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都会と田舎。気分の違い

2018.12.11

最終更新日:2019年03月06日

こんにちは、萩ドットライフ()です。

人口や利便性をテーマに、都会と田舎を語ることは多いですが、僕のように「外出するのは、朝ランとちょっとした買い物のみ」って人にとっては、あまり違わないのですよ。僕が東京と萩市の二拠点生活をしている意味を「気分」の面から整理してみますね。

何も違わないから、気分で語るしかないんですよ

生活スタイルは「ひきこもり」「ニート」と変わらないのですよ。
ずっと作業場のPCの前で1日を過ごしています。

僕はセミリタイアしているとはいえ、「セミ」の部分に、まだフリーランスのWebデザイナーが残っているのです。
連絡はメールやメッセージ、チャットで来ます。
また、これは僕の気質によるものでしょうが、連絡に対しては即レスしたいし、すぐに手を動かしたいのですよ。

したがって、長時間PC前から離れることにも躊躇するのです。

おそらく「ちょっと、小一時間ほど息抜きに」と出かけるような習慣があるのであれば、東京の清澄白河にいるときには「銀座・日本橋」ということになるでしょうし、山口県萩市にいるときには「菊ヶ浜(※海です)・陶芸の村公園(※山の麓の公園です)」と、都会と田舎の変化を楽しむこともできるのでしょうが、そういうこともなく、平日は淡々とPC前で作業を続けています。

結局、東京にいても萩市にいても、やってることは同じなのですよ。
僕自身も、作業中は「同じ」であることを求めていますからね。

東京にいるとき「萩の生活はどうですか?」と訪ねてくる人に「何も違いません、そうしているのですから」と答えつつ、ちょっとイラっとしたりしますね。

ただ「本当にすべてが同じなのか?」というと、そうとも限らないのですよ。
「気分の違い」だけは、感じているのです。

田舎にいるときには、なんとなく「そんなに、一生懸命働かなくてもいいか」って気分になれるのですよ。
「やる気を削がれる」のです。

やる気を削がれることの是非

街の雰囲気なんでしょうかね? 窓から見える風景のせいかもしれないし、自分と街のストーリーに原因があるのかもしれません。

ずっとハードに働き続けてきた東京にいるときには、ちょっとした空き時間にも、なんらかの仕事を探しまわったり、成果物を手放す前にも「もう少し精度を上げられるんじゃないか」とネバッたりと、労働意欲がものすごく湧いてくるのですよ。

反対に萩にいるときには「やる気」が、かなり削がれるんですね。
そして、この現象を僕は「ダメなこと」として認識していないのですよ。

僕は今、セミリタイア中です。
新規案件の受注を停止し、現在お請けしている運用案件がすべて完了し次第、Webデザイナーとしては完全休養します。その後、復帰するか引退するかは、休養後に判断するつもりです。

こういう時期なので、やる気を削がれてユルんでる感じがとても心地いいのですよ。
僕にとって「やる気を削がれること」は「是」ですね。

逆に、自分が今30代くらいだったらどうだったでしょうかね?
今「地方にサテライトオフィスを」みたいな流れもあるじゃないですか。

実際、一番ハードに働いていたころの僕は、10年くらい実家を訪れていませんでした。
祖母の葬儀と、出資先のシンガポールの出版社が「萩」をテーマにすることになったときに、それの付き添いというか、野次馬として帯同するために帰省したくらいのものでした。

おそらく、30代40代くらいの僕は「やる気を削がれる」ことにストレスを感じていたでしょうね。
同時に、東京でも「やる気を持続する」ことにストレスを感じていて、後にパニック障害を発症することになるのですから、どっちが「是」で、どっちが「非」だったのかは、今となっては、判断のしようもありませんけどね。

余白を増やすための田舎暮らし

これまで、四半世紀近くフリーランスのデザイナーをやってきましたから、プロフェッショナルの最後尾くらいには席をいただいているつもりではあるのですよ。

プロっていうのは、なかなか孤独なもので、成果物を通してでしか自分自身の存在意義をアピールする術がなかったりするのですよ。
アウトプットしちまったら、それは自分の存在そのものに等しいので、一切言い訳の余地はないのですよ。

せいぜい、他のプロを傍から眺めて「たぶん、こいつも孤独なんだろうな」って理解した気になってやることくらいしか、自分を癒す方法ってなかったりするもんなんですよね。

だから、冒頭の「ひきこもり」「ニート」と変わらない生活スタイルなんて当たり前で、むしろ僕は「孤独」と上手く折り合いをつけてる方だと思うのです。

自分のプロフェッショナルの部分をユルませて、やる気を削いでいくと、そこに余白ができます。

今考えているのは、その「余白」からどういう価値を産み出すか? どうやって「余白」を増やし続けるかということなのですよ。

過去に、

みたいな記事をいくつか投稿していますが、セミリタイアと山口県萩市への移住を決意してから、概ね考え方は変わっていません。

僕はずっと都会(東京)で、働いてきたので、生活環境を田舎(萩市)に移すと、プロフェッショナルとしてのやる気が削がれるのですよ。
そして、それが心地よい「余白」を生み出してくれるのです。

生まれた街「萩」の小さなひとつに還ろう。