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「今ひま?」の今って、どの今?

2020.06.18

こんにちは、萩ドットライフ()です。

電話などで第一声「今ひま?」と聞かれると、返答に窮しますよね。だって「今」の解釈によって、答えが変わってきますもんね。「もうちょっと、相手のことを考えようよ」「きっと、その方が心地よいコミュニケーションができるよ」と思うのですよ。

「今ひま?」じゃ、答えられない

気ごころの知れた人には「は? 今って、どの今?」と答えるし、そうではない方には「まずご用件を伺ってみないことにはなんとも…」とお答えすることになるに決まっているのに、なぜ、いきなり電話をかけてきて第一声「今ひま?」と聞いてくる人が絶えないのか……?

当然「今ひま?」ではなくて「現在のスケジュールいかがでしょうか?」とか「少々お時間を頂きたいのですが、よろしゅうございますか」とか、いろんなパターンがあります。

大人だし、仕事(っぽい)の連絡が多いですからね。
でも、それが却ってイライラが募る原因になったりもしますけどね。

「今」って、ものすごくわかりにくい時間軸を指してるんですよね。

「このまま2・3分、話し続けて大丈夫?」も今(この数分)だし、「週末あたりに会って、小一時間話を聞いてもらっていい?」も今(この数日)だし、「依頼したい案件があるんだよ、ひと月後にオリエン。そっから成り行きで進行して、半年後くらいに公開くらいかな?」も今(この数ヶ月)なのですよ。

「今ひま?」から始まる、数ヶ月がかりの案件の依頼なんてめったにありませんが、過去にはあったのです。
おそらく先方としては「仕事を出すのだから、断られるわけない」と思ってるふうな感じがあり、またちょっと別の感情をもっているのですが、今回は割愛します。

話はズレますが「ひま」かどうかも用件によるのです。

気の向かない作業の依頼や会合の誘いならば、どんなに暇であっても「ひまです」って言うわけないし、ずっと待ち望んでいたような機会が巡ってきたのならば、たとえどんな用事が予定されていたとしても「ひまです。やります/行きます」というに決まってるのです。
(参考:「忙しいの?」って聞いてくる人って何?

そして「今ひま?」「今って、どの今?」が、お決まりの挨拶になってる人もいます。
昔々、連絡手段の主役が電話だった時代から、付き合いのある人ですね。

ナンバーディスプレイという機能がなかった時代から、第一声の「今ひま?」で誰からの電話かわかったし、声のトーンとか間の作り方で「いい話/良くない話」くらいの区別がつくくらいの間柄です。

だから決して「いきなり電話してきて、第一声が『今ひま?』は失礼だろ。マナーをちゃんとしろよ」という主張をしているわけではないのです。

「双方心地よくコミュニケーションを取りましょうよ」と思っているだけなのです。

お互いの距離感とか、これまでの付き合いの歴史とか、これから語られる本論の内容とか、そういうものを想像すると、いろんなものが快適になるのです。

似て非なるものに、電話に出たら第一声が「今、お電話大丈夫でしょうか?」ってのもありますが、これは絶対不要ですよね。
だって「大丈夫」だから、「お電話」に出てるわけですから…。

「相手がどう感じるか、想像しようよ」という意味では共通してますけどね。
要らん言葉の往復を設けるの、やめましょ。

相手のことを想像しよう

SNSでもときどき見られますよね。
現実社会で面識のある(と思しき)人同士の「ノリ」みたいなものが、SNS上に持ち込まれたりするじゃないですか。

そういうのって、当人同士の関係性があってはじめて成立するんですよね。
でも、そこにSNS上でしか付き合いのない人がやってきて、同じノリを始めたりする…。まあ、「アリ」なこともあれば、「ナシ」なこともあるので、批難するまでには至りませんが、ちょっとした違和感は感じますよね。

その違和感も「よい違和感(=好感)」だったり「ダメな違和感」だったりするので、何とも言えませんけどね…。かつ、その違いも上手く言葉にできなかったりするので、モヤモヤしてるのですけどね…。

僕の経験上、最初に感じた違和感って、時間の経過とともに増幅することはあっても是正されることはないように思うのですよ。
おそらく直感で得られる、人間関係のソリ(反りが合う/合わないのソリ、ですね)なのだと思います。

先日投稿した「同意を求める話し方をする人が、苦手です」でも、人とのソリについて言及してますね。
最近、こういうことを考えてることが多いのですよ。

なんとなく初コミュニケーションで「好感」を受ける人って、自分の振る舞いが他人にどういう印象を与えるかを想像してるんだと思うんですよね。

もしかしたら、無意識でやってるのかもしれませんけどね。

前述の、SNS上でやってる知り合い同士のノリでも「自分らのノリが、知らない人にも拡がった。ウレシイ」って感じさせてくれる人っているのですよ。

まったく同じことをしている(ように見える)のに「え、あんたは違うだろ…」ってこともありますね。

これに関しては、僕も「なんでだろ? たぶん、他者への想像が鍵なのかな?」程度の理解しかできていないので、もうちょっとあれやこれやを観察し続けてみます。

「予備行動的なものがあったりしたのかな?」などと推測してるんですけどね。

自分も時間軸をちゃんと意識しよう

「今ひま? の今」に話を戻すと、僕もちゃんと時間軸を整理して物事を考えてるかな? と思い直してみると、どうもそうではなさそうなのですよ。

他人のことが言える筋合いじゃありませんね。

以前投稿した「「余命30年」と考えたら、つまらないことなんかやってるヒマない」という記事で、

だから僕は「また何かの初心者になりたい」などと思っているのです。
「残りの人生で、もうワンゲームできるな」と思っているのです。

と書いているように、残りの人生の中の20年くらいを費やして、もうひとつ何かにチャレンジしてみようという時間軸は、セミリタイアを決めたときからずっと、強く意識をしています。

でも、それに付随して考えているあれやこれやが、10年後の話なのか? 3年くらいで仕上げる話なのか? 萩に移住したらすぐやって、数ヶ月でカタチにすべき話なのか、あいまいなまま物事を考えているのです。

ひとつひとつを考えていると、それなりに整合性がとれているつもりでも、混ぜると「あれ? オレって、いつ何をやりたいんだ?」と、一気に考えてることの解像度がニブくなるんですよね。

ここまでずっと書いてきた、時間軸とか、他者への想像みたいなことだけじゃなくて、それに加えて資金的な制約もありますしね。

以前投稿した「僕はその問題に答えを出せない」でも書いたように「VUCA(ブーカ)」といって、世の中は、変動していて不確実で複雑で曖昧、問題の答えを出しにくい時代のようなので、未来予想をしてもあまり仕方ないようなのです。

なので、計画とその実行にばかり目をやっても仕方なくて、ちょっとした変化に都度々々対応できるようなイメージを作っておいた方がよさそうなのですね。

ただ、だからといって時間、人、資金といった何をするにも必要になる要素については、しっかりと前提を抑えながら思考しないとな、と思っているのです。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。