面倒くさいことをそのままにしないための準備動作
2020.12.07
こんにちは、萩ドットライフ(
)です。面倒くさいことに向かい合うにあたって、事前の小さな準備動作を習慣化することによって、わりと楽に乗り越えられたりしますよね。とかくセミリタイア人は「面倒くさい」を放置しやすい環境にいるのです。抗わないと、生活が錆びついていくのです。
「面倒くさい」から逃れるおまじない
朝ランに出かける前、腕立て伏せと、腹筋を30回ずつやることにしているのですよ。
いつ頃からやってるんだっけ? と思っても全然思い出せません。
かつては、筋トレも真面目にやっていた時期があって、その頃は完全にランニングとは分離してやってたはずなんですよね。
同時に、簡単なストレッチだったりとか、手足ブラブラとかもやりますけど、まずは腕立て・腹筋がキー動作ですね。
いちおう「週に3・4日の朝ランが習慣」ってことになっているのですが、どこかしらにメンド臭さが残ってるんですよ。
とくにこの時期みたいな寒い季節は「星が見えないから、曇ってるっぽいな。こんな日は夜が明けてもスカっとしないんだよな」とか「今週は2日飛ばしでいいかな」なんてことを考えたり、どうにかしてランニングに出かけない理由を探したりするものなんですよね。
その「面倒くさい」から逃れるおまじないが、腕立てと腹筋なのです。
暖房をつけた部屋の中で、これをやるとそのまま自然と、ウィンドブレーカーに着替え、ニットキャップをかぶり、靴下を履き、手袋とランニング用の腕時計が置いてある位置を確認し、お風呂を沸かすところまで、自動処理で進んでいくのです。
あとはランニングシューズを履いて、出かけるだけ。
セミリタイア人は、ほっとくと「面倒くさい」をそのまま放置しがちなのですよ。
何でもかんでも後回しにしていても、誰から怒られるわけでもなく、仕事を失うわけでもなく、成果の分け前に与る資格を失うわけでもありませんからね。
ほっとくと、起きて、メシを食って、酒を飲んで、寝れば1日が過ぎていくのです。
誰かに対して表面的な忙しさをアピールする必要も、まったくありません。
そしてこの「面倒くさい」は、加齢とともに強まっていくのですよ。
自覚をもって「面倒くさい」に抗っていかないと、このまま老いさらばえていくのでしょうね。
ただでさえ僕は「焼きが回った、面倒くさい。もうダメだ」でセミリタイア生活をはじめることを決めたので、マネジメントできる部分はちゃんと取り組んでいかなきゃな、などと思っています。
ちょっとした準備動作を意識する
先週あたりから、わりと真面目に第二種電気工事士の資格を取るための学習をはじめました。
先月の終わりくらいに「セミリタイア人にとっての、季節ごとのタスクと余白」という記事を投稿していて、その中で
なので、第二種電気工事士の資格を取得するべく学習をはじめました。
とはいえ教本は2017年度版を持ってるし、学習に適したサイトを発見してブックマークし、問題集アプリをダウンロードしただけなんですけどね。「オレ来年の春過ぎくらいに試験を控えてるんだ」っていう状況になっておこうと思うのです。
と書いているのですが、これを日課に組み入れました。
朝ランして、ブログ記事を投稿(逆のときもあるけど)したあと、お昼までの2・3時間は第二種電気工事士の学習時間に充てています。
学習サイトを読み込んで、問題集にチャレンジし、理解できてなかった部分はググり回って別の解説を探すってことを延々と繰り返してるだけなんですけどね。
2021年の試験は5月か6月くらいだと思うので、そのころに照準を合わせて進めようと思っています。
これ、ずっと前から言ってたのですよ。
なんせ手元にある教本が「2017年度版」ですからね。
田舎で古民家を買ってセルフリノベーションしながら暮らしたい
→照明の付替えとか、コンセントを追加したり、カッコいいヤツ買ってきて付け替えるには資格がいるみたいよ
→ヨシ、ならばその資格を取ってやろうじゃないか
と思いはしたものの、教本を買うまではやってみたものの、やはりメンド臭かったんですね。
3年間放置してしまいました。
ここに来て「ヨシ、ちゃんとやる」って気持ちになって、実際に取り組み始めたのって、自動車運転免許を取得したことの影響が大なのですよ。
(参考:50代半ばにして、自動車運転免許を取りました)
この歳になって、まとまった知識を体系的にインプットし、試験を受けて合否の判定をされるって、なかなか楽しい体験だったのです。
いうなれば、前項で述べた朝ラン前の腕立て・腹筋のような「準備動作」の役割をしてくれて、すんなりと電気工事士の学習に取り組むことができました。
面倒くさいが、老化を促進させる?
腕立て・腹筋が準備動作となって、朝ランに出かけられること。
運転免許の取得体験が準備動作となって、第二種電気工事士の学習に取り組むことができたこと。
を例に上げて「小さく簡単な動作をすることで、大きな行動のメンド臭さから逃れる」という話を書きましたが、これらはこれから先も別のステップに進んでるような気もするんですよね。
例えば、朝ランをしているから庭の草取りだったり、じゃまな庭木の伐採・伐根に取り組めたり、電気工事の学習を始めてるから、ちょっとリノベーションに対する考え方が変わってきたり。
端的に言うと、興味の対象が増えていってるんですよね。
人間老いると、
- やったことがあることばかりを繰り返そうとする
- 知ってることの範囲でものごとを考えようとする
ものなのですよ。
これを「老化」といいますね。
新しいことに対するチャレンジは「面倒くさい」と敬遠しがちになってしまうのです。
とくに僕のようにセミリタイア人になってしまうと「それでいいじゃん」になりがちなんですよね。
どうなんでしょうね?
僕が目にするセミリタイア人って、ネット上にいる人々なので、SNSをやっていたり、ブログを書いていたり、YouTubeに動画を投稿したりしている人が「多い」ような印象を受けているのですが…。
もしかすると「面倒くさい」に抗えず、1日中テレビを見ながら酒を飲んで、錆びついた生活をしているセミリタイア人も多いのでしょうかね?
そういう人たちの姿って、見えてきませんからね。
とりあえず僕は、あと20年くらいは「面倒くさい」に抗いつつ「あれやりたい、これやりたい」言い続けていたいな、と考えているのです。
生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。