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職業欄になんて書くべきだったのだろう?

2019.12.06

こんにちは、萩ドットライフ()です。

「オレは無職だ」と自覚しているし、他人にもそう言ってるワリには、「職業欄」というワクを用意されて正式な答えを求められると、ちょっと戸惑うのです。法人を所有して微稼働している限り「会社役員」なんだろうと思い、そう書いてはみたものの…。

「会社役員」と書いたけれども…

先日、無職になってはじめて職業欄への記載を求められたのですよ。
いま山口県萩市での不動産購入を進めているのですが、空き家バンク利用者としての登録用紙なんですけどね。

「職業(勤務先)」という欄があったので、僕はそこに「会社役員(商号)」と書きました。

ほんの少しだけ「無職と書こうか」「空欄のまま提出しようか」とも思ったのですが、いくら仕事をすべて断っていても、収益が(ほぼ)ゼロでも、所有している法人の経営者である限りは「会社役員」ってことだろうな…と。

むしろ、地方税の均等割は発生するし、税理士報酬も発生するしで、金銭的には無職よりも切ない状況なんですけどね。

まあ、実態は「無職」だし、自分でもそう公言しつつ、実態は「会社役員」だということに関しては自分で選んでいる立場なので、さほど気にはしていないのですよ。

ちょっとした引っ掛かりを感じるのは、自分はこういう人物でございますと他人に伝えるとき「職業」というのは大切なものなのだなあ、ということなのです。

考えてみれば、僕も飲み会なんかで知らない人と同席したときには、話の緒(いとぐち)として「どんな職業をされてるんです?」って訊ねますしね…。
まあこういう場合は、どんな答えが帰ってきても応じやすいテーマだからという意味もありますかね。
話が弾まなくても、こっちがいっぱい喋る体制に持ち込めば、なんとなく盛り上がった感出せますし。

「ご趣味は」なんて聞いてしまって、自分にまったく関心のない話が始まってもツラい思いをするよりも、そこそこ無難なんでしょうね。

もうひとつ「会社役員って、職業か?」などとも思うのですよ。

ちょっと前の少しでも案件が残っているときの僕ならば「会社役員」と「デザイナー」で迷っていたと思います。
実際、過去には「デザイナー」と書いた書類、たくさんあります。

「どんなご職業を?」と聞かれたら「デザイナーです」と答えていましたしね。
口から「会社役員です」なんて言葉を発したことは、今までの人生で一度もありません。

「この会社は僕が経営者だし、僕ひとりの会社です」だったら、何度かあります。

たぶんここ数年、紙書類にフリーワードで記入するよりも、webページのプルダウンメニューから選択することが増えてきたことが大きく影響しているような気がします。
optionの中に「会社役員」はあるけども「デザイナー」はないことが多く、それで「会社役員」を選ぶようになったし、その影響で、いつの頃からか手書きでも「会社役員」と書くようになったのだと思います。

それで、今回もそう書いたのでしょうね。

プルダウンメニューの中に「専門職」なんて選択肢もあったりしますが、それを選んだことはありません。なんかピンとこないのです。
医師とか弁護士みたいな、要資格の職業に就いている人が選ぶところみたいな気がしていて。

本当は「職業の向こう側」を気にしてるのです

自分も含めて、他人の素性を知ろうとするときには、なんとなく「職業」を気にし合っているのですよ。
たぶん、その人の社会での役割とか、コミュニティとの関わり方を確かめたいのでしょうね。

だから「特に役割はありません」という人がいてもいいし、自分で新しい役割を作ろうとしていて、それを上手く職業名化できていない人がいてもいいのですよ。

僕は「無職」だと言ってみたり、「会社役員」でもあったり、まだちょっと「デザイナー」感は残していたりもするのですが、実はどれもしっくりきていなかったりするのです。

デザイナーは30年以上やってるし、会社役員は20年以上やってる。
数ヶ月前に無職になってからは、このブログ上でも友人知人にも「無職だ、無職だ」言ってるのです。
(参考:「無職」って言っちゃうとウソになる。でも言いたいのです

でも、実は職業名にこだわりなんかなくて、自分の「やりたいこと」「楽しいこと」は、職業としてとらえてることの向こう側にあるような気がしています。

単純に「仕事だから、これやってるよ」でも「仕事って仕事がないから、無職だね」でもなくて、その先にあるもののために「いまはこの手段を取ってます」ということなのです。

たとえば、僕は毎日こうしてブログを書いていますが、職業欄に「ライター」「ブロガー」などと書くことは考えることができません。
これは好きで書いてる(=記録している)だけで、嫌いになったらたぶん辞めてしまうからです。

と、ここまで書いて「そういやオレ、デザイナーも辞めちゃったな。同じか…」と気づきました。
なんかこのへん、うまく整理できてないな。

僕は今、「なりたい」よりも「やりたい」が強まってきています。
これから先も、いろんな「やりたい」に手を付けていくつもりなのですよ。

でも、古民家を買ってリノベーションを始めたからと言って「大工」は名乗らないし、その様子を動画撮影・編集してYouTubeに公開したからといって「ユーチューバー」とは名乗らないように思います。

飲み会とかで「オレ、ユーチューバーっすよ」くらいのことは言いますけどね。

たしかに若い頃には「デザイナーになりたい」と思っていましたが、年を重ねるに連れ、大切なものは「なりたいもの(=職業)」よりも「やりたいこと(=行動)」なんじゃないかと思うようになってきているのです。

大雑把にいえば「職業名」なんか何でもよくて、今日と明日で変わってもいいし、複数の職業を兼ねててもいいし、現在の僕のように、なくても(=無職)いいと思っているのです。

ま「会社役員」が妥当だったのかな…

以前「新しい感情」という記事を投稿したことがありますが、僕は今「心の熾火(おきび)」を回収しようとしているフェーズなのです。
「心の熾火」とは、やろうと決めたけれども行動に至らなかったものや、行動したけれども上手くできなかったこと。忘れているようでいて、実は心のどこかに残っていことを僕が勝手にそういう言葉で表現しているだけです。

自分で思いついた言葉なのか? 昔どこかで見聞きしていて心の引き出しに仕舞われていた言葉なのか? は定かではありません。

「心の熾火」なんて、ジャンルが多岐に渡りますから、あまり職業的な視点を強く持ちすぎると具合がよくないのですよ。

とはいえ、長年メシを食ってきたデザイナーとしての思考様式はそんなに簡単に失われるものではないでしょうから、なんとなくそれっぽい視点にはなるんでしょうけどね…。
(参考:デザイナーは引退しても、デザインは続けるよ

「なんとなく生きていて、やりたいことに次々と手を付けていくこと」が仕事だというふうにしたいと思っているのです。

その時々で、職業名っぽいものは付くのでしょうが、さほど重要なことではないような気がしています。

むしろ、そのときに興味を持っているもの、熱を帯びているもの、淡々と継続していることを上手く言語化することで職業名の代わりにする技が求められるような、そんな気がするのです。

そのへんの感じを「生産的な趣味」とか「仕事は娯楽」みたいな、言葉を使いながら、ボンヤリと考え始めているところです。
〈参考:セミリタイアの定義。仕事は娯楽(=生産的な趣味)

たぶん、ずっと考え続けることになるのだろうと思います。

仕方ないから、しばらくは口では「無職」と言うし、職業欄への記載を求められたら「会社役員」と書くことにしようと思っています。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。