っているはずなので「焼きが回ったな」と感じた以上、途中でどんな対策をしようとも、結局「セミリタイアして、就くべき職業を定義し直そう」という、今と同じ結論に至っていたはずなのです。

人は、ある年齢に達すると、やるべきことがないと、鬱陶しい人になりがちなのですよ。
これ、「僕は」なのか「人は」なのか、判断がつきにくいところなのですが、僕は「このまま、少しずつ仕事を減らしつつ、仕事仲間の周辺部(=業界)に居続けると、嫌なオッサンになりそうだな」と感じているのです。

だから、それが嫌でこのブログのあちこちに「人間関係の断捨離」とか書き続けてるし、過去には、

なんて記事を投稿したこともあります。

おそらく、更年期になるとプライドが肥大化してくるのだと思うのです。
僕はずっとフリーランスでしたから、地位なんてものは持っていないのです。だけども「ひとりでここまでやってきた」みたいなプライドはあって、ときどき歪んだ形で言葉になって口から出たりするものなのですよ。

だから、何かしら自分でやるべきことを作りつつ、群れから距離を取るのが一番だと思います。
そのためには、何かしらの職業は持ち続けるべきだと思っているのです。

文句ばっか言ってるオッサンになりたくないのです

セミリタイアすることによって、かつての仲間から距離を取り、自分で勝手にまた次の仕事を見つけようとする行動は、僕なりの老害対策だったりもするのです。

おそらく「自分の存在をもっと気にしろ、丁重に扱え」ということなのでしょうが、文句ばっかり言ってる人が、そういう人を見ることが不快なのですよ。
なんだかんだ言って「老害」って、これに集約されますよね。

若い駆け出しの方が、色んなものに批判的な目を持って、ときには既存の権威をバカにしたりする姿は、同世代から共感を得られることは多いだろうし、ベテラン世代とのコミュニケーションの糸口にもなるので、それなりに有効な態度だとは思うのですよ。

でもそのまんま「批判的な自分」がスタイルになっちゃうと、自分の加齢とともに「若年者のやることなすことにケチを付ける年長者」に仕上がっちゃうんですよね。
そして、もっと強い反応をもらいたいものだから、どんどんケチの付け方が過激になっていって、老害が出来上がるのだと思うのです。

イヤですよね。

仕事仲間とコミュニケーションを取っていたり、社会生活を営んでいると、それなりに「批判的な目」をもとめられることはあります。
でも、それなりに年齢を重ねると、その批判に対して厚みや切れ味、そしてそこから先の展開も求められたりするのですよ。

自分に注目させたいがために、何かを批判するようなオッサンにはなりたくないのです。
ほっといたら、そうなりそうな予感がするので、手を変え品を変え、自分を変える工夫をはじめているのです。

老後なので、職業を娯楽として考えるフェーズに入ります

ずっと、仕事には真面目に取り組むべきものだと思ってきましたよ。
「お金をいただくのだから」とか「仲間と一緒に作り上げるものなのだから」とか「自分の成長につなげるために」とか、いろんな理由があって、特に異存がないどころか、今でも絶対的に正しいと思っています。

でもこれ「お金はもらえるにこしたことない程度」「自分だけで自分の好きなことをやってる」「50代のオッサンがそんなに成長するわけでもないだろ」という取り組み方をすれば、とくに真面目である必要ありませんよね。

僕が考えているのは「フリーランスの老後」なのですよ。
老後用の職業を定義し直すために、再起業しているような感覚を持っています。

なので、起業にしても、ビジネスにしても、会社の運用にしても、セオリーなんて不要なのですよ。
かつて『「フリーランスの老後」をプロジェクト化』という記事を投稿したことがありますが、セミリタイア生活を始めた時点で、僕の老後はすでに始まってると考えているのです。

「もう年なんだから老後」っていうよりは、「もう老後なんだから、好きにさせてくれよ」って言うための「老後」ですね。
ようやく自分も仕事と娯楽を、いい距離感でコントロールできるようになってきた気がするのです。
まさに「遊ぶともなく、働くともなく」くらいの感じで楽しく生活できたら、それほど他人のやることにケチつけて回って、嫌がられることもなく、そこそこ快適な人生を再スタートさせられるような気がするのです。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。