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時間をケチってるわけではなく、いい時間を過ごしたいのです

2021.02.17

こんにちは、萩ドットライフ()です。

時間の価値が高まってるなあ、と思っています。加齢のせいかもしれませんけど、それ以上に社会環境の変化が影響しているような気がするんですよね。だからといって、なにがなんでも時間を有意義に使いたいわけでもなく、無駄遣い歓迎なんですけどね。

時間を奪われるのが嫌いです

過去に何度か書いているのですが、僕は電話が嫌いです。
やってることや、考えてること、ボーッと過ごしている時間を一方的に分断されるからです。

本当に「とてつもなく嫌いなのか?」と問われればそんなこともなくて、好きな人だったり、「ちょっと会話でコミュニケーションしたほうが速いな」って場面だったり、するときには躊躇なく電話を選びます。
(参考:電話嫌い。実は相手によるし用件による

今はセミリタイアして、田舎で暮らしているのでなくなりましたが、東京にいるときには定期的に営業電話がかかってきていました。
よくある「社長様おられますでしょうか」ってやつですね。

そういう電話は、切ってすぐに着信拒否するようにしていました。

困るのは「◯◯様はおられますでしょうか?」と、僕の名前を知ってる場合ですね。
大抵の場合は出回ってる名簿を見て電話をかけてきているのでしょうが、ときどき知り合いから紹介された人が仕事の依頼をしてくるケースがあるんですよね。

どこかしらで「先方も仕事なんだから、そんなに怒るわけにもいかないな」と思うんですけどね…、ついつい手を止められたことに苛ついてしまうのです。

それと似たような感じで、ダスキンの人には「メーターボックスの中に置いとくから、勝手に交換願います。ピンポンしないでくださいね」って言ってたし、毎月1度は挨拶に来たがっていた信用金庫の担当には「それ、やめてくれません?」と告げていました。

簡単に言うと、時間を奪われるのが嫌いなのです。
別に時間を共有して顔を合わせる必要がないのならば、それに越したことはないのです。

「せっかくですから、ご挨拶を」とか、ものすごくやめて欲しいのです。

時間って、命そのものなんですよね

携帯電話やインターネットが普及しはじめたころからでしょうね。
時間に対する考え方がだんだんと変わってきたような気がします。

それまでは、用がある人は電話をかけてくるのが当たり前だったし、家に誰かが訪ねてくれば手を止めて玄関先で応対するのが当たり前でした。
そうしないと物事が進まないので「仕方ない」ことだったんですよね。

それがだんだんと世の中が便利になるにつれて「仕方ない」ことじゃなくなったんですよね。
他人の時間を奪うことなく、コミュニケーションやサービスの提供が可能になりましたからね。

他人と時間を共有することの価値が高まってきたし、他人に時間を使ってもらうことが、ものすごく大変になってきてると思うのです。

営業電話の人だって必ず「1・2分、お時間頂いてよろしいでしょうか?」とか言いますもんね。ダメだけど。

昔よく「時は金なり(タイム・イズ・マネー)」って言い方をしてましたよね。
それがもっと価値が高まって「時は命なり(タイム・イズ・ライフ)」みたいな感じになっちゃった感じでしょうかね。

考えてみるとすごく自然なことで、命なんて一瞬々々の時間の集まりのことですからね。
「命は時間」だし「時間は命」なのですよ、「時は金なり」なんて言葉が発明される以前からずっとそうなのです。

くだらないことに時間を使ってもいいのです

営業電話の応対をしているとき、僕は「営業電話の応対」に命を使っているのですよ。
好きな人と一緒にいるときは、好きな人のために命を使ってるし、社会の理不尽に腹を立てているときには、自分の命をそういうふうに使っているのです。

何かを短時間で済まさなければならないときは、そこで使える命が少ないってことだし、ゆったりと時間をかけて何かに取り組むときには、命をゆったりと注ぎ込めるのです。

だからといって「オレは命(=時間)を有意義に使うぞ」なんて、張り切ってるわけでもありません。

上手に効率よく使うこともあれば、くだらないふうに使って「ずいぶんともったいないことをしちゃったな」と感じることもあるでしょう。
それはそれで一向に構わないのです、自分で選んだ命の使い方ですからね。

僕はセミリタイアして以来、くだらないことも有意義なことも、等しく自分で何かを考えたり行動するための機会を与えてくれるものだと思っているのです。
(参考:くだらないことと有意義なことが、等価になる

「いい時間」を過ごしたいのです

90分くらいある映画を最後まで観て「なんだこれ、全然おもしろくないじゃん。無駄な時間だったな」なんてこともあれば、一杯の丼ものを食べるために丸一日費やしても「言うだけあるねえ、有意義な1日だった」ってことだってあるでしょう。

よく知らない人に「計画中の事業の話を聞いてくれ」と押しかけられて、小一時間も居座られたら「マジかんべんしてくれ」と思うし、好きな人と過ごす時間は何か特別なことをするわけでもなく、ダラダラとしゃべってるだけなのに、すごく楽しくて、あっという間に時間が過ぎたりします。

だから、時間をケチってるわけではないのですよ。
むしろちょっとした無駄遣いは歓迎なのです。

時間を使うことそのものを楽しみたいんですよね。
「いい時間」を過ごしたいのです。

その「いい時間」が過ぎると「よかった時間」になって、それが積み重なって「いい人生」になるのです。

それを決めるのは僕なのだから、勝手に奪われるのが、すごく嫌なのです。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。