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サラリーマンに不向きな人の最適解は、フリーランス?

2019.11.09

こんにちは、萩ドットライフ()です。

僕はフリーランスになって正解でした。サラリーマンには不向きだったのです。しかし、サラリーマン生活に耐えられない人の最適解がフリーになることだとも思っていないのです。ただ、一生をひとつの仕事で終える時代は、終わりそうだと感じています。

ずっと続く苦痛に耐えられないのです

「この苦しみは、現状を容認している限りずっと続くのか…」という状況に耐えられないのですよ。

「満員電車」とか「毎日同じ時間に同じ場所に通う習慣」とか、ホントにダメなのですよ。
「わがまま言うな」とか「みんな我慢してるんだぞ」は、分かるのですが「オレにはムリだから、フリーが向いてるな」と考えたのですよ。
(参考:在宅デザイナーを20年間やってみた

たとえば、同じ職場にいる嫌いな上司や、どうしても関わらなければならないソリの合わない取引先なんかもそのカテゴリですよね。

僕がサラリーマンだった頃の職場にはなかったのですが、「上司が退社するまで帰れない」とか「飲み会への参加は半強制」みたいな、職場の謎ルールなども、なかなか日々の活力を奪ってくれますよね。

つい最近も、「満員電車は仕方ない」と受け容れる人の異常さ 現状の肯定は「思考停止」にすぎない | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン) という記事が、SNS上でバズっていました。

僕は、この記事の内容に賛同します。

僕も、社会人になってから10年間はサラリーマン生活をしていました。
やはり「こりゃダメだ」と感じたのが、電車通勤だったのですよ。
さほど大きな会社でもなかったので、社長と直談判して、営業者置き場の誰も使ってない一角を使わせてもらって、自動車通勤するようになりました。
(参考:今のところ、フリーランスになって救われてる

当時はまだ、社会人になって2〜3年目くらいだったと記憶していますが「とりあえず、断られたら会社辞めよう。田舎に帰って教員試験に再チャレンジするかな…」くらいの気持ちだったように憶えています。

僕が「特別待遇」を獲得したことで、イヤミを言ってくる人もいないわけではありませんでしたが、思っていたよりも皆さんにすんなりと受け入れられましたね。

案ずるより産むが易しってことですね。

なんせ30年も前の話です。当時は、営業車を与えられている人は、それを個人の車みたいにしてて、それを通勤にも休日にも使ってた人もいたので、いろいろとダラケててもいい時代だったのかもしれません。

お金がなくなっても、フリーランスの方が幸福感は高かった

それでも結局、僕はフリーランスになるのです。
30代半ばのことでした。

以前投稿した「フリーランスになったころの失敗を記して、平成時代を後にしよう」で書いたように、最初の数年は「フリーになんかなるんじゃなかった。やらかしちまった」などと考えるほどヒドい成果だったのですが、それでも幸福感は高かったのですよ。

たぶん、その頃の僕は口では「自分の好きなことを」とか「自己実現だ、承認欲求だ」などと言っていましたが、そんなことよりも、

  • 毎日同じ場所に、同じ時間に通わなきゃいけないのがイヤだ
  • 仕事やる気なくしたら、何時でも帰っていいじゃん。気合入ったら徹夜するから
  • なんかあいつ、いつもオレのこと気に入らなそうな目で見てくるなあ

みたいなことを解消したかったのでしょうね。

「自分の時間」と「身を置く環境」を自分でコントロールしたかったのですよ。
それが叶ったことが、幸福感に繋がったのだろうと思っています。

ただ、それも「結局オレは食えるようになったから」という、生存者バイアスに過ぎないのかもしれませんけどね…。

でも「自分はフリーに向いてる。サラリーマンに不向きなんじゃないか?」と感じたのならば、行動してみないと答えが出ないのです。

すごく簡単に言うと「イヤなら辞めたら?」は正しいのですよ。
前項に挙げた記事のタイトルのように「イヤの肯定は思考停止」なのです。

大切なのは、どれほど自分と向き合って導き出した「イヤ」なのかということだと思うのですよ。
僕の場合は

  • 延々と続くイヤなことからは、距離を置いたほうがパフォーマンスは高まる
  • 「ひとりで何でもかんでも」には耐えられる
  • 会社組織にいないほうが、自分の身につけたい技術を身につけられる

と結論を出して「ならばフリーになったほうが良さそうだな」と決断したのです。

フリーランスが最適解とは限りません

僕は、流行に乗って短絡的に「フリーになろう」には反対です。
(参考:『フリーランスになりたいと言ってくる人には「やめとけ」と答えます』)

あくまでも僕は、僕自身が「サラリーマンに不向きだ」と自己理解したからフリーになったのですよ。

実際、僕はフリーランスに向いていたと思います。
(※それでも、いろいろ考えることもあり、過去には「フリーランスに向いていたがゆえの後悔」という記事も書いていますので、よろしければご参考に)

そして今、せっかく食えるようになった「フリーランスのデザイナー業」も引退して無職になってしまったのですよ。

職業人として引退してしまったのではなくて、中休みみたいなものです。
ただ今後の人生は、職業を娯楽としてとらえながら、セミリタイア生活を続けます。

おそらく僕は百姓になりたいのですよ。「百の仕事をする人」ですね。

昔のように、みんなが自営業者で社会福祉制度もなく、不安定な生活をヘッジするために複数の仕事に取り組んだ時代とは異なり、今は環境の変化も技術の進歩も激しい時代なので「この仕事、オレに合ってるわ」と思った仕事が、どんどん姿を変えて「なんか、この仕事とソリが合わねえな」と思うようになるものなのですよ。

だから昭和・平成時代と比べて、少し「我慢しろ」と「見切りをつけろ」のバランスが変わってきてる気がするんですね。
「少々イヤなことがあっても我慢すれば、一生ひとつの仕事で食っていける。不安から逃れられる」という時代の方がイレギュラーだったのですよ。

人は一生のうちに何度か、職種も働き方も変えていくし、ときにはダブらせていたり、無職の期間があったり、自分の好きなように状況を変えていくようになると思うのですよ。

その動機に「不満」「不快」が用いられることも多いでしょう。
前向きな理由よりも「○○から逃れたい」というほうが、行動に繋がりやすいですよね。

たまたま僕は、フリーランスに向いていただけなので、それを選択したに過ぎないのです。

「自分は今の仕事に耐えられない」というサラリーマンの方々にとっての選択肢、ちょっと考えてみただけでも、

  • 仕事内容に不満があれば、異業種・異職種に転職またはダブルワーク
  • 通勤電車に耐えられなければ、徒歩圏に引っ越しまたは地方に転職
  • 自分の時間を好きに使いたければ、リモートワークできる職さがし

など、いろいろと思いつきますよね。

サラリーマンを辞めてフリーランスになるのは、たくさんある解のひとつに過ぎないのです。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。