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自分のことしか考えない人、でかまわないと思う

2020.04.29

こんにちは、萩ドットライフ()です。

自分のことしか考えない人のことを、僕はそこそこ肯定しているのです。自身にそういう気(け)があるからなのですが、何かの行動を起こすときに「他人のため」「社会のため」という考えを持つと、それが言い訳のタネになるような気がしているのです。

自分のことしか考えない人は、悪い人

もし僕が、自分がいないところで「あの人って、自分のことしか考えてないよね」って言われていたら、それってたぶん悪評ですよね。

少なくとも褒められてる感じじゃありませんね。

ずっと僕たちは「他人に優しく」とか「公共心を持ちましょう」みたいな文脈で「自分のことしか考えない人は、悪い人です」という価値観とか道徳心とか倫理観とか、それっぽいものを刷り込まれてきてるように思います。

僕も場面によっては「そうだ。自分のことばっか考えてちゃいけない」と思うことは当然あります。

でも反対に「人のことはどうだっていいじゃん。自分のことだけ考えよう」という場面もとても多いようにも思うのです。

僕自身のことで言えば、四半世紀くらい前にフリーランスになって会社を作ったとき、この辺の仕分けが上手くできなくて、ちょっとアタフタした経験があります。

たぶん、そのときの僕は不安だったのですよ。

なんせ「月給」という、多寡は別にして安定的にいただける収入源を捨てて、自分で商売をするという道を選ぶんですからね。

はじめのころは、勢いよく「ヨシっ独立するぞ」なんて思っていたものですから、ちょっと胸張り気味でいろんな人に報告していました。

でも、その都度「不安とか、そういうのないの?」みたいなことを言われ続けると「あれ? もうちょっと不安そうにしてたほうがいいのかな?」なんて、あまり不安になってないことが逆に不安になるような、おかしな状態が生まれたりするものなのですよ。

で、僕の場合。軽いノリで「自分も一緒にやりたいなあ」「何それ、楽しそう」という人たちと複数人で会社を設立することになっちゃったんですよね。
「を共有する仲間がいると、ちょっと嬉しい」みたいな変な精神状態にもなっていましたね。
なんせ、初めての体験ですから、何が何やらさっぱりわからないのですよ。
(参考:フリーランスになったころの失敗を記して、平成時代を後にしよう

「自分のことだけを考えるべきだった。登場人物を増やすんじゃなかった」というのが、このときの反省です。

まずは、自分のため

「自分のことだけ考えてりゃいいんだよ。それの何が悪い?」と言語化してしまうと、ちょっと誤解を生みそうですよね。

でも僕、何かを始めるときって、絶対に「自分のためだけ」を考えたほうがいいと思っているのです。

「誰々のため」とか「世のため人のため」なんて考え始めちゃうと、考えが濁っちゃうんです。

まずは「自分のため」を実行してみて、自分が快楽を得られたり、満足できたり、自身の生活を支えることができるだけで大収穫なんですから。

そこに「他人のため」を混ぜ込んじゃうと、それが言い訳のタネになってしまうのですよ。

「まだ成果は出ないけど、これは街の人のためにやってることだから」
「失敗しちゃったけど、困ってる人のことを思ってやったことなんだから」

最初は「自分のため」で始めたことでも、思ったとおりに行かなくて不安になりはじめると、どこかしらに「他人のため」を探し始めたりしちゃうんですよね。

ものごとはまず「自分のため」をしっかりと作り上げた後の方が、それを「他人のため」に流用(=横展開)しやすいのです。

前項で述べた、会社を設立したころの話で例えると、純粋に僕ひとりで「デザイン事務所やろう」と思っていたものが、複数人でスタートしてしまったがために、

「こいつの持ち場を作って。こいつがやりたがってることをサポートをして」
「無理矢理にでも社会的な意義を作って、言語化して」

みたいなことをいっぱい考えてることで、ものすごく仕事をしているような感じになってたんですよね。

結局は「自分のため」じゃないことで消耗してしまって、全部のバランスが崩れてしまいましたね。
全部つながってるもんですから、思考がバラけちゃうと、モチベーションや体の動きも鈍くなっていっちゃうものなんですよ。

「自分のためだけにデザイン事務所を作って、それで食べていく」で良かったのです。

思考の中に登場人物を増やしてしまったら、どうしても「彼らのため」「彼らと一緒に」「彼らの役に立とう」が生じてしまいます。

事実、その後でいろんな繋がりが生まれてきて「こいつのために、ひと肌脱ぐか」とか「立場バラバラなんだけど、チーム感がすげぇな」なんてこと、いくらでもありましたから。

初動時にはひとまず、そういうのは置いておいて「自分のため」に動いたほうが、軽やかに身をさばけるのですよ。
ダメなときに「やめよう」という判断もしやすいですしね。

まずは「自分のため」をなんとかしよ、でいいと思うのです。

独りだけで、思考の純度を上げたほうが上手くいく

もしかすると、こういうのって僕個人の特性かもしれません。
中には「誰かのため」「社会のため」みたいなものが心のなかにあった方が、パワーになるって方もおられるかもですね。

否定しません。

「なにかやるときは、自分のことだけ考えて動いたほうが上手くいくよ」というのは、僕が僕なりに考えてるだけのことなのですから、あなたにとって賛でも否でもとちらでも構わないのです。

「否」であれば「ああ、こういうふうに考える人もいるんだな」くらいに思ってください。

たぶん僕は、他人をコントロールしたり、他人からコントロールを受けたりすることが得意ではないのです。

「自分のことしか考えない。それでいい」と思っていても、何から何まで思い通りになるなんて端から思ってやしません。
なんとなく、そっちの方向に向かって歩いて行こうと思っている程度なのです。

いつも「オレは自分のことしか考えないぞ」なんて意識しているわけもなく、こうしてブログネタにするために、言葉にしてみただけなんですね。

でも、こうしてちゃんと考え始めてみると、さほど間違った考え方でもなさそうなのですよ。
世間の評判ほど「自分のことしか考えない人 = 悪い人」でもなさそうなのです。

たとえば、対人関係で要らぬ気を使うことを嫌いますから、割と好き嫌いの判断がクッキリしますよね。
そうすると、躊躇なく「好き」なものを手に取ることができるのですよ。

僕の場合、オッサンになったもんだから「嫌いなものにかまけてる時間なんてないんだよ」って考え方が芽生えてるということも影響していますけれどもね。

これは物事に対しても、人に対してもそうです。

もしかすると「社会性に欠ける」と思われているかもしれませんが、それでも普通に生活できているので、とくに問題はないのです。

そして、孤独を快適だと感じるのも、そういう性格の影響かもしれませんね。
(参考:リモートワークは、孤独で自由です

基本、単独行動を好みます。

繰り返しになりますが、とにかく要らぬ気を使いたくないのですよ。
自分のことしか考えたくない代わりに、大抵のことは自分だけで行動して、自分だけで済ましてしまいます。

結果、その方が効率的だし合理的だと思っていますが、いかがでしょう?

ただ他人に対して、あまり関心を持たないのがアラといえば、アラでしょうかね。

みんなに対して関心ないわけじゃなくて、興味を持ったら、根掘り葉掘りいろんなことを聞き出したりしますし、思い通りにならない場面では苛立ちを隠しきれなかったりはします。

この辺は、程度によっては嫌がられることもありそうですけどね。
僕の場合50代半ばまで、ご指名で発注を頂戴しつつ、単体でメシを食って来れたので、さほど嫌われてはいなかったようです。そう信じています。

もちろん時と場合によりますが、僕は「自分のことしか考えない人」でかまわないと思うのですよ。

とくに何かを始めるときは、他人やら社会やらは置いといて、自分のことだけ考えて思考の純度を上げながら単体で動いたほうが上手くいくんじゃない? 僕はそんなふうに考えるのです。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。