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思い思いでいいんじゃない?

2020.04.30

こんにちは、萩ドットライフ()です。

みんなが同じ振る舞いをしていることに妙な感じを覚えてきて「そろそろ各自が、思い思いに緩んだり締めたりを決めたらいいんじゃない?」と思い始めています。緊張感とかこわばりみたいなものが連続することって、メンタルに良くない気がするのです。

これまでとちょっと違う心配りを

マンションのエレベーターホールで他の人と一緒になって、僕がマスクをしていないとき「あ、僕ノーマスクなんで先に上がっちゃってください」と言うことにしています。

「いえいえ、気にしませんからご一緒に」と言う人も入れば「あなたの方がお先に待たれていましたので…」と言ってくれる人もいて、その反応はまちまちなのですが、いずれにせよひと言添えることで、その場の雰囲気は和らぎますよね。

僕がマスクをせずにエレベーターを使うときって、朝ランに出かけるときなのですよ。

最近はどうやら「ランニングのときもマスクを付けましょう」みたいなことになってるようですね。
なんだかそんなことを言っていたテレビ番組があるようなのです。

「ちょっとそれはキツいなあ」が、率直な感想です。

ランニング中はマスクを外して、マンションのエントランスに入ったら装着するという手もあるのでしょうが、ポケットにいれておくと汗でグズグズになりそうで、ちょっとイヤですしね。

ほんの数週間くらい前は、郵便受けを確認に行く程度ならば、ノーマスクの人多かったんですけどね…。

こういうのって、次々と新しい注意事項を追加していかないと、人々の関心を保持できないので仕方ないのです。

逆に、川辺や公園に行くと、マスクをしていない人の姿がだんだんと増え始めたのかな? とも思います。
マスクをしている人よりも、していない人の方が目立つようになってしまいましたので、そう感じるだけなのかもしれません。

感染者数が減り始めているから、みんなの気が緩みはじめているのかなあ、とも思います。
僕が公園をノーマスクでランニングしている姿も、傍からは「気が緩んでいる人」に見えることでしょうね。

「気が緩む」って、あまりいい意味で使われる言葉じゃありませんよね。

気が緩む(読み)キガユルム【デジタル大辞泉の解説】
緊張感がなくなる。気持ちの張りがなくなる。「テストが終わって―・む」
出典:気が緩む(キガユルム)とは – コトバンク(2020年4月30日現在)

でも僕は「テキトーに気を緩めたほうがいいんじゃない?」と思うのです。

先日「長期戦なら、それなりに」という記事を投稿しましたが、なんとなく「この感じ、ずっと続くんだろうな」と思っているのです。
「この感じ」というのは、みんながココロとカラダを必要以上にこわばらせながら生活している感じですね。

東日本大震災のときもそうでしたが、長期間、緊張と不安を感じ続けているとメンタルやられちゃうんですよね。
だから僕は「非常時だから。みんなが緊張してるときだからこそ『緩む』を大切にしよう」と思うのです。

みんな思い思い、自分の感覚を信じましょ

昨日投稿した「自分のことしか考えない人、でかまわないと思う」を書きながら「今日はなんでオレ、こんなことを考えてるんだろ?」って少し不思議な感じがしていたのですよ。

おそらくですね。ある程度の人生経験がある人ならば、正解なんてないことなんていっぱいあること、知ってるはずなんですよ。

そういうときって、自分の感覚を信じて動くしかありませんよね。

前項のように「緩むべき」と僕が思って、そう行動したとしても、他の人は「緊張すべき」と思ってる。
互いに「なんてことしてるんだ、こいつ」と思っても、そこは干渉し合うべきではないのですよ。

周囲と自分を比較しても意味がないのです。

世の中「正常性バイアスに陥ってはいけない」ってことになっています。そりゃそうですね。
正常性バイアスというのは、危険が差し迫っているのに「自分は大丈夫」だと思いこんでしまうことです。

正常性バイアス:
正常性バイアス(せいじょうせいバイアス、英: Normalcy bias)とは、認知バイアスの一種。社会心理学、災害心理学などで使用されている心理学用語で[信頼性要検証]、自分にとって都合の悪い情報を無視したり、過小評価したりしてしまう人の特性のこと。
自然災害や火事、事故、事件などといった自分にとって何らかの被害が予想される状況下にあっても、それを正常な日常生活の延長上の出来事として捉えてしまい、都合の悪い情報を無視したり、「自分は大丈夫」「今回は大丈夫」「まだ大丈夫」などと過小評価するなどして、逃げ遅れの原因となる。「正常化の偏見」、「恒常性バイアス」とも言う。
出展:https://ja.wikipedia.org/wiki/正常性バイアス(2020年04月30日現在)

自分の健康や命に関わるようなリスクを過小評価してはならないのは、その通りなのですよ。

それを無視して「なるようにしかならないんだから、気にするだけ損だよ」という態度を取ろうというわけではないのです。

なんでもかんでも「テレビで誰かが言っていた通り」「専門家が要請してきた通り」「ご近所のみんながやっているのと同じことを」では、長く続きませんよね。

いま大抵のことが「自粛」という言葉で表現されていますが、いろんな自粛を受け入れるかどうか「自分で考えましょ」ということなのですよ。

だから「自」粛なのです。
どこが「締めるところ」で、どこが「緩むところ」かなんて、各自の思い思いでいいと思うのです。

ちょっと、ココロとカラダを緩めましょ

繰り返しますが、全員が納得できて全員に当てはまる正解なんてありゃしません。
何をどう頑張っても、望まぬ結果になることなんていっぱいありますし、ユルユルな態度を取り続けた人に最高の結果が訪れることだってあるのです。

そこはもう、自分が何を選びたいかで態度を決めるしかないのです。

こういうときに、他人の意見に反応しすぎて「このように振る舞わなければならない」「このように考えなければならない」と思ってるとバテますよね。

今、お酒が売れてる。家飲みし始めた人が多いから。ってことらしいです。

だんだんと社会のこわばりに耐えられなくなって、みんなが緩みどころを求めてるんでしょうね。
そうなると当然、アルコール依存に陥る危機を察知して、そうなるよりは日常の「自粛」をちょっと緩めようという人が出てきても不思議ではありません。

その辺の加減とか、緩急とか、メリハリとかは、各自が思い思いで考えて行けばいいんじゃない? と思っているのです。

まずは、必要以上にココロとカラダをこわばらせながら生活することをやめましょ。

◆ ◆ ◆

「ブログネタを探すとき、意図的にコロナから離れよう」と思ってるんですけどね。
結局、こうなっちゃいますよね。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。