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フリーランスに向いていたがゆえの後悔

2019.06.28

こんにちは、萩ドットライフ()です。

僕は、寂しさを快適に感じる性格です。なので、フリーランスに向いていたのだろうと思っています。ただ、フリーでい続けたいがために、自分の自由を制限していたという後悔もあります。「次のゲーム」は、そのへんに注意して臨もうと思っているのです。

僕はフリーランスに向いていた

34歳のときに独立し50代半ばになる今までの約20年間、フリーランスのデザイナーとして仕事をしてきました。
開業当初は、2年間ほど舞台公演のプロデュースの他、いろんなことを企てたり手を出したり、途中からWebに軸足を移したりして、必ずしも一本調子でありませんでしたが、概ね「デザイナーをしていた」と認識しています。

開業当時の僕は「独立開業」と「起業」の区別があまりついていなかったし、両方のいいとこ取りをイメージしていたのかもしれません。
このあたりの顛末は「フリーランスになったころの失敗を記して、平成時代を後にしよう」で書きましたので、興味のある方はご参考に。

僕は、つくづくフリーランスに向いていたと思います。
フリーランスになったとたんに、ほぼ、自宅兼作業場で過ごすことになりますので、他人とのコミュニケーションは激減します。

僕はそれを「快適だ」と感じていました。

ココ最近は、打ち合わせにも顔を出さずに、メールとチャットシステムだけでコミュニケーションをとる「完全リモートワーク」体制に入って約1年。
加えて、新規案件の受注を停止して、残った運用案件だけをクローズまで受けもつ「セミリタイア」生活もはじめています。

夕方、作業台のPCを前に「あれ? そういえば今日、誰とも会話してないな…」という日がどんどん増えてくるのですよ。

さらに快適度は高まってきています。

僕が案件の受注を停止している分は、それほど混乱もなく捌けているようですし、僕が担当者として顔を出さないミーティングも、滞りなく進んでいるようです。

僕が倒れたり死んじゃったりしても、困るのは家族と友だちくらいのもので「それほど、みんなオレのことを気にしてるワケじゃないな」と感じています。
たぶん、とこの20年間ずっとそうだったんでしょうね。

思えばずっと「誰かから必要とされている」と感じる状態を保ち続けることが、僕のフリーランス生活のモチベーションになっていました。

30代40代は、できるだけ多くの仕事量をこなすことが幸せだったのです。
「オレのことを必要としてくれて、ありがとう」と感じていたのです。

しかし最近は「自分が思ってるほど、他人は自分のことを必要としていないな」と思い始めています。

これが、寂しく感じないのですよ。
「もともと、フリーランスってそういう役割だよな」と、むしろスッキリとしているのです。
逆に「もうちょっと、自分の好き勝手に振る舞っても良かったんだな」という後悔が芽生えてきているくらいです。

放置していたストレス

僕はフリーランスという働き方が向いていたがゆえに、ストレスも溜め込んでいたような気がします。
以前「50代フリーランスの後悔は、変化を作ってこなかったこと」という記事を書きましたが、それ以前に感じていたフラストレーションもあったのですよ。
それは、大きく2つに分けられると認識しています。

  • 食うための仕事に拘束される
  • 「枯れ」に対する恐怖

食うための仕事に拘束される

文字通り「フリー(=自由)」をイメージしていました。
「好きなことだけ仕事にして、嫌な仕事は断る」「好きなときに仕事をして、遊びたいときには遊ぶ」「好きな人と仕事をして、嫌なヤツとは会わない」。

実際にフリーランスになってみると、そんなワケないんですよね。

とにかく「食えない恐怖」と向かい合うことになりますから、安定を求めることになるのですよ。
僕は偶然にも「感じのいいクライアント」とめぐり逢い、『結局「取引先の分散」なんてしなかったな』でも書いたように、そのクライアントの案件に仕事を集中させていくことになるのです。

当然、安定と引き換えにマンネリが発生するし、休日や営業時間もそのクライアントに合わせたものになります。
いつの頃からか「これって、独立してるって言えるのか?」と考えるようになっていました。

それでも、ストレスよりも満足の方が大きかったのですよ。
自分の中では「もっともベストに近いベターを選択している」と思っていました。

ただ、このストレスが20年の間にとても大きなものに育っていくのです。

「枯れ」に対する恐怖

「食えない恐怖」から逃れるために、また、その恐怖から救ってくれた人々のために、そして自分の収入のハイスコアを狙うために、「依頼された仕事を断る」という選択肢を持っていませんでした。

とにかくアウトプット過多の生活を送っていました。
それでも「フリーランスの僕が暇な時にやったこと」で書いたように、「新しい何かに興味を持ち続けること」「学習し続けること」は意識していたのですが、どうしても「技術や流行の変化についていけていない」という焦燥感は否めませんでした。

かつ、ずっと限られたクライアントの案件を請けていると、どうしても「引き出しの使い回し」が増えてくるのですよ。
僕もその方が楽だし、先方も安心感を持ってくれていますからね…。

同時に「フリーランス40歳限界説」のようなことも言われていましたので、とにかく「このまま食い続けることはできない。どこかでサドンデスがやってくる」という恐怖心はありました。

寂しさを感じたら、フリーランスでいられなかった

この2つのストレスを上手にコントロールできなかったことについて、特に後悔はしていません。

僕がフリーランスを続けてこれた理由って、「寂しさ」を快適に感じることができたからだろうと思います。
また、それゆえに2つのストレスを放置する結果になったのだろうと思うのです。

そして今50代半ばで、どうしても放置することができなくなって「セミリタイア」生活に入ることを決断することになったのも「自分自身の頃合い」なんだろうと思っています。
たぶん、ここが自分自身の才能の限界なのでしょう。

前述の「必要とされてることが、思い込みだったことがわかって、むしろスッキリする」感覚は、自分でも予想外でした。
ずっと「誰かの役に立っている」「誰かから存在を望まれている」が、僕のモチベーションでしたから。

繰り返しますが「もうちょっと、自分の好き勝手に振る舞っても良かったんだな」という後悔はしているのですよ。
これからは、自分の中での「折り合い」とか「甲斐」とか「意味」みたいなものを優先しながら、次のゲームに臨もうと思っています。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。