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無職になったら、居場所のことなんて考えなくなってた

2020.12.26

こんにちは、萩ドットライフ()です。

職業人時代は、自分の居場所を確保するためにムチャクチャ頑張ったり、その居場所を手放すまいと必死だったんですよね。無職になって1年以上が経ちふと気づくと、まったく考えなくなってるんですよね。むしろ居場所を失ったいまが、快適なのです。

「居場所」って、ワリと便利な言葉かもですね

ずっと「自分の居場所をどこに置くか」みたいなことを考えていました。

「居場所」というのは便利な言葉で、文脈次第でいろんな意味に使えますよね。

たとえば暮らす街のことだったり、借りたり買ったりする家の様式だったりグレードだったり。
その家の中でも、常時自分が居て仕事をする場所のことだったりね。
このあたりが、本来的な意味での「居場所」なんでしょうね。

「文字通り」ってやつですね。

僕がここで言いたい「居場所」というのは、もうちょっと比喩的な意味なのです。

仕事の合間だったり、大きな仕事から手を離したときの打ち上げだったりのタイミングで集まって、とりとめのない話から深く人生に切り込んだ話まで交わすことのできるコミュニティのことを指すこともあります。

もうちょっと踏み込むと、自分が職業人として食っていくために周囲から必要とされること。

僕の場合はこれを指して「このままじゃ、居場所を失っちまうぞ」とか「もうちょっと違う刺激を受ける居場所を模索とかなきゃな」みたいなことを考えていたことが多かったと思います。

長らくフリーランスのデザイナーをやっていて、仕事をもらい続けることが生きていくことだったので「職業人として必要とされる場所」が絶対に必要だったのですよ。

「窓際フリーランス」なんて、存在できませんからね。

かつて居場所をキープするのに必死でした

居場所って、一度確保するとものすごく快適なのですよ。

僕が職業人だったころの立場でいえば「黙ってても、定期的に向こうから案件がやってくるな」「オレにとっての営業とは、仕事をもらいに行くことじゃなくて、来た仕事を角を立てずに断ること」みたいな状態です。

長らくこの状態にいました。
理由は「運が良かった」からです。

完全に癒着状態になってましたね。

ちょっと余談ですが、僕は「癒着」という言葉に悪い意味を含めていません。
本来は離れているべきものが、なんらかの要因によってくっついてしまってる状態のことをいう言葉なのですよね。

ビジネスの世界で言えば、互いの求める「ギブ」と「テイク」が長期間にわたってそのクオリティを満たしているという意味なので、とても良いことだと思っているのです。

僕は、いくつかの制作会社、クライアントとそういう関係でいられたので、なんとか食っていけたのだと思っています。

出会ったタイミングだとか、人、状況、社会環境、ほかにも様々な要因が運よくハマってくれたのです。
なので、この四半世紀はとても心地よい職業人生だったと思っています。

ただ同時に、僕の側もその快適な環境を維持しようという努力は欠かさなかったように思っています。
その辺りのことは過去に投稿した「フリーランスの僕が暇な時にやったこと」で触れていますので、ご参考に。

「自分の居場所ができた、良かった」という気持ちと裏腹に「いま求められてることだけを続けてると、詰むぞ」という恐怖感もあったのですよ。

それは、僕が関わってた業種が、Web制作というものすごい速さで技術や環境や流行が進化していく場所だったからなのかもしれません。
本来ズボラな僕が、それなりの努力を続けてこられたのは、外的要因によるものだと思っているのです。

僕がどうにかこうにか、50代半ばまで居場所を持ち続けられたのは、本当に「運が良かった」のですよ。

居場所がないのも、なかなかいいですよ

昨日、税理士から「年末調整のご案内」というメールが届きました。

このブログでも繰り返し書いていますが、僕の現在の状態は「無職」だし「セミリタイア中」です。
でも、いつくかの法人を持っているのですよ。そのうちのひとつは、僕が経営者です。

なので、売上なんてなくても毎月、僕自身に役員報酬を発生させなければならない(ゼロってダメなんですね)し、社会保険料も税金も納付しなければならないのです。

当然、毎年の年末調整も決算もやらねばなりません。
税理士に資料を送ってやってもらうだけなんですけどね…。

これ毎年、僕の方から「そろそろ年末調整の時期ですね」と、資料を送っていたのですが、先方から催促されたのっておそらく10年以上ぶりです。

そこで「おや、考えたり気づいたりすることの方向性が変わって来てるな」と思ったのですよ。
ちょっと言葉にするのが難しいのですが「オレサマとしたことが、これに気づかなかったとは…」みたいな感じです。

理由は簡単で「無職」だし「セミリタイア中」だからです。

もう「職業人として必要とされる場所(=居場所)」のことなんて、日常的に考えるべきことではなくなっていたのですよね。
職業人としての感覚を失っていく過程の中で、会社運営にとって必要な行事が、頭から抜け落ちていたのです。

「居場所」ということについて考えてみると、本来であれば居場所の概念が、職業に関するものから地域コミュニティに関するものへ変わってもいいはずなのですよ。

「セミリタイアしたら、居場所の意味するところが変わりました」みたいな記事を書くことのほうが、なんとなくしっくりくるような気がするんですよね。

ですが、なにぶんコロナ禍で地域の人との交わりも、さほどありませんしね…。
なんとなく「居場所」ってものがなくなった気がするんですよね。

SNS上では、なんとなくそれっぽいコミュニティに参加してますけど、それを「居場所」と呼ぶかどうかはアレですしね。

でも「みんながそう」という社会環境だし、「自分が望んで群れから離れたんだ」という自覚もありますので、さほど居場所がないことに対する物悲しさってないんですよね。
(参考:言葉を残しながら、群れから離れることにしよう

こうして、朝ランして朝ブログ書いて、興味の対象になりそうなことを調べたり学習したりして、頭と身体と心のアイドリングを続けている今の状態が、好きです。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。