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セミリタイア人の生活考

2020.05.22

最終更新日:2020年05月28日

こんにちは、萩ドットライフ()です。

この3ヶ月間、セミリタイア人と職業人の生活スタイルが、とても似ていた時期だったと思います。みんな家の中で自粛生活を求められていましたからね。将来的にセミリタイア生活を望んでいる方にとっては、よい疑似体験になったんじゃないでしょうかね?

「働かなくていいから楽」は、すぐに飽きますよ

僕は、2019年9月25日からセミリタイア生活に入っています。
あれからほぼ8ヶ月が経過しました。

直近の3ヶ月間は、新型コロナウイルス禍の影響によって、社会全体が外出自粛していますので、その間は職業人だろうがセミリタイア人だろうが、似たような生活をしているはずなのですよね。

なので、40代50代くらいの「自分もテキトーなところで切り上げて、セミリタイア生活したいな」と、なんとなく思っていた現役の方々には、よきセミリタイア後の生活体験になってるんじゃないでしょうかね?

僕が無職になって、最初の3・4ヶ月くらいの時期に「セミリタイア」というタグを付けて投稿した記事をざっと見直して、その中からいくつか抜粋してみると、

なんてことを書いてるんですね。

このころはまだ、無職慣れできていなくて、

  1. 暇な生活を手に入れて、ちょっと晴れ晴れした気分
  2. 昔の仕事してた頃のことを思い出す。締切がないと張りがないな
  3. 感情に起伏が起こらないのもツラいね…

みたいなことを感じている時期ですね…。

最初のころは、肩の荷が降りたような心地よさを感じていたのですが、だんだんと思い通りにいかない雰囲気を感じ始め、「こりゃ自分でいろいろと工夫しないと、人生つまんなくなるぞ」と感じ始めるのです。

生活にメリハリがなくなる

僕はもともとフリーランスのデザイナーでしたので、会社員の方々よりは曜日の感覚に乏しい生活をしていました。

「あ〜月曜だ。会社行くの気が重いな」もなければ「ヨシ金曜日。今日が終われば週末だ」という感覚もあまり持ち合わせていなかったのです。

それでも、飲み会を設定するときには広告代理店やクライアントの方々とスケジュールを合わせますし、制作物の提出やチェックバックなんかも曜日を基準にしますから「まったく曜日感覚ゼロ」ってわけではありませんでしたけどね。

それでも、買い物は平日に行くことに決めていたり「土日だから、出かける予定組もう」と考えることはありませんでした。

でもね。それでも曜日を意識するのって、自分自身にリズムを作るのに役に立ってたんだなあ、と感じます。

1週間ごとに「絶対に関係者から連絡が来ない日」というのが訪れますからね。自然と気分に緩急ができていたように感じます。

あと、締切とか納期の存在も大きかったように思いますね。

これに関しては、フリーランスのほうが会社員の方よりも、生活への影響が大きいかもですね。
締め切り前って、どうしても生活をメチャクチャにしながらでも、成果物と向き合い続ける方を選びますからね。
(参考:「セルフブラック」の功罪

その代わり、提出後や納品後はしばらくダルダルな生活を続けることが許されましたけどね。
スケジュールにもよりますが…。

セミリタイア人には、このメリハリがないのですよ。

このブログでも、あたかも自分がまだ現役の職業人であるかのような記事を投稿することがあるように、それほど大きく違う道を歩み始めたような実感はないのですよ。

以前「デザイナーは引退しても、デザインは続けるよ」という記事を投稿したことがあるように、思考様式は変わっていないのですね。たぶん、一生こんな感じなのだろうと思っています。

なんというか、ゴールなきコースをスローペースで走り続けてるような気がするのですね。

だから、今はコロナ禍で停止中ではありますが「田舎への移住」とか「古民家のセルフリノベーション」とか、ちょっとした締切や納期に似たものを自分自身に与え続けないと気が病みそうに思いますね。

感情の起伏も健康上、必要ですね

セミリタイア生活を始めますと。つまり、職業人ではなくなりますと、起こること喜ぶことが激減しますね。

過去を振り返ってみると、自分はこんなにも仕事のことで腹を立てていたのか、躍り上がるほどに喜んでいたのかを、改めて気付かされます。

この抑揚がなくなって、なんとも味気ないものになってしまうのですよ。

先日亡くなった、野村克也・元野球監督の名言に「35歳を超えて敵がいないということは、人間的に見込みがないことである」というのがあります。

僕は「自分には特に敵なんていないな、たぶん見込みがない人間なんだな」などと思っていました。

でもね、自分でなんとなく思うのは、子供の頃にやってた「スイカに塩」みたいなもんじゃないかと思うのです。
これ、最近やってます? 父はトマトにも振ってましたし、祖母はお汁粉にも入れてましたね。

「甘いものに少し辛いものを足すと、甘さが引き立つよ」って理論なんですよね。
ちなみに僕は嫌いでした。

「この人が僕の敵です」って、明確に存在しているわけではなくて「この案を通すときに攻略しなければならない人」とか「自分に来なかった案件、この人がやってることが多いな。似てるのかな」みたいな、自分が頑張ったりレベルアップするための意識の置きどころを「敵」と呼んでおられるんじゃないでしょうかね?

少量の「敵(=塩)」を振りかけると、自分の「存在感(=甘味)」が引き立ちますよ、と。

感情も似たような部分があって、少々の怒りや憎しみがあった方が、嬉しさや喜びが引き立つんですよね。

「なんだよ、クソみてえなスケジュール組みやがって」
「うわっ。今さら全然違うこと言い始めちゃったよ」

みたいな苛立ちが若干(ホントに若干ですよ)あったくらいのほうが「お疲れ様」の酒が美味かったりするものなんですよね。

そういうのが、セミリタイア人にはないのですよ。
ほっとくと、感情の起伏がない毎日を淡々と過ごす羽目になるのです。

なんとなくお年を召しておられそうな方々が、SNS上で荒くれている様子を拝見することもあるのですが、自分の中に感情の抑揚を作り出そうとされているのかもしれませんね。

その是非には触れませんが…。

セミリタイア人になったら、生活上のメリハリや、感情の抑揚を自分で作り出す工夫が必要になるんですよね。
巷間言われる「悠々自適」とか「何もしないという選択」とか、すぐに苦痛になりますよ。

「そんなに工夫が必要なんて、仕事してるときと一緒じゃん」とも思いますが、まあそんな感じなのです。

僕は自分で「セミリタイア人になる」と決めたときから「セミリタイアの定義。仕事は娯楽(=生産的な趣味)」などと考えていました。

少しずつ考え方は変わってきているような気もしますが、大枠は間違っていなさそうなので、このままなんか「仕事っぽい」ことに挑戦し続ける人生であろうと思っています。

そうすると、生活のメリハリも、感情の抑揚も、キープし続けられるような気がするのです。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。