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面倒くさいことを、拒んでいこう

2021.01.06

こんにちは、萩ドットライフ()です。

面倒くささの背景には必ず人がいるのです。セミリタイア人になってからの大きな変化に「面倒くさいからやりません」と言いやすくなったことがあります。損得や職業上のしがらみから解かれて、他人のことを気にしない暮らしになったからだと思います。

面倒くさいことの背景には、人が

職業人時代には「この人、ちょっと面倒くさいな」と感じる人でも、どうにかこうにか受け入れてお付き合いをしていました。

たぶん僕の中に損得勘定が働いていて「ここで角を立てると、仕事やりずらくなるしな」とか「好きな○○さんの一味だしな」みたいなことを考えて「ちょっと我慢しとくか」って対応をしてたのですよ。

手順だったりルールだったり「それ要る?」ってこともいっぱいあったのですが、「それ無駄でしょ。要らんす」と一刀両断にしにくい背景には、それを考案した「人」だったり、それを上手に捌くことで存在意義を認められていたり、高い評価を受けている「人」が要るからなのですよね。

セミリタイア人になると、そういうのがなくなってものすごく楽になるのですよ。
「それ、面倒くさいからやらない」「無駄だから関わらない」みたいなことを、なんの躊躇もなく口にできますからね。

なので、メンバーがみんなで少しずつの面倒くささを共有することで成立しているコミュニティにおいては、僕は居場所を失います。
けれども「嫌がってるヤツがいるのなら、別の方法考えよう」「無駄ならば省こう」って人々が集ってるコミュニティや、そういう人間関係は残り続けるので、なかなか快適です。

そういう人たちは、誘ったり頼んだりしてくるときに必ず「断りやすさ」成分を混ぜて来ますし、たとえ「嫌だ」であったとしても他人の意思表示にポジティブに反応してくれますからね。

僕は無職になって、せっかく損得を考えない生活を始めたのですから、そういうコミュニティに属しながら暮らしたいのですよ。

まだまだセミリタイア人になって、1年ちょいのビギナーですが、なんとなく「面倒くさいことは、ちゃんと拒んだほうがいいぞ」という気がしています。

SNSとの距離感は、上手くいってるっぽいです

以前「facebookを使うのをやめた理由」という記事を投稿したことがあるように、いっときfacebookの利用から遠ざかっていました。

ただ山口県萩市に移住したあたりから、ひとりひとりに連絡するのは面倒くさいし「あの人には報告したけど、この人には言ってない」みたいになるのが嫌だし、ということでfacebookに投稿することでお茶を濁したんですよね。

それに友達申請やメッセージがあると、通知が来ますしね…。
通知機能を停止するほど「facebookもう要らない、無視」ってことにはなっていないのです。

積極的には使わないけど、通知が来たら気にしてみる程度の付き合い方が、一番よさそうです。

ただ、ちょっと微妙な人から友達申請が来たときに面倒くささを感じますよね。

昔の同級生、そりゃ知ってるけど仲良かったわけでもなくて、卒業名簿の中にいるぶんには何も思わないし、同窓会で会えば満面の笑みで「久しぶり、元気にしてる?」くらいの声はかけることになるんだろうけど…。

それとか友達の友達だったり、どっかで名刺交換しただけの人だったり。
幼少のころに一緒に遊んだだけの親戚だったり…。

「無礼だ」とか「気持ち悪いな」とかは思いませんが「これ、承認しなきゃいけない?」みたいな気にはなりますよね。
「この人に自分のプライベートを見せる気はないし、見たくもないよなあ。面倒くさいなあ」と思うのです。

一時は僕も「SNSの友達、多いほうがいいか」みたいな考え方を持っていた時期もあって、バンバン承認していたこともあったんですけどね。

最近は友達申請を拒否することが多くなっています。
セミリタイア人になって、仕事上で人と出会うことがなくなって「しがらみ有り」の人からの友達申請が激減したことも影響してるんですけどね。

とはいえ、そのときの気分次第だったりするんですけどね。

タイムラインでの挙動に違和感を感じる人は友達を外すことにも躊躇しなくなってきています。

そういうことを繰り返していると、SNSが気にならなくなるのですよ。

twitterは、もともと使い方がテキトーだし検索ツールみたいな使い方をしていることが多いので、さほど害はないんですけどね。

要らんZoomの使い方すんな

ただ最近、新しい面倒くささが芽吹いている気がするのですよ。
「ここのところ増えてきたなあ」ってほどでもなくて、「おや? 短期間で2回続いたなあ」程度なんですけどね。

Zoomに代表されるオンライン会議ツールって、これまで対面でやっていた会議やミーティングを「物理的に集まらなくて済むよね」という方向に導くツールなのであって、メールや電話で住んでいたコミュニケーションをリッチにするためのツールではないはずなのですよ。

この1年間でリモートワーカーが増え、オンライン会議が特別なことではなくなり「在宅でオッケーじゃん」ってなったことは大変喜ばしいことだと思うのです。

ただ「メールのやりとり、メッセージでの逐次連絡で済むよね。つか、これまでそうしてたよね」ってコミュニケーションにZoomを使いたがる人が増えてきたような気がするのですが、いかがでしょう?

僕はセミリタイア人なのでとても限定的です、前述の通り「短期間で2回」程度なのですから。
でも僕ですら、そう感じるのですから、職業人の皆さんの場合はどうなんでしょうね?

業種だったり立場だったりにもよるんでしょうけどね…。

以前投稿した「ウザいから、オンライン飲み会の誘いを無視した」という記事でも書いたのですが「なんで、いちいち拘束し合うんだ?」と感じるのですよ。

せっかく、物理的に集まらなくても作業ができることが証明され、場所も時間も自由に活用できる方向に向かっているのですから、コミュニケーションも非同期である方が好ましいのですよ。

こういう話をし始めると「掛け合いによって生まれる価値」とか「表情を感じながらの会話」みたいなところに膨らみがちなので、コミュニケーションについての話はテキトーなところで納めます。

僕が言いたいのは「それ、いちいちZoomでやる必要ある?」感じたら、僕は「Zoom要らんでしょ」と拒んでいますよ、ということなのです。
おそらく職業人時代ならば、そう感じても「わかりました。では○時に頂戴したミーティングIDとパスで入室します」ってことになってたように思うんですよね。

たしかに「○月○日○時、○○会社○番会議室にお集まりください」を「いや、そんなのZoomで十分でしょ」というケースは増えてきているような気がするのです。
もう現場にいないので、SNSやらネット記事からの情報ですけどね。これには賛成します。

ですが、これまでメール・メッセージと電話で済んでたようなことに、Zoomを使おうとしてる人が登場していることには、あまり言及されてない気がするんですよね。

これ、今のうちに摘んでおくべき芽だと思うのです。
どんな場所にも、面倒くさいことのほうが価値があると思っている人は、一定数存在するのです。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。